労働のせいで本を読めなくなった は正当な批判なのか ~本を神聖視し過ぎではないか~

 本については、触れませんが、世に、労働によって、本を読めなくなった的な本が売れてます。異常なことだと思います。そもそも、本来、本を読むことを一般的にしようとすることこそ、愚かだと思います。本を読んでいない。読むの嫌い、が正常だと思うからです。本なんてはっきりいって、面白くないからです。巷で、売れてますなんて、本実際にちゃんと読みましたか? 名著だといって、買った本で人生豊かになりましたか? むしろ、こんなものただの慰めものじゃんとか、負けの正当化じゃんってもののほうが多くないですか。本の神聖化こそ嫌いです。ハイカルチャーのようです。それに、彼らのいう、労働で本を読めないのような論調の奥底にあるのは、彼らは本を読んでもらわないと儲からないというものがあるからです。ですが、彼らの本というと、別に知らなくても困らないものです。例えば、院政時代における天皇制について知ったところで、どうなりますか? あなたの人生にいつか、役に立つことになるでしょうか。歴史を知ることは確かに大切なことです。しかし、歴史とは、いつも権力に沿った歴史を語ります。歴史とは、しょせん、歴史家どもの客観性を持ったかのように見せた主観に過ぎません。考古学は、素晴らしいと思います。
 話が逸れましたが、本を読むことはいいことだと思いますが、それは、目的をもって、学ぶことがある人に必要なことで、目的のない読書は、なにも生みません。人に嫌われるうんちくを語る人に成れるくらいです。そして、本を消費しているだけなのです。
 本で、雑学を仕入れて、誰かに自慢を垂れる人間を、好きな人はいますか。はっきりいって、うざったくて嫌いです。自分で演繹したわけでもない理論をさも理解しただけで天才だと勘違いする人みたいですね。私は、本を読みたくない苦手だという社会こそ正常だと思います。むしろ、そうなってもらわなくては。不健康な文化なんて読まなくていいんですよ。それに、くだらない雑学新書読むくらいなら、自分のやっているスキルの勉強をしたほうがいいです。簿記とか。読書ではなく、目的をもって、専門分野を勉強していく人になってほしいです。読書ではなく、目的をもった勉強。

追記
どんな本でもしっかりした面白さがあれば読まれると思います。労働のせいで本が読めないなんて言うのもどうかと思います。論理的な繋がりもないですし。書き手の力不足だと私は思います。

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