部屋

 「趣味とか好きなことについて作文書いてこいって宿題あったじゃん、どうするー?めんどいよね」

 ユリカが肩でも凝っているみたいに、ななめ上を見ながら言う。あれはなんていう木なんだろう。葉も幹もかなり風に吹かれてゆれていて、このあと雨が降るかもしれないとわたしは思った。

 「ねえ、なんとなく雨降る気がする、早く帰った方がいいかも」

 「ええっ、まじ、めんどくさ」

 ふたりとも足早になる。風で髪が顔にかかって前が見えにくい。わたしは手で髪をおさえながら歩いた。

 「じゃね、また明日!」

 家の近くまで来ると、ユリカが軽く手を振りながら右に曲がった。わたしも手を振って、急いで帰った。

 家に着くと、うす暗いキッチンにメモがあり、カレーの香りがした。

 「おばあちゃんと病院に行ってきます、帰りは17時くらいになりそうです、カレーつくってあるから先に食べててもいいよ」と書いてある。

 洗面所で手を洗って、冷蔵庫からレモンティーのペットボトルを取り出しカバンと一緒に持って部屋に行った。

 あーあ。いつまでこの和室がわたしの部屋なんだろう…。…それでも、ほとんどのものがわたしの好きなものばかりだし、机だって、あの時、お父さんお母さんと一緒にお店に行って、ほしいのを買ってもらったんだよね。

 それから少しぼーっとして、なんの気なしに部屋を眺めた。カバンを開けてファイルから作文用紙を出して、とりあえず机の上に置いた。そしてCDラックを眺めて、ストラヴィンスキーの火の鳥のCDをかけた。

 バレエができなくなってから、どれくらい経ったんだろう。

ー手術は成功しましたが、完治は難しいでしょうー

ーバレエも、やめた方がいいかもね…ー

 あの時、医師や看護師にそう言われ、目の前が真っ暗になったのを、思い出そうとしなくても、まだ時々、浮かんでくる。

 ほんとうに、今でもわたしはバレエができないのだろうか。なんの問題もなく生活できているし、体育だって、なんでも取り組めるようになった。……ここのシロフォンもっと荒々しいフォルテでもいいのになぁ……。今からまたバレエを始めるのと、あの時からずっと続けているのとでは全然違うだろうけど。もし今からバレエやってみたらどうなるんだろう……お母さんよりおばあちゃんの方がやめろって言いそうだな…。作文、火の鳥のことにしようかなぁ…。バレエはできなくなったけど、音楽は大好きになったから。

 玄関から音がきこえて、そのまま足音が近づいてくる。ほぼ走っている足音だ。またかよ…とめんどくさくなる。

 「シオリ、天気悪いんよ、コンセント抜き!」と言いながら、おばあちゃんが勝手に部屋に入ってきて、素早くしゃがんでCDプレーヤーのコンセントを抜いて、音楽も止まった。

 「ちょっと~、やめてよもう~」

 お母さんが、ごめんね、という顔をして、わたしを見る。

 「おばあちゃん、病院疲れたでしょ、あっちでお菓子でも食べましょ」

 母がそう言いながらおばあちゃんを連れて行ってくれた。

 「電気も消し!」というおばあちゃんの声が少し遠くで響いていた。

 ……そりゃ風は少し強く吹いてるけど、雨が降るとは限らないし、雷も落ちないよ…。せっかく聴いてる曲を勝手に止められるわたしの気持ちなんて、これっぽっちもかんがえてないよね。わたしは何秒か、目をつむった。

 あの時のことがまた浮かんできて、消えた。

 わたしはふたたびコンセントにプレーヤーの電源コードをさし、もう一度最初から火の鳥を聴いた。

 ほんとに、自分の部屋の意味がない、と思う。こんなこと、慣れるわけないけど、こうなったらじっくり味わって聴くんだ、わたしの大好きな曲を。このあとは何聴こう?作文にバレエのことも書いてみようかな。

 「おはよー」

 ユリカのテンションが昨日と全く同じに見えて、友達なのに「ほんとにこの人お風呂に入ったり晩ごはん食べたり眠ったり朝起きたりして今ここに居るんだろうか?」と思ってしまった。昨日と同じユリカが今ここにいるだけなのかも…?なんだかぼうっとしてきたので、何か話したくなった。

 「作文、音楽について書いてみようかと思ってさ」

 「へえ、そーなんだ、シオリ、クラシックとかもけっこう聴くって言ってたもんね」

 「昨日おばあちゃんがさ、またあたしの部屋に入ってきて、勝手にいきなりCDコンポのコンセント引っこ抜いてさ…」

 「はぁ?なんで?なにそれ、うける」

 急にこんな話をしたのに、ユリカのたたずまいにホッとした。

 「いや、あの人、雷とか雨がこわい訳。とくに雷が落ちるんじゃないかって。昨日けっこう風強かったじゃん、だから雨降るって言いだして…もう、降るわけないじゃんねー」

 「え、でもシオリ、昨日、雨降るから早く帰った方がいいっつったじゃん」

 「…そうだっけ?」

 「うん。…でもそういうのってなんかいいよねー。うち、核家族だし、夏休みとかにしか会わないっていうか」

 「あー…そうなるよね」

 わたしは言葉をかえしながらも、ユリカから初めて聞いた話をうれしく思ったと同時に、慎重な気持ちにもなった。もっと知りたい!みたいな気持ちが強くなってしまいそうなのを、なんとなく抑えた。それにしても、いつの間にかおばあちゃんと同じこと言ってたなんて…。

 「あたしも昔、おじいちゃんだったかおばあちゃんだったか忘れちゃったけど、言われたことあるよ。風が急に強くなったとか、鳥が低く飛んでるからとか、そういう時は雨が降るかもって」

 「うそ。ほんとに?昔の人はそうやって天候を読んだりしていたのかなぁ。自然への観察眼があるんだろうね」

 「ちょっと動物みたいだよね。てか、人間も半分は動物か…」

 あたまの中で火の鳥のシロフォンが鳴っていた。

 …今度またおばあちゃんが部屋に入ってきたら、どうしようかなぁ…。…そうだ…どの部屋よりも先にあたしの部屋に来るなんて、わたしのことが心配で守りたい気持ちもあるんだろうか…。……だけど、わたしもいつまでも幼いままじゃないし、わたしにはわたしの、部屋での過ごし方、自由があるんだよ。たとえ家族でも。

 「おばあちゃん、心配してくれてありがとう。あたしも雨が降りそうだなと思ったら、自分でコンセント引っこ抜いたり、電気消してみたりするよ。だからもう、あたしの部屋に入ってこなくても大丈夫だよ」って、言ってみよう。

 少し先を歩くユリカの背中に、太陽の光があたっていた。今日は雲ひとつない青空だ。

 いつになるかはわからないけど、ユリカと一緒にわたしの部屋で宿題とかできたらいいなぁ、と思った。うちのおばあちゃんに会ったら…ユリカはどう思うだろう?



 

 

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