だから、堂々と「有害有益」でいる。

「有害有益」の刺繍をトレーナーに施した。「あ〜私ってば有害有益だわ〜」と思った日から数日後、そうだ!刺繍にしよう!と突然閃いたのだった。私だけじゃなくて、みんな有害有益なんだから、人間を表す熟語としては良く出来ている方なんではないかと思う。ひとりの人間としてというより、いろんな人と関わる人間としての「人間」。誰かと関わるから「有害」になりうるし「有益」になりうる。

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「有害」という言葉は否定的なものに映るけど、「有害」だと認められるのはむしろ肯定しているからである。その上で「有益」でもある。どちらも肯定の言葉だ。胸を張って、人に迷惑をかけ人を助ける生き方をしたい。

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そうなるとやはり「ごめんなさい」と「ありがとう」は言わなければいけないなと思う。私はうっかりしていると言わないでしまうから、気を付けようと思っている。なるべく誠実に、必要な時だけは確実に言うように。

不必要な時の「ごめんなさい」は、言われる側としては「謝る必要は無いですし、あなた悪いことして無いでしょう」って思っちゃうから、私は好きではない。その「ごめんなさい」が「ありがとう」と代替可能なら変えたほうがいいと思っている。その方がお互いに気分が良い。

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害を与えないのは無理だし、最小に抑えようと思っても最小というのがよく分からないし、いっそちゃんと害になってしまう方が自由に動けるんじゃないかと思う。そもそも、害=迷惑になること自体がすごく悪いことだとは思わない。割とみんな許してくれるし、その問題はなんとかなることが多いから。あと、そのミスやら何やらが起こらなかったら、何かが改善されることも無かったかもしれないし、似たケースが発生した場合の対処法が確立されることも無かったかもしれない。間違うことで何かが変わるきっかけになることもある。

私は、ミスをしないことで対処法を身につけられないのって怖いなと思う瞬間がよくある。いざこんな時どうすれば良いんだろうってなったとき、頼れる人がいるときに似た状況を経験したことがある人と、一人で初めて困難に遭遇する人とでは、やはり前者の方が上手に乗り切れると思う。

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間違いを起こさない人になるんじゃなくて、間違いを許される人になるべきだと思っている。だから、堂々と「有害有益」でいる。

元々みんな何もせずとも有害有益なのだけど、もっと堂々と有害有益でいれば良いと思う。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。