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珈琲温故知新

店主は言った。

恋は何にでもそうであって、
秘めたるもの。

人であっても、物であっても、事であっても。
最初から最後まで、ついには語る事なく終わることもあるだろう。

それでも思い続ける事ができれば、
それは形あったと言えるのかもしれない。
もしかしたら誰かが気づくのかもしれない。



こんな話しにもなった。

紅茶のルーツだが、当時世界をまたにかけ活躍していたある貿易会社が、茶葉を輸送していた。何ヶ月も海を航海して陸に着いた頃には、茶葉に潮がかかり緑葉のそれは茶色く発酵していたそうだ。
茶葉は当時貴族にのみ流通される高価な品。
発酵によって更に香りを変化させて、西洋の上流階級の心を虜にしたのだ。


かたやコーヒーの成り立ちは、アフリカのあるところに青年が赤く実の成ったコーヒーの木の下に小屋を構えて生活していた。
ある時その小屋は火事になった。
焼け跡から見つけられた珈琲の生豆は煤を纏い、黒く艶やかに不思議な香りを放っていたそうだ。
煎じて飲んでみると不思議と眠気が冴える。
イスラムの寺院では薬同様、門外不出の貴重な物として重宝されていったそうだ。
コーヒーの香りに包まれながら、深い教えを熟練していたであろう。まさに知と共にある飲み物なのだ。

珈琲の日本での文化に純喫茶なるものがあるが、やはり古くから多くの文豪は珈琲と共に生活していた。
珈琲の煙と薫りで店内の調度品は熟成された色になる。
間接照明と薄暗い店内に入り込む陽の光のもとで、煙草を燻らせ、文字に思いを馳せながらゆっくりと珈琲を嗜んでいたのではないだろうか。

半世紀近く喫茶店を営む店主の言葉に、縁を感じた。

自分で作った詩織をお客様に渡して、何かいつもと違う、またはいつもと同じ様に言葉を贈るそうだ。

珈琲のもつ力をいつも信じている。
でもあくまでそれは自分から作り出すものではなくて、三者三様が組み合わさってできる何かなのだろうと。
それぞれがわざわざ言うこともなく、珈琲の煙の中に秘めた瞬間なのかもしれない。
恋…か。
温故知新。新しい学びを記してみた。





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