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🔶私の好きな奈良:奈良時代建立の本堂が残る唐招提寺 戒律を求めた鑑真の志

唐招提寺といえば、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つです。この資産には、春日山原始林のほか6つの社寺、すなわち東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺と唐招提寺が含まれていますが、奈良時代建立の本堂(金堂=タイトル写真)が今も残っているのは唐招提寺だけです。

唐招提寺には、他の大寺院とは少し違う、特有の厳かな空気を感じる方もいらっしゃるのではないかと思います。それが何に由来するものか、創建の頃から残る建物の歴史を紹介しながら、見ていきたいと思います。


創建と概略

奈良時代、日本の仏教は隆盛の一途を辿りましたが、それに伴い勝手に僧尼を名乗る私度僧も増えていました。朝廷は、登壇受戒して具足戒を受けなければ僧尼と認めない唐の受戒制度を取り入れるべく、遣唐使を通じて唐僧の派遣を依頼しました。

日本僧の求めに応じ、日本に戒律を伝えたいという強い思いで要請に応じたのが当時55歳の鑑真でした。幾多の困難に会いながら、6回目の航海で753年にやっと日本に到着しましたが、既に67歳で、視力を失ってしまっていました。

754年、鑑真は東大寺大仏殿の前に戒壇を、763年には戒壇院を築き、登壇受戒の制度を整えました。一方で、自らは国家や政治から離れて戒律を説くことを願い、759年に新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇の皇子)の邸宅跡地を譲り受けました。

鑑真はこの地に建てた寺を「唐律招提」と称しました。「招提」とは道場を意味します。のちに勅願を賜って「唐招提寺」と改称します。

昭和35年再建の南大門から金堂を望む
扁額は称徳天皇の揮毫

以下、奈良時代から残る建物を中心に、唐招提寺の建造物について簡単に解説していきます。

金堂(国宝)

桁行七間、梁間四間、寄棟造の屋根に鴟尾を伴った堂々たる金堂は、唐招提寺の顔とも言える建物です。奈良時代の建築ですが、実は寺の創設時にはなく、完成したのは鑑真が763年に亡くなった後でした。

もともと私寺として始まった唐招提寺は、多くの堂宇が、もともとあった邸宅の改造や移築、布施としての納入によるものでした。戒律を学ぼうとする人が修行するための生活の場を優先したことが伺えます。

内部には、中央に本尊の廬舎那仏坐像、左右に薬師如来立像と千手観音立像の3体の巨像が並び、梵天・帝釈天立像、四天王立像が配されており、何とこれら全てが国宝です。

金堂は仏のための純粋な空間で、本来、人の立ち入るべきところではありませんでした。

正面には中央部分にわずかな膨らみのある巨大な丸柱が並ぶ吹放しがあります。この建物の特徴の一つですが、この空間は、昔ここから東西に回廊が延びていたことを意味しています。
人は仏の空間には入れませんから、この回廊を通じて仏堂の前に至ったものと思われます。

講堂(国宝)

金堂の北側ににある長大な建物が講堂です。
桁行七間と金堂より大きいですが、屋根は入母屋造りとなっているため講堂に比べると簡素な印象で、格式よりも実用性を重視したことが伺えます。

奈良時代の姿を残す講堂(写真:唐招提寺ホームページから)

講堂は、戒律を学ぼうとするために経典を講じる場所であり、修行に必要な場として金堂に先駆け創建時に平城宮東朝集堂を移築されました。
鎌倉時代、江戸時代に大修理を受けていますが、その際に荷重受けの蟇股(かえるまた)の部分に「東三条」「西三条九」といった墨書が見つかり、朝集堂の移築が確認されました。

平城宮内の建物の中で唯一、現在まで残っているという意味においても大変貴重なものとなっています。

経蔵・宝蔵(いずれも国宝)

金堂、講堂の東側、鼓楼や礼堂のさらに東に校倉造(あぜくらづくり)の建物が二つ並んでいます。向かって右(南側)が経蔵、左(北側)が宝蔵です。

右手前が経蔵、奥が宝蔵

校倉造の建物といえば、正倉院宝庫が有名ですね。

後の世にこの手法を真似た建築も見られますが、正規の校倉造は東大寺に3棟、手向山神社に1棟、そしてこの唐招提寺の2棟のみとされています。
なかでもこの経蔵は、この地が寺となる以前の新田部親王宅の倉を転用したものと考えられており、唐招提寺で最古の建物であるとともに、現存する日本最古の校倉造の建物です。

その他の伽藍

ここまで紹介した建物のほかに、唐招提寺の国宝建造物としては、講堂の東に隣接する鼓楼(鎌倉時代建立)があります。

鑑真が持ち帰った仏舎利が安置される鼓楼

この建物は位置的にはもともと経庫として建てられたのではないかと言われていますが、鑑真が命がけで唐から持ち帰った仏舎利を安置する「舎利殿」として使われており、仏舎利を収めたペルシャ製ガラス壺である白瑠璃舎利壺、壺を収める金亀舎利塔なども国宝です。

鎌倉時代に唐招提寺を再興した僧・覚盛(かくじょう)を偲んだ行事「うちわまき」が行われるのは、この鼓楼です。

その他にも多くの重要文化財がありますが、一度には紹介しきれませんので、今回はここまでにしておきます。

私が唐招提寺に感じるもの

唐招提寺については既に良くご存じの方もいらっしゃるかと思います。
大きなお寺ですから、一回の記事で紹介できるものではありません。そんな中で、まず最初に書きたかった事は、私自身がこの寺に感じる特有の雰囲気でした。

世界遺産、南都七大寺などに他の大寺と共に挙げられますが、もともと官寺として建てられた寺とは異なり、あくまで鑑真和上が「国家や政治の影響を受けないで戒律を説くこと」を目指し創設した寺院です。

その後の歴史においても、和上の志を引き継いで独自の道を歩んできたように感じられます。

唐招提寺に感じる厳かな空気は、そのあたりに由来するのではと勝手に考えているのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

以上、私の好きな唐招提寺について、ほんの一部に過ぎませんが、簡単に紹介させて頂きました。
出来ればまたいずれ、第二弾以降の記事を書きたいと思います。

もし関心を持たれた方がいらっしゃったら、是非訪れてみて下さい。

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