見出し画像

暇と退屈と自粛と。〜『暇と退屈の倫理学』〜

こんにちは。ryoです。
いつの間にか桜も新緑になり、季節は着実に変わっているんだなぁと実感する今日この頃です。

最近、10年前くらいに買った本を読み始めました。
國分功一郎氏著『暇と退屈の倫理学』です。

私は「積読した本」って、きっといつか読む機会がやってくると思っています。買ったその時に自分が興味を持った本、というのは間違いないわけですから。ただ、その「いつか」は、明日かもしれないし、1ヶ月後かもしれないし、10年後かもしれませんが・・・笑

それはさておき、「自粛疲れ」というワードをよく耳にしますが、そもそもなんで、私たちは「家でじっとしていること」に耐えられないのでしょうか。この本は、そんな問いに対するヒントを教えてくれます。

暇と退屈の倫理学

哲学者パスカルの話を皮切りに、遊動生活や消費社会、ハイデッカーほか哲学者の思想にも触れながら、暇と退屈に関して論じる一冊です。
途中、ユクスキュルの環世界の話がでてきますが、大学のゼミでこのあたりを学んでいたのでとても楽しく読めました。「人や生物にとって意識外のことは、存在していないに等しい」・・・やっぱり今読んでも難しいです。笑

ところで、暇と退屈という概念はいつ生まれたのでしょうか?
かつて、私たちの祖先は何百万年も遊動生活を行ってきました。日中は狩りや採集をしながら生活し、食べるものがなくなったり、排泄物やゴミが多くなったりしたら、新たな地へ遊動します。そんな目まぐるしい生活においては、暇や退屈という概念は生まれません。
しかし、氷河期が終わり温暖化が進んだ1万年前、思うように狩りができなくなった私たちの祖先は、食糧の備蓄、生産が必要となり、1つの場所に定住しなければならなくなりました。以降、定住生活は現在まで続いています。

遊動生活では、日々どこに食べ物がありそうか、水がありそうか、襲ってきそうな動物はいないか、どこで寝れそうかを常に考えていなければなりませんでした。
一方、定住生活では、食糧を生産しないといけないという新たな問題があったものの、次第に備蓄ができるようなり、安全な寝床も確保できるようになってきました。こうして、時間に余裕(暇)ができ、退屈という概念が生まれたのです。

こうして生まれた暇と退屈ですが、「人間は考える葦である」の格言で有名な哲学者パスカルによれば、「人間の不幸は家にじっとしていれないがためにおこる」のだそうです。

面白い例がありました。
例えば、これから1日山でウサギ狩りに行こうとしている人がいたとします。(現代で言えば魚釣りの方がしっくりくるかもしれませんね)
では、その人が狩りに出る前に、「ちょうどたくさん獲れたし、1羽あげるから狩りに行くのやめなよ」と、ウサギを渡したら、その人はどう思うでしょうか。
おそらく、あまりいい顔をしないでしょう。
どうしてだと思いますか?

それは、その人が本当に欲しかったのは、ウサギではなく、気晴らしだったからです。一日中重い装備をかついで、それでも1羽獲れるか獲れないか、その駆け引きだったり、獲れた獲れなかったの一喜一憂を楽しみたかったからではないでしょうか。

この人の欲望の対象は「ウサギ」ですが、欲望の原因、根底にあるのは「気晴らしをしたい気持ち」だったのです。

現代社会で言えば、顧客の購買意欲をいかに掻き立てるかに重きをおくマーケティングって、こういうことなんだなぁと感じました。欲望の原因を分析して、欲望の対象を作り出す、みたいな。

リターゲティング広告とか、リスティング広告とかも当てはまりそうな気がします。悪いものじゃないし、便利だと感じる時もあるんですけどね。
ただ、人は知らず知らずのうちに退屈を解消したいという欲望の原因や、欲望の対象を社会に作られているのかもしれませんね。

話は逸れましたが、ほかにも、「暇は客観的な状態、退屈は主観的な状態」と、暇と退屈について定義したり、消費と浪費の違いを論じたりと、色々な観点から暇と退屈について論じられる、知的好奇心くすぐられる一冊でした。

まとめ

話があちこちいきましたが、「なぜ、家でじっとしていることに耐えられないのか?」という問いに対しての、私なりの答えは「脳が活性化を求めているから」です。
何百万年もゆっくり進化を続けた私たち人間ですが、ここ100年での進化は急激でした。その急激な変化に脳も対応しきれていないのだと思います。
よって、まだ残っているんです。過去のなごりというべきか、脳に適度な負担を与えていないと、手持ち無沙汰な感覚が。それが、じっとしていられない理由なんだと思います。

ただ、これだとキャリアコンサルタントっぽくないので(笑)もう少し考えてみます。

「暇だ、退屈だと感じるのはどうしてなのか」ということを考えるために、逆に自分が「何かに打ち込んでいる、没頭している、続くこと」は何か考えてみるといいと思います。
つまり、自分が「集中できる」のはどんなことかを考えるのです。

集中できるというのは、自分が興味を持って取り組んでいることの方が多いと思います。仕事においては強制力があるかもしれませんが・・・笑
であれば、それは脳が活性化しているという状況のはず。

没頭できることが思いつかない方は、「色々試してみる」というのも一つの手です。今この状況、せっかく時間もあるので、とりあえず色々やってみてはいかがでしょうか。
資格の勉強をしてもいいですし、読書でもいいです。ゲームでもいいです。遊びだっていいんです。色々やってみて、他と比べて集中できるものが見つかったら、一度立ち止まって考えてみるといいと思います。暇、退屈に感じないのはなぜだろうと。これは自己理解にも繋がってきます。

併せて注意して考えてほしいのは、自分が今やりたいと思っているのは、社会に作られた欲望かもしれない、ということです。天気がいい日は外に出ないともったいないとか、連休は旅行に行かないと損するとか、休日1日ぼーっとしているのは良くないとか、誰が決めたんでしょうか。(私は旅行好きですが。笑)

これから新しい生活様式も求められることですし、自分のものさしで、自分が暇、退屈に感じないことはどんなことなのか、改めて考えてみてはどうでしょうか。

あなたが今欲しいのは、本当にウサギですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?