【浮世絵のはなし】「新聞錦絵」「錦絵新聞」どっちなんだ問題
新聞錦絵の回。ちょっと調べたので雑談を。前回のをなんとなく見ておくと少し良いかもしれない。
絵と文字が一体化していると躍動感が出る
前回は東京日日新聞を取り上げたが、東京ではこのあと郵便報知新聞など他の新聞紙も同様に新聞錦絵が作られる。東京日日新聞は絵の中に文章が溶け込んでいるが、郵便報知新聞は文章が絵と分かれている。
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郵便報知新聞の絵を描いたのは大蘇芳年という人で、実は月岡芳年のことである。高橋克彦は著書『新聞錦絵の世界』で、東京日日新聞と郵便報知新聞の構成の違いについて以下のように述べている。
芳年は(中略)新聞錦絵の関しては、さすが芳年だと感心せられる作品が少ない。(中略)選ばれた記事が東京日日に較べて常識的なものだったという不運もあるが、記事と絵を完全に分離させたのが一番のマイナスになっているようだ。(中略)
東京日日新聞錦絵の方は記事が絵に食込み、一見ゴチャゴチャした印象を受けるが、それが逆に躍動感を生みだしているのである。
絵と文章が一体化している東京日日新聞は躍動感がある。報知新聞はそれをやらなかったせいで、世間的に人気の高い芳年が描いているのに勢いが足りない。
なるほど、確かに絵の中に文字が入っていると躍動感がある。と思って、真っ先に思い浮かべたのが春画である。どう頑張ってもセンシティブなので画像の引用は控えるが、声の様子が文字になって男女の側に書かれていると、その熱がこちらに伝わってくるような臨場感がある。逆に絵だけのものや枠の中に文章が書かれているものは穏やかな印象を受ける。
文字が絵の中に入っていると躍動感が出るのは、その画面のゴチャゴチャ感もそうだが、当時の文字が今のような整ったフォントではなく手書きに近い質感だったからなんじゃないかなあと思った。
「新聞錦絵」「錦絵新聞」どっちなんだ問題
呼び方が「新聞錦絵」と「錦絵新聞」に分かれていて統一されていないという話題。これは学者ごとに「こうだからこっち」と考えて使っているようだ。
佐藤かつら「歌舞伎と錦絵新聞」に分かりやすく書かれていたので引用する。
宮武外骨氏は一貫して「錦絵新聞」を用い、小野秀雄氏は、東京で発行されたものは、既に存在する新聞の記事を描き、錦絵それ自体に連番がないものとして「新聞錦絵」、大阪で発行されたものは独自の記事と連続した号数をもつとして「錦絵新聞」と呼ぶことを提唱した。土屋礼子氏はこれらを検証しつつ、「速報性と定期性を持ったニュース・メディア」と見る立場に立ち、「錦絵新聞」とする。これに対し、「『錦絵』としての存在様式の基本性」と嚆矢である「東京日日新聞大錦」が「新聞に載った出来事を素材に錦絵化するという原型をつくったという歴史的事実の基本性」を主張し、「新聞錦絵」とする、佐藤健二氏のような立場もある。
簡単にしよう。
宮武外骨氏:錦絵新聞(理由不明)
小野秀雄氏:東京は新聞錦絵、大阪は錦絵新聞
土屋礼子氏:錦絵新聞(ニュースメディアとして機能している)
佐藤健二氏:新聞錦絵(ニュースメディアではない)
土屋礼子「ニュースメディアとしての錦絵」によると、「大阪の錦絵新聞は、東京発行の新聞記事をもとにするか、ないしは独自の取材による記事で作成するかの二つの方法で作られた。」「大阪の錦絵新聞は、新聞に対して従の存在にとどまった東京の錦絵新聞とは異なり、充実した独自のニュース・メディアだった。」とある。
東京ベースで考えるとニュースメディアとして機能していない、新規性は無いが絵で楽しませるもの=(新聞)錦絵で、大阪ベースで考えれば新たな記事が手に入るニュースの役割を持つもの=(錦絵)新聞と捉えることができる。
この単語の入れ替えだけで揉めているらしい。だから、論文を書くときに自分が「新聞錦絵」と「錦絵新聞」のどちらをどんな理由で使うか述べなきゃいけない。っていう流れで書かれたのが最初に引用した、佐藤かつら「歌舞伎と錦絵新聞」なんだと思う。
この引用の素晴らしいところは、今まで研究してきた代表者を一気におさらいできるところだ。研究史を追うのに役立つまとめ。初心者に優しい。
東京日日新聞錦絵を読むと文章が唄っぽいのが気になるんだよな。分かりやすさを削ってロマンチックに仕上げている。これはニュースというより物語として消化させているように思う。あと内容がナンセンスで過激な話題が多く、情報を得るためのものとは言い難い。新規情報ではない以前に、おもしろ要素が強すぎる。なので東京日日新聞は「新聞錦絵」だと私は考える。
それ以外のものは全然見れてないから今のところ何も言えない。
歌舞伎と錦絵新聞
ところで佐藤かつら「歌舞伎と錦絵新聞」では、歌舞伎と錦絵新聞の間に強い繋がりがあったことを述べている。歌舞伎の演目に錦絵新聞のトピックが使われていることや、錦絵新聞の発売日よりも遅い演目なのに新聞内でその内容に触れられていたりと、繋がってないと知り得ない情報を持っていたよねえ?っていう話だ。
面白い研究だな〜と思う反面、考えてみればそりゃそうだなあとも思った。この仮説を思いついた瞬間に立証されたみたいなものだ。錦絵新聞の絵師は浮世絵師である。舞台の楽屋を描いた浮世絵は割と存在する。
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落合芳幾の楽屋図を貼った。落合芳幾は東京日日新聞の絵師だ。絵師だけ見ても楽屋に出入りできる人がいるんだし、まあ繋がりはあるよなあと納得感が強い話である。その証拠を集めるのは大変そう。自然すぎて証拠になるものが少なさそうだから。
論文内に出てきた河竹黙阿弥作『意中闇照瓦斯燈』が面白そうだが、内容を掴む手がかりが見当たらない。裕福な商人が三組の心中をとめ問題を解決する話らしいが。脚注を見ると早稲田大学線劇博物館所蔵の台帳に内容が載っているっぽい。ふむ。
こういう系の話が好きな方は↓をどうぞ。
次回更新 6/5:未定
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。
参考文献
高橋克彦『新聞錦絵の世界』
佐藤かつら「歌舞伎と錦絵新聞」
土屋礼子「ニュース・メディアとしての錦絵」
土屋礼子「大阪の錦絵新聞」
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。