Jk、2021年のカメラで振り返る「備忘録」
明けましておめでとうございます。オーキッドです。年末の振り返りもできずに明けてしまいました。
2021年はnoteで記事を書き始めた年でした。そして、波瀾万丈の年でした。高校受験、引っ越し、鬱病発覚などと色々なことが起きた年でもあり、その一方で、自分が今一番したいことを見つけられた年でもありました。note、フォトグラフィー、歌と新しいことにも挑戦できました。私の故郷でもあるタイとお別れをし、10年ほど暮らしたことがなかった日本にやってきました。何もかもが新鮮で、価値観や考え方が合わなかったり、自分は本当に日本人なのだろうかと自問自答することも沢山あり…2021年は私の人生においての分岐点を通った年です。
2021年、写真と共に振り返りたいと思います。
2021年 1月
2021年の始まりは、タイでの初詣から始まりました。お寺に行き、おみくじを引いたんです。そしたら、おみくじに中国語とタイ語で「今年は色々な至難が待っている。」と書かれていました。本当に今思えばその通りでした笑
2021年 2月
2月は自分の書いた本が出版化された月でした。念願だった中華街にも行けることが出来、コロナ禍でリフレッシュすることが出来たな…
2021年 3月
3月は…「別れの月」でした。沢山の友人や知り合いが日本に旅立っていきました。この当時、日本に私も帰らないと!と焦っていた自分がいた気がします。
2021年 4月
コロナ禍であった為、旅行に行くか行かないかで家族討論が行われた後、細心の注意を払って、タイのプーケットとコーヤオヤイに行きました。
2021年 5月
5月はTOEFLと闘争していました…コロナが原因でTOEFLを会場で受けられることはなく、Home Editionと呼ばれる自宅で試験会場と同じようにTOEFLを受けられるサービスを利用しました。
2021年 6月
6月は試験もオンライン授業も終了したので、友人4人(フランス・タイ人)(ブラジル人)(スイス・タイ人)(イギリス人)を呼んでモデリングをしてもらっていました。この頃ぐらいだったかな、カメラに興味を持ち始めたのって。
2021年 7月
7月は15歳だった私にとっての分岐点となりました。タイで何も挑戦の出来ない環境から抜けたくて、日本に帰るという決断を…7月12日に決断をし、7月31日にタイを離れました。帰国のフライトを決め、船便と航空便をたったの2週間で出したという慌ただしい月でした。家族には感謝しかないです。
2021年 8月
↑寮から見えた景色
8月はコロナ隔離だけで終わってしまいました。帰国してから2週間、そして寮に来て、2週間。合計、4週間。この期間で、私はしみじみと私は日本に来てしまったんだなと感じることが出来たのかも…と今は思えます。
2021年 9月
高校生活の始まりを告げた月でした。新生活の出だしは不安でいっぱいでしたが、高校の仲間が優しくて、フレンドリーで、自分の考えがあって、皆個性豊かで「この学校に来れて良かったな。」と心から思っていました。
2021年 10月
10月になるとお散歩しやすい天気となり、カメラを持ってキャンパスの周りを探検するようになりました。マニラ、シンガポール、東京、バンコクで育った私にとって、朝起きたら山や森が見える生活は心躍るものです(^。^)
2021年 11月
紅葉の季節…黄葉の落ち葉を踏むとクシャリ、パサパサ、カサカサと音がして初めての経験でした。11月は、自己否定、自傷行為、自己同一性の喪失などと精神的な苦痛に悩んでいた時期でもありました。
2021年 12月
冬休みが始まり、初のアルバイトに挑戦出来た月でした。働くことの大変さを痛感しました。新年は、母の実家で迎え、今年、年女の95歳の曽祖母にも会うことが出来たな… 95歳か…人間ってすごい。
以上、2021年のJk備忘録でした。
2021年は沢山の人々に救われ、私なりに成長できた歳となれました。今年、2022年はnoteを通して、誰かの心の支えになれたら良いと思っています。ありがとうございました。
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