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創作文章の可能性「上手い文章ってなんだ?」クリエイティブ・ライティング


講演会に読者の方がやって来て「文章教室を開いてもらえないでしょうか?」と頼まれたことから始まった創作文章講座。

最初は「みんな何を知りたいんだろう?」くらいに思っていた。

ずいぶん昔、まだ作家としてデビューするずっと前のこと。マガジンハウスのО編集者に「小説を書く場合にはまずプロットを作り……起承転結を考えて……」という、めちゃオーソドックスなレクチャーを受けた。

そんな書き方は絶対に無理!と思った。
プロットを考えてそれ通りに書くなんて、それでは書く楽しみがない。自分が何を書くかわからないところが面白いのに……と思った。でも、そんな行き当りばったりの書き方では、長編なんて一生書けないのかもなあ……とも。

物語は起承転結と言うけれど、「起」って最初に持ってくるとちょっとだるい。転結起承転くらいの構成のほうが楽しいんじゃないか? 結で終わらせなくてもいいんじゃないか?とかとか、とにかく教えられた通りに書かなかったし、結果として自分のやり方でデビューしたのでそれで良かったと思っている。

あと、林真里子先生の担当編集者だった方にお会いしたこともある。それもデビュー前、まだ20代後半だった頃。当時、華々しくベストセラーエッセイをぶちかまして文壇に切り込んできた林先生はすでに雲の上のお方だった。
その編集者の方はこう言った。
「あのねえ、林さんは普通の人じゃないのよ。脱ぎっぷりというか、それはもうすごいの。普通の人がいくら文章が上手くても、そう簡単に作家になれるってもんじゃないから。あなたが文章が好きなのはわかったけれど、それはそれ、これはこれだから」

……というわけで、私はことごとく「そう簡単に作家になんかなれない。まずは新人賞を……」みたいなアドバイスを与えられ続けたので「こんな私が新人賞なんかとれるわけないな。なにしろまとまった作品すらろくに書いたことがないし、プロットも立てられない。こりゃ無理だな。まあ、あこがれの職業だけど、あこがれはあこがれ、そんなもんかもな」
くらいに思っていた。

よく「子どもの頃から作家になりたかったですか?」と聞かれるのだけれど、本が好きな子どもで作家になりたくない子なんているのか? そもそも夢のような現実感のない職業だから、私にとっては「大きくなったら魔法使いになりたい」と同じようなものだったのだ。

私のデビューは、インターネットの黎明期、メールマガジンの登録読者数が10万人を超える頃に「ネットコラムニスト」という肩書きをメディアの方々から与えていただいたことに端を発する。

朝のワイドショー的な番組にコメンテーターとして初めて出演した時、司会だったテリー伊藤さんに「田口さんは、ネットコラムニストなんですよね?」と言われて、「え、そうなんですか?」と聞き返していた。自覚がなかった。

そのうちに本の執筆依頼が来るようになった。いまや、誰でもnoteなどで簡単にコンテンツが売れるけれど、素人の自分がお金を取るなんておこがましいという古い価値観にとらわれていたので、私のメルマガは無料だった。一銭にもならないが。書くのが楽しいので書き続けていた。

読んでくださる人がいるなら無料でぜんぜん良かったし、読者から感想が届くのがとっても励みになった。インターネットが始まったばかりのころで。ネット媒体自体が少なかったから購読者数はどんどん増えて。10万人を超えると社会的な影響力が出始め、いろんなメディアで取り上げられるようなったけれど、私は素人だった。

今思うと、自分でマーケティングをして、コミュニティを作ってデビューしたわけだからなかなか先進的だった。

自分も素人で、ネットで文章を書いているうちにデビューしたので、私じゃなくても、誰でも作家になれるだろうと思っている。noteを見回せば上手い人はたくさんいる。とにかく文章が達者な若い人が多い。私よりずっとうまいじゃん……と思う。違いはそんなにない。

ただ、初期設定の微妙な違いが未来に大きな影響を与える「バタフライ・エフェクト」みたいに、ほんの少しの差が人の運命を分けているのだと思う。よってヒットが出るかどうかなんてお天気のように予測ができない。長期予測など不可能に近い。だとしても、カオス理論でいけばそこにはある種の法則性を見いだせるはずだ。ヒットする可能性はある。

■文章の上手さってなんだ?

世の中、こんなに文章の上手い人が多いのだから、もはや文章の上手さとは、文章力うんぬんってなことではないと思う。

人の心をぐっと掴む……これっきゃないだろう。

そういう文章ってどうしたら書けるのか? を自らを振り返って考えてみた。そもそも、自分の心が作品に鷲掴みされていることが大事だ。自分が感じている臨場感が、読者の臨場感と共鳴していく。ドキドキしながら書いた文章は、やっぱりドキドキする。

書く側の「書きたい」という衝動や、「ぎゃー!クソおもしろい!」というテンションの高さが、文章力よりも重要だ、というのが私の考えだ。乗り気じゃない状態で書いていた文章は、やっぱ退屈だ。経験的にそう思う。

だったら、乗り気にさせてみたら誰もがすんごく面白い文章を書いてしまうんじゃないか?という、仮説を立てて、それを実験してきたのが、私の「クリエイティブ・ライティング講座」だった。

大事なのは乗りとリズム。リズムは書き手の心の状態と呼応する。文章にはその人固有のリズムが存在する、それを表現するためには考えないこと。夢中で書くほうがいい。夢中になって書くためには、時間的制約や、どうしても書きたいという衝動が必要だ。

■素人のリアリティは怖い

そんなこんなで、かれこれ6年くらい講座をやって来た。不定期で開催してきたのだけれど、やっていくうちにあまりにも受講者が上手くなるし、面白いものを書くものだから、もっと書かせてみたくなって、みんなを夢中にさせることが快感になってきた。

素人は、やっぱり面白い。粗削りで勢いがある。武骨なリアリティがある。精密画のようなリアリティじゃなくて、木偶人形が不気味さを放つ、そういうリアリティだ。

ひとたび自分のテーマを発掘すると、人は書く。びっくりするほど書くし、早い。「え?こんな短時間にこんなに書いたの?」と呆気に取られる。なんだろう、火事場のバカ力みたいなものってあるんだね。人間の可能性って、ほんと無限だ。

その奇跡みたいな瞬間に立ち会うのが面白くて、続けてきてしまった。たぶん繰り返し参加している受講生も、自分以外の誰かが変貌する様子を見るのが不思議かつ愉快で参加しているんじゃないかと思う。

■違う自分は周りから恐れられる

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勢いとリズムで書いています。文章のプロなので読みやすいはずです。不定期ですが、最低、月2回は更新します。

「ムカっ」「グサっ」「モヤっ」ときたことを書いています。たまに「ドキっ」「イタっ」「ホロっ」ときたことも書いています。読んでハッピーになる…

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