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センセイの鞄 川上弘美

「大人の恋愛」というものを読みたくなったときに、真っ先に頭に浮かぶ小説のひとつ。

「アラサー」なんていう年代がまだおこちゃまにも思えるほどの恋愛だ。

40を手前にした主人公の女性・ツキコと、かつて高校時代の教師であった男寡の「センセイ」の恋物語。担任でも恩師でもなかったセンセイとは思い出がないどころではなく、再会の初めはむしろ誰であるかさえも思い出せなかったほど記憶から遠のいていた、いち国語担当であった人だった。

共通の酒飲みというふたりは、共通の居酒屋で、ゆっくりと時間を過ごしていく。約束するわけでもない。会った時には一緒にお酒を飲むし、タイミングが合わなければそのまま数か月も顔を合わさない。

若い二人の物語ならばこの状況で「縁のある二人なんだろう」と思ったかもしれないし、そう思ったことで薄ら寒くも感じたかもしれない。この二人は「偶然」でも「必然」でもなく、ただの常連客同士として会うだけだ。

「逢瀬を重ねる」なんて大仰なものではなく、ふたりは季節ごとにいろんなところに出かける。単にお出かけしているだけ。ツキコがセンセイに惹かれたきっかけや、センセイがツキコに「可愛い元教え子」以上の感情を抱いた経緯など描かれていない。

同じ女性としてわかるのは唯一、ツキコがセンセイに惹かれる理由である。こうなると恋愛に関しては本当に年齢は関係ないのだなと思う。ただアプローチの仕方を忘れたり、自分の言動がそのあとの未来にどう影響するかを考えたりして臆病になってしまうだけだ。センセイは、とても紳士で魅力的で、亡くなった奥様を心で想っている儚い人なのだ(それ自体は悪いことではないが、片思いしている側からしてみればやはり気分はよくない)。

ツキコのように、大人は酒に身を任せないと本音すら言えなくなってしまう。でも恋をして好きと言いたい。何度も何度も、青春時代の頃の恋愛のように。

センセイは、酔ったツキコの告白を、子どもにするようにあやして往なす。往なして、受け入れる。受け入れたところでふたりの関係性がぐっと変わるわけでもなかった。燃え上がるようなイベントがあるわけでもなかった。だけど「好きな人が自分のことを好きである」という確信が、ぼんやりと胸に灯っている。

これが大人の恋愛なのだろうか。いつか私にもわかるときがくるのだろうか。

ツキコの大叔母の台詞が印象に残っている。

 ー大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手を尽くすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。

まあこれが思うとおりにいったら、簡単なのだろうけど。

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