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演技論ゼミの発表原稿 宝塚歌劇の演技について

さて日本の非リアリズムな演技について色々読んできたこのゼミで今回から宝塚の演技についてみていくわけですが。何から書いたらいいだろう。単なる一ファンにしか過ぎない、しかも生の観劇はたった 3 回でしかない私に一体なにが書けるというのだろうか。 また前回、前々回の歌舞伎やお能に比べて調べれば調べるほど、演技についての部分は 他の現代演劇との差が分からなくなってきてしまい。なんじゃらモンジャラ考えたのです が、一応私も小劇場では役者の端くれであるので、あと自らは女性で男性の役をいくつか演 じたこともあるので、そういった実際の現実社会における自分の属性と違った役を演じることについて発表したいと思います。


さて私の最初の宝塚観劇体験は 2013 年の月組公演『ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編―』でした。まず初めに幕開けに芝居が始まる前に歌と紹介?(漫画だったら豪華な扉絵みたいなもの)が始まり、衣装の華やかさ、人の多さ、電飾やそのほか諸々のキラキラと光る衣装、小道具、大道具。オーケストラの生演奏に度肝を抜かれ。「なんだこれは、すごい、すごくキラキラしてる、あまりにもキラキラしている、とりあえずまず物理的にキラキラしている」と衝撃を受けているうちに芝居がはじまり、明日海りおさん演じるアンドレに心奪われておりました。そして最後にアンドレが撃たれて死ぬ前にオスカルに向かって歌ってから死ぬところにも衝撃を受けました。でもすっかり夢中になりその後明日海さんが 花組でトップに就任した際の『エリザベート』や、伝説的な少女漫画の名作である『ポーの一族』の上演には馳せ参じたのでありました。


さて宝塚歌劇団の演劇の特徴をまずまとめると 

・宝塚音楽学校を卒業した未婚女性のみで歌劇とレビューショーを演じている劇団

 ・女性が男性の役を演じる 

・劇団内に「花」「月」「雪」「星」「宙」の組み分けがあり。それぞれの組ごとに芝居とショ ーの上演をしている。(小劇場の感覚だと組ごとに一個一個の劇団みたいな感じがする) 

・それぞれの組にトップスターがいる


特に女性が男性の役を演じる。というところは皆さんご存じのところかとおもいます。二枚目の主役がトップスターの役どころでありその姿は大体想像できるかと思いますが、芝居に出てくる登場人物は二枚目のイケメンばかりというわけではないので、おじさん役や長老的な役などもすべて女性が演じています。『こう見えて元タカラジェンヌです』の著者の天真みちるさんは花組でこういった、おじさんの役をメインで演じていた方です。 かつらやひげ、もみあげなどのヘアメイクの工夫などを読んでいて、そこまで詳細に書かれているわけではなくてもとても工夫があることが偲ばれて興味深かったです。 

またメーキャップだけではなく大先輩の父親役を演じることになるなど普段の関係性とまるで違う関係を役の上でやることになりとまどう話。『黄金の砂漠』でとても優しいおじさんを演じた際に役の優しさと自分の優しい感じの共通する部分と違いを発見した話。『ポ ーの一族』で非常に意地の悪いおじさんを演じて、普通にしていると優しい感じになってしまうことに悩むなかで自分が人を傷つけることをしないように不快にさせるような言い方を封印していることに気づき、相手を傷つけることを意識して演じるようにした話など
読んでいてとても興味深く思いました。


しかし、こういった話を読めば読むほど演じる際の苦労や工夫は最初に書いたように他の現代演劇、リアリズム演劇との差が分からなくなってきてしまいました。
俳優が登場人物を演じるときに難しさを感じるのは俳優本人の現実社会での属性と登場人物の距離よりも、生活の中での感情の出し方の癖の役とのミスマッチや普段は出さないようにしている感情や表現を現わさないといけない場合だなということは実感をもって感じます。


しかし、普段自分自身が自身に禁じているような意地悪な表現をひとたび演じられるようになると(ガードを一時的に外せるようになる感覚)それは非常に演じていて楽しく感じられる気がします。『MESSIAH』の踏み絵を踏ませるシーンを楽しんだ話などはまさにその楽しさだと感じました。


そしてそう考えたとき人間が共感する、または共感はせずとも不自然に感じない情動にはそれほど性別や人種やはたまた人間であるかないかということは関係がないのではないかという気がします。そして舞台上では俳優は実際の社会的な属性から離れて異性でも、動物でも、妖精や吸血鬼、幽霊を演じることが実際可能です。また実生活では優しく人を傷つけたくないという人が冷酷な悪人を演じることもできるのです。


そういった自由さ、人間というものが人間社会に産み落とされ周りの環境に決められている自分の属性から離れてもその人として在りうるということを実感できるからこそ演じることはとても面白いと私は思います。そして宝塚歌劇団含む非リアリスティックな演劇はそういった自由さをめいっぱい感じさせてくれる場だと思うのです。

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