【浮世絵のはなし】首都圏で一時間に一本の電車て。
浮世絵第二弾。個人的に文明開化の浮世絵が好きなので、開化絵を。本当は新聞錦絵をやろうとしてたんだけど、そのことをすっかり忘れて本を読んでなかったから次回以降に回すことにした。
浮世絵って江戸時代のイメージが強いけど明治もまだまだ作られていて、題材が西洋化しているそのギャップがとても好きなのよねえ。西洋髪の婦人とかドレスの婦人とかとっても好き。あと赤の色が鮮やかになっているのも良い。明治っぽい。明治は赤で決まる。
今回の出典は国立国会図書館デジタルコレクションがほとんどです。前回に引き続きARC浮世絵ポータルデータベースも少し。
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開化絵と言ってもたくさんあって全部見るのは長すぎるので、乗り物を中心に見ていく。
まずは蒸気船から。黒船じゃ〜〜!開国じゃ〜〜!
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↑画像のキャプションをクリックすると国立国会図書館データベースのこの絵に移ります。絵の下の「1コマずつ表示」を「連続して表示」に変えると三枚繋がった画像が見れてうれしい。
文久三年出版らしい。なるほど、黒船だ。私は黒船を見てないからどれくらいの再現度なのかよく分からないな。調べるか。「黒船来航」のWikipediaページを見ると、比較的再現しているように見える。ここでの比較対象は噂だけ聞いて描いたっぽい黒船図だが。波や煙の感じとかドオオオンって構図は黒船にビビる心情が反映されてそう。
島田静雄「文明開化時代の橋のお話」2017年7月版によると、
アメリカのペリー提督の率いた4隻の軍艦、通称で言う黒船、の来日は、嘉永6年(1853)です。横浜開港は1859年です。(中略)欧米文化を取り込む文明開化の起点は横浜でしたが、明治維新(1868年)から江戸(東京)へと流行の波が移動し、東京が一大文化圏に発展することになったのでした。その象徴的な技術移転が、新橋・横浜間の鉄道の建設でした。最初は単線の鉄道馬車、ついで蒸気機関車を使う鉄道(1872)、そして複線化が1881 年に完成しました。
蒸気船から始まった開国・文明開化だが、新橋〜横浜間の鉄道建設が大きなキーとなった。というわけで、陸に上がって蒸気機関車。陸蒸気と呼ばれていたそうだ。
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上は品川、下は汐留(新橋)。よく見るとSLの配色が違う。車体のメインカラーは赤なのは一緒なのかな。どちらも赤・黒・黄を使って塗りあげているけど、我々の蒸気機関車のイメージは全身黒だよなあ。なんでだろう。
東京蒸気車鉄道一覧之図を見ると、車体が全部赤だ。じゃあ赤なのか。海の蒸気は黒で、陸の蒸気は赤だったのか。さてこの一覧図にはいくつか地名が書かれているのだが、この全てに停まるわけではない。開設当初は新橋・品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜の六駅に停まったそうだ。駅の始まりについてはandEがわかりやすい。
汐留鉄道館の図(下)の左上には、発車時刻と運賃表が載っている。東京〜横浜、汐留〜品川、品川〜川崎とそれぞれ料金が異なる。席は上等、中等、下等の分け方。すごい、わかりやすい。わかりやすい日本語だ。
午前出車:八字九字十字十一字
午後出車:二字三字四字五字六字
始発が八時で終電が十八時かあ。これはどういう人が使ったんだろう。今の生活で考えると全然ピンとこない。首都圏で一時間に一本の電車て。
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陸上では蒸気機関車以外にもモリモリと新しい乗り物が誕生していた。馬がやたら働かされている。それ以前もか。
鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図では、馬車が鉄道のレールの上を走っているのがわかる。普通の道より圧倒的に馬が走りやすそうだし、座ってて楽そう。
宦女ステーション着車ノ図では女性が車に乗りにきている様子が描かれている。服装は袴に派手柄の着物を羽織り、化粧は白粉に自眉onマロまゆ。そして笹紅でお歯黒はなし(未婚?)。官女とあるからエリートではあるが、洋装の男性に比べると前時代を引きずっているように見える。この車はなんだろう。ステーションにわざわざ行って乗るもので、馬車や人力車のような形だから、やっぱり鉄道馬車かしら。
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天皇が馬車に乗ってお出かけしている。アーチ橋をバックに持ってきているのがうまい。アーチ橋はそれまで九州にしかなかったが、明治になって作れる人を呼んできていくつか作ったらしい。
長崎の眼鏡橋(1634年)の建設が日本内地での石積みアーチ橋の最初でした。 (中略)九州以外の地には広まりませんでした。(中略)当時高名な肥後藩(熊本県)の石工、橋本勘五郎を明治4年から7年の間に東京に招いて、幾つかの石造アーチ橋を架けさせました。
橋の上の見物人は傘をさしているけど、手前の人たちはそうでもないのは何でだろう。雨が降っているのか日傘なのか。和傘っぽい人もいるけど、こうもり傘も結構いる。
ん?一枚目奥の方に富士山見えてない?あと三枚目右端にガス灯かなあ。読み取ろうとしたらいっぱい情報があるの面白い。
明治初年までの一般向け情報誌は木版刷りの瓦(かわら)版であって、浮世絵や錦絵もその範疇です。文明開化の時代、それまでの観光案内的な風景画の性格から、大衆受けを狙ったジャーナリスチックな画像情報誌の面を持つようになりました。これらを開化絵と呼ぶのです。読者の知的好奇心におもねるような、画家が想像を交えた構図も少なくありません。
開化絵をそのまま信じてしまうのはSTOPをかけねばならぬ。他の資料を集めて、どんなだったかをちゃんと調べないと当時のマスコミに踊らされるのだ。
ここで上野駅を見てみよう。
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一枚目中央右側に、蒸気を吐き出している黒い機関車が描かれている。和装、洋装が混じった人々は人力車やこうもり傘を使う。建物の名前書いてあるのは観光案内的なものだろう。
蒸気機関車の後ろの方に、博物館と書かれた煉瓦造りの建物がある。これが東京国立博物館(トーハク)である。
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トーハクの本館である。が、初代なので今のとは違う。
初代は1881(明治14)年竣工、ジョサイア・コンドル設計による赤レンガ造、インド・サラセン(イスラム)様式の小塔をいただいた建物でしたが、1923(大正12)年の関東大震災で大きな被害を受けてしまいました。
「内国勧業博覧会」で調べると、上野公園やトーハクの配置が当時と変わらないんだなあ〜と分かる。噴水とか広場の道とか。てかこれ、噴水のとこ鯉泳いでるね。いいのか。
海、陸ときたら空である。空は気球が飛ぶ。
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あれ、これ似てる印判小皿持ってるぞ。旗が描いてあったの謎だったけど、元々旗を付けてたんだね。なるほどな〜。
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風舩昇遥図も見てほしい。なんとなくかわいくて絵本っぽいから。
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歌舞伎役者の評判を建築と気球で表している。多分高い方が評判がいい。二枚目中央に立っている高い建物が、浅草十二階・凌雲閣である。一枚目の建物って浅草寺と五重塔だったりするかな。確証が持てない。有識者を待ってます。
という感じでした。三枚のやつ、並べて一枚で載せれたらよかったんだが、そんな時間はなかった。気がついたら更新日だった。でも眺めて気になったことをちょこちょこ調べてたら新しい知識ついたぜ。やったぜ。
▽隔週月曜に日本文化のはなしをしています。
次回更新 5/8:引き続き浮世絵回
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。
▽好評のこちらもどうぞ。
▽リンク集
https://www.nakanihon.co.jp/gijyutsu/Shimada/bridgestory/Edo_Meiji_Era.pdf
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。