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ジャーナリングの効果その4(つられ鬱という言葉に出会った)

みなさんこんにちは、MANAです。

昨日YouTubeを見ていて、そのコメント欄で『つられ鬱』
という言葉を初めて見ました。
つられて〇〇になるってことですよね、多分。

見ていたのは、いわゆる社畜と呼ばれる人の動画で(その方もご自分で名乗っておられます)
朝から晩まで働きながらも楽しく生きてるよ、みたいな動画。あと社畜の人の毎日ってこんなに辛いんだということを『見せる』ための動画だと思ってました。
きっと同じような働き方をしている方もいて、その方達からの温かいコメントなんかもあって。
チャンネル登録者数が多いのに、人柄が良いせいか民度の高いチャンネルだなーすごいなーと思って見てました。ファンと呼ぶには烏滸がましいくらいの閲覧頻度だったのですが、大方の動画は拝見しました。

ですがどうも最近、投稿者様のメンタルを心配するコメントが増えてきていて。エンディングでは辛い生活のなかでも頑張りますというような明るい終わり方をしていたんですが。最近は辛い言葉を残しながらのエンディングが多いなとは思ってました。

わたしは動画に対するコメントを読むのが好きで、どんな動画もコメント欄を見るのですが、その中で
『最近の動画は見ているとつられ鬱になりそうです』
というような趣旨のコメントがり、なるほど確かにそうかもしれないと動画を思い返してみて思い当たる節があるなと気付きました。

ファンだからこそ、投稿者様のことを心配されているのだと思います。
同じ働き方をしてる方たちに温かい言葉や励ましの言葉で締めくくることが多かったので、きっとその方達も心配されているのだと思います。

わたしはその時気づきました。
つられ鬱というのは、きっと投稿者様の日常に自分の思考が重なってしまうことだろうと。相手の気持ちを理解するという意味ではとても良いことだと思います。しかし、自分のメンタルをしっかりと維持するには、同じ気持ちになってしまうのはとても怖いことではないでしょうか?

よくいますよね、会社のなかで誰かが上司に怒られていると自分も怒られているような気分になってしまうこと。
以前のわたしもそちら側でした。

ですが、今はちょっと違います。
例えるなら、映画を見てるような感じです。画面越しにその状況を見ているかのような感じ。
感情移入しようとすれば出来ます。だからつられ鬱という言葉が全くわからないわけではないです。でも『しない』という選択をしているので、しません。

これが、思考と現実を分離することなんだなとハッキリわかりました。
全然話変わるんですけど、今『進撃の巨人』見てるんですよ。
アニメが始まった当初、コミックも含めて見てたんですが余りに辛くて、そして難しくて見るの辞めちゃったんです。
アニメが始まったのが2013年。30歳くらいの時ですね。そこから10年。あの頃は見れなかった映画が今は見れることが増えました。

例えば、弱い自分を受け入れるシーンだったり。
出来ないことを批判されるシーンだったり。
現実を直視するシーンだったり。

自分にとって辛いなと思う要素があるシーンや映画は見れなかったです。
けど今は違います。ちゃんと距離を取って、映画として見れます。
これがジャーナリングを続けててよかったなって思うことの一つです。
いや、大部分を占めてるかな?

これができるようになると、人との距離がいい感じに離れます。
課題の分離ができるようになるってことですね。
ここまではわたしが何とかできるけど、ここからは相手の問題。
そうすると人に何か言われても「ふーん」という感じで流すことができます。それが自分が受け入れるべき意見なんだったらちゃんと受け入れます。けど、時々自分の我を通したくて喚き散らす人いるじゃないですか?
そういう人からは身を守れます。

ただ毎日自分の感情を書き出すだけでこれが手に入るのならやる価値あるなーって思います。
もし何だか生きづらいって感じているのなら、やってみてほしいです。

今日はこの辺で。
また次の記事でお会いしましょう!
明日は大腸検査だー!!

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