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「沈黙の艦隊」とレオ・シラード(後編)

3日前、ネットフリックスで「アインシュタインと原爆」というドキュメンタリー映画を観た。

晩年のアインシュタインが日本人記者に原爆製造に関する責任を質問される。彼は否定するが……唯一の間違いとして「ルーズベルト大統領に宛てた手紙に署名した」ことを語る。
そのシーンに挿入されたモノクロ写真、アインシュタインの隣に写っていたのがレオ・シラードだ。

でも、この映画の中にレオ・シラードの名前は一度も出て来なかった。

アメリカがナチスの前に核兵器の開発に取り組んでほしい……、手紙の文案を作ったのは物理学者のレオ・シラードだ。アインシュタインは彼に説得されしぶしぶ署名した。一亡命科学者だったシラードは、自分には影響力がないと理解していた。大統領を動かすために世界的な知名度のあるアインシュタインの署名を使ったんだ。

彼は日本では無名の科学者で、ドキュメンタリー映画でも無視される存在。でも、シラードはいま見直されるべき男なんじゃないか?そう思ってこれを書いているんだ。

シラードってのは実に図太い男で、いかなる権威を持っている要人にでもがんがん手紙や嘆願書を書いて送り続ける。相手が期待する態度を取らない天才で、失礼なのにユーモアがあって憎めない奴だったらしい。人と違うことをいとわない。信念を持っていてめげない。言葉を変えれば空気が読めない思い込みの激しい男だ。

思い込みが裏目に出たのが「ルーズベルト大統領への手紙」だ。彼はナチスが原爆を開発すると思い込んでしまった。それくらいナチスは彼にとって脅威だったんだろう。

まさか、自由の国アメリカが広島市民の上に原爆を投下するとは……、シラードの読みは甘かった。手にしたら使わずにはいられない、そういう武器だったんだな、原爆は……。

原爆開発に関わった科学者の中にソ連のスパイがいて、原爆の製造方法はあっけなくソ連に渡った。
1949年ソ連が核実験に成功すると、世界は本格的に核の時代へ突入。米ソは競い合うように核実験を繰り返した。地球上に鉄のカーテンが現れ資本主義と共産主義の陣営に分かれて対立が激しくなった。

1950年に共和党議員のマッカーシーが「共産主義者が国務相の職員として勤務している」と告発したのをきっかけに大規模な共産主義者探しが始まり、ソ連のスパイとしてさまざまな人間が捉えられ裁判にかけられていった。シラードはこの時期、分子生物学に転向し、発言らしい発言はしていない。シラードがなぜ共産党員として疑われなかったのか。ナチスを逃れて生き延びたシラードは用心深かったんだろう。ちなみに原爆の開発を指揮した優等生のオッペンハイマーは、ロシア人女性とつきあって投獄されている。

アメリカ政府は原爆製造方法を盗んで開発したソ連をナチスと同じ悪と見なした。核への脅威と不安からロシア人を嫌悪するアメリカの世論が一気に広がったんだ(核の恐ろしさを一番知っているのもアメリカ。そして最初に使ったのもアメリカ。だから核を一番恐れる国になった)。

ロシアを敵と見なす世論の危険性をシラードは後にこう指摘していた。「アメリカ対ソ連という対立の構図で、両者の善悪を問うのはナンセンスだ。私欲にからみとられた両者が国際関係のもつれのなかでお互いを攻撃しあっているだけ」

ロシアの指導者はナチスのような国家的自殺をとげる輩ではない。交渉と和解の予知があるはず。……そうシラードは考えていたのだが、もちろん、彼のような人間は少数派だ。その当時、アメリカに吹き荒れた共産主義者狩りの嵐は、アメリカと同盟を結んだ日本にもやってきた。
それが、日本の原発導入へと繋がっていくのだけれど、その話は長くなるので今回は省くよ。
 

核が日本に対して使われたことに、シラードは責任を感じていた。彼は自らの責務として戦後もずっと核の時代の世界の平和について理想論を抜きにして現実的に考え、行動した希有な科学者なんだ。

シラードは考えた。アメリカとロシア。二つの超大国を政治的な和解に近づけるためには、どうしたらいいか。核兵器は人類を滅亡させうるという危険性の認識だけでは弱い。軍縮が経済的にも国益に繋がることを訴えねば。

たとえば……、戦争によって成長したすべての軍事産業を平和的産業に転換していくというのはどうだ?

その補償を現行の軍事費から捻出し、数年に渡りその補償を受けつつ、軍事産業関係者は新しいキャリアに向けてトレーニングを進めれば、軍人も軍縮に納得するだろう。

軍縮が、国内生活水準の向上、国益の増加につながればよい。
軍縮は儲かる!と政府に教えるのだ。

事はそう簡単ではないのだが、とにかくシラードは考え続けた。どうやったら国が、そして国民が軍縮に前向きになるかを……。

軍備縮小は米ソ両国の政治的合意のもとで進めなければまったく無意味だ。国際社会の安定のために、国連というクッションをどう機能させるか。小国に対して大国が予測不可能な形で単独干渉するのをどう抑えこむか……。

そうだ。小国が自分たちの地域統治できる能力を保ちながら大国を牽制できる柔軟で非中央集権的な国際機構をつくればいい!
さまざまな国によって管理される地域警察軍を作るのだ。

この考え方って、「沈黙の艦隊」の海江田艦長と似ていないかな?核を持てない日本がアメリカやロシアをけん制できる非中央集権的な国際機構……それが「やまと国」であり「沈黙の艦隊」として描かれていた。この漫画の連載が始まったのは1988年。シラードの没後およそ20年後だった。

1950年〜60年代当時、シラードのアイデアは、社会からまったく相手にされなかった。またあの変人の男がばかげた事を言っている。そんなのは夢物語だ……と。議論は常に「核は必要悪だ」か、あるいは「核は廃絶すべきだ」という極論の対立になった。具体的に、柔軟に、長期的に、人類が核と共存する道を模索する者は少なかった。シラードは才能豊かな変人。枠にはまらない不思議な人物。晩年には持論を展開する小説まで書いたんだよ。

 シラードが考えた軍縮のための三原則を簡単に説明するね。

1.両国の兵器はおおむね対等か均等にすること
2.両国は裏切りに対する保険として核兵器を一定の割合で持ち続ける
3.各国の市民や科学者による核の完全なる監視システムを作る

この意見は「核兵器を容認するもの」として、反核を訴える人々から糾弾された(というより相手にされなかった)。当時「核廃絶」は世界の悲願だった。核を均等に持つことを容認するなんて、ありえない!

でも、現実はどうかと言えば……超大国だけではなく核を持つ国はどんどん増えていった。だって「核」を保有した国はそれによって優位に立てる。なぜアメリカとソ連だけが核を保有できるのか? こっそり核を作る国が出てきたのは、シラードが死んだ後のことだ。

シラードは、核保有国の核バランスの均等を維持しながら、対話を進める……という自説を実現するために自腹で奔走した。

1959年には、ソ連のフルチショフ首相に手紙を送り、ロシア人とアメリカ人科学者が出会う場を作っていく計画を提案した。フルチショフ首相はこの風変わりな科学者をどう思ったのか。ロシア側の思惑はわからないが、シラードとフルチショフの交流が始まった。

1960年、シラードはニューヨークに来たフルチショフと個人的に会談する。全米で反ソ連の嵐が吹き荒れているような中、ソ連の首相に会いに行くのもすごいが、会えるのもすごい。この男は怖い者知らずの勇者か、ただのアホなのか。

フルシチョフと会ったシラードは、ホワイトハウスとソ連のクレムリンをつなぐホットラインの設置を提案する。当時のシラードは無名に近い貧乏科学者。そんな男が米国大統領とソ連の首相の間に直通電話を引くように提案したのだ。

おくびれることなくソ連連邦の第一書記長に和平について語るシラードに、フルシチョフは呆れたし、ほとんどの提案は笑い飛ばされたが、シラードの情熱はなぜかフルシチョフに伝わったらしい。なんと、非公式な米ソの科学者会議に関しては承諾を得られたのだった。

後にホワイトハウスとクレムリンの間にはホットラインが引かれた。両国の指導者の間に直接やり取りをする回路が生まれたのは、もしかしたらシラードの提案が一石を投じたかもしれない(定かではない)。

シラードは止らない。コミュニケーションの回路ができなければ、世界は軍拡の悪循環に陥る。国際問題を政府だけにまかせておいてはいけない。幅広い民間からのサポートが必要、市民を巻き込むのだ。

1963年、シラードは国際コミュニケーションの必要性をアメリカ全土に訴える講演ツアーに乗り出す。米ソの冷戦から抜け出すために寄付金を募り、同じビジョンをもつ政治家を支援。シラードが支援した政治家ジョージ・マクガヴァンは当選を果たした。

キューバ危機の時は、政府の対応に怒ってケネディ大統領に手紙を送った。シラードはいったい人生でどれくらいの手紙を書いたんだろうか。嘆願書、申請書、親書……。言葉で、行動で、訴え続けることを辞めない人だった。

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