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コミュニズムに可能性はあるか?

コロナ禍の不況にもかかわらず、世界的に見て富裕層は資産を増やしているらしい。

富裕層はますます富を蓄え、貧困層はますます生活が苦しくなっていく。

この現実に、ぼくらはどう向き合えばいいのか?

新型コロナウイルス感染症が発生した当初、この新たな感染症は人々を平等にするかのように思えた。

しかし現実に起きているのは、格差社会の拡大である。

残念ながら感染症は平等を実現する救世主ではなかった。

不平等な社会が厳然として目の前にある状況に、ぼくらは戸惑っている。

ぼくらはいま、資本主義社会の矛盾に直面しているのだ。

資本主義の超克

感染症対策の強化と経済的豊かさ(少なくも短期的な豊かさ)は、トレードオフの関係にある。

国が緊急事態宣言に慎重であるのは、感染症対策を強化すれば豊かさは減少し、感染症対策を緩めれば豊かさは増加するからだ。

しかし実際には、感染対策を強化しようがしまいが、富者はますます富み、貧者はますます貧するという状況が生じている。

実のところ感染症への徹底した対策が貧困化を招くのは、私たちが資本主義の枠内にいるからであり、私的所有を大幅に相対化することができれば-言い換えれば主要ないくつかの財に関してコモンズ(共有)を導入できれば-、困難を克服できる。

こう指摘するのは、社会学者の大澤真幸だ。

大澤の近著のタイトルは、ズバリ『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』である。

帯にはデカデカと「いかにして資本主義を超えるのか?」と銘打たれている。

20世紀は、コミュニズムの勃興に始まり、その崩壊に終わった1世紀だった。それは資本主義に対するコミュニズムの敗北とも言われる。

コミュニズムとは、日本では共産主義と訳されており、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす思想である。また、共産主義社会を政治的に実現しようとする運動である。

その象徴がソビエト連邦(ソ連)だ。

1917年のロシア革命を契機とした建国から1989年の崩壊に至るまで、ソ連は資本主義ではない社会を、すなわち社会主義社会や共産主義社会を志向していたとされる。

それが失敗に終わったものだから、コミュニズムは手垢にまみれた言葉となった。

少なくともこの30年は、多くの人がそう考えてきた。

いま思えば、経済成長が鈍化し、デフレ不況の渦中にあったこの30年は、資本主義以外の選択肢を剥奪されたという点で、二重の意味で“失われた30年”だった。

しかし、ここに来て資本主義に変わる社会の実現、すなわちコミュニズムの実現の可能性についての言及が目立つようになっている。

いまやその代表者とも言えるのが、若きマルクス研究者の斎藤幸平である。

斎藤はベストセラーとなっている著書『人新世の「資本論」』で、「脱成長コミュニズム」なるものを提唱している。

「脱成長コミュニズム」とは何か?

「脱成長コミュニズム」とは、私的所有を超えたコモンズを軸とした社会である。すなわち、生産手段をはじめ地球そのものさえもコモンズ(共有地)として管理する社会である。

しかし、それであれば20世紀コミュニズムと変わらない。

「脱成長コミュニズム」が新しいのは、その名の通り「脱成長」、経済成長からの脱却を特徴としている点である。

具体的な行動提起は、以下の5つである。

❶「価値」から「使用価値」重視の経済への転換
❷労働時間の削減
❸分業廃止
❹生産過程の民主化
❺労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視

加速主義ではなく、減速主義を革命の根幹に据える。それは、大量生産−大量消費モデルの消費主義とは手を切って、人々の繁栄にとって、より必要なものへの生産へと切り替えていくことだ。

斎藤は、脱成長にこそ、人新世(人類の活動が地球全体を覆い、影響を与える時代)の21世紀に必要とされるコミュニズムの姿を見ているのである。

コミュニズムの課題

コロナ禍が突きつけた人新世の危機への対抗策として、「脱成長コミュニズム」が有効であることに大澤真幸も同意する。

そのうえで、「脱成長コミュニズム」に暗い影が入るとの指摘も大澤は忘れていない。

「脱成長コミュニズム」は、どうしても自由の制限を含意しているとの指摘だ。

20世紀の末、資本主義が勝利を収めた最大の理由は、それが自由を個人に与えるシステムであったことだ。

対するコミュニズムは、この自由に制限を加える。

この点で、「脱成長コミュニズム」には息苦しさが伴うのだ。

では、「脱成長コミュニズム」何のために自由に制限を加えるのか?

それは「未来の他者」のためである。

とはいえ、ぼくたちにとって「未来の他者」とは遠い存在である。

子どもや孫を持つ人であれば、「未来の他者」を近く感じるかもしれない。

しかし、「未来」が50年先、100年先のことであれば、どうだろうか?そこまで想像を広げていくことは難しいだろう。

けれども、格差社会を乗り越え、生命のための持続可能な地球環境を創造するためには、未来に生きる他者への配慮が不可欠だ。

「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」(マルクス)で困るのは、現在を生きるぼくたちではない。「未来の他者」だ。

ぼくたちは「未来の他者」に出会えるのか?

これが最も重要な問題だ。

資本主義がいずれ終わることは誰もが知っている

「未来の他者」を現在を生きる視座に取り込めるかという問題に対する大澤の回答は、「絶対知」により可能となる、である。

絶対知とは、知の最高段階であり、「知の知」のレベルに到達することである。

「知」には、次の4つのレベルがある。

❶無知の無知(知らないことを知らない)
❷無知の知(知らないことを知っている)
❸知の無知(知っていることを知らない)
❹知の知(知っていることを知っている)

このうち、「知っていることを知っている」という「知の知」こそが、知の最終段階なのだ。

資本主義における絶対知とは、「資本主義の死」を受け入れることであり、そのうえで「来るべき社会」を創造することである。

わかりにくいので例を挙げよう。

ぼくたちは自分のことを不老不死だと思っていない。しかし、日常生活の中で、あたかも自分は老いて死にゆく人間であるということを自覚していないかのように振る舞っている。知っていることを知らない状態。これが「知の無知」である。

資本主義における「知の無知」について、この例から考えると次のようになる。

ぼくたちは地球が始まった時から資本主義があると思っていないし、ましてや資本主義が永久に不滅な社会システムだとも考えていない。しかし、現代社会では、あたかも資本主義社会が永久に続くと考えているような振る舞いを続けている。

大澤が言いたいのは、資本主義を続けていれば、遅かれ早かれぼくたちは「知の知」の段階に到達するということなのだ。つまり、資本主義の終わりを自覚し、来るべき社会の必要性を受容するということなのである。

だって、すでにぼくたちは「資本主義の死」を「知ってはいる」のだから。

大澤はいう。

もし利潤率がゼロになってしまえば、資本主義は成り立たない。したがって、利潤率の傾向的低下の法則は、資本主義は、その破綻へと徐々に向かっているということを示している。言い換えれば、資本主義は、その内部から、自らの外部へと出て行こうとするダイナミズムが働いているということになる。-太字強調は引用者

資本主義には寿命があり、資本主義の矛盾はそれが終末期に差し掛かっていることを物語っている。

とすれば、残された問題は、資本主義の終末期の過ごし方だ。

❶資本主義の終わりを考えないようにする
これは未来を考えているようで考えていない状態だ。現在偏向的、過去志向的になる。だが、現場維持は社会の矛盾を拡大するだけだ。

❷暴力的に資本主義を終わらせる
過去と現在に盲目になり、未来偏向的になる。だが、うまくいった試しがない。

❸資本主義の終わりを受け止め、次の社会を構想する
過去、現在、未来のバランスをとろうとする。うまくいくかどうかは未知数。

少しでも可能性のある選択肢❸を積極的に選ぶためには、「未来の他者」を現在に召喚しなければならないのだった。

けれども、「未来の他者」は遠い存在だった。

遠い存在である「未来の他者」を現在に召喚するためには、「資本主義の終わりを受け止め、次の社会を構想する」ことが必要だった。

堂々巡りの議論に解決の糸口を見出すとすれば、それは「わたし」だ。

かつて「わたし」は「未来の他者」だった。

先人たちにとって「未来の他者」だった「わたし」は、いまを生きる「わたし」となり、いつか「未来の他者」にとっての先人となる。

先人たちが「未来の他者」をどのようにイメージしていたかはわからない。

けれども、そもそも「他者」とは「自己」のコントロール不可能な領域に存在するものだ。

とすれば、「未来の他者」が何を考えるかなんてわからないのだ。

じゃあ結局、「わたし」のいまの選択と行動は無意味なのか?

そうではない。

「わたし」は、何を考えるかはわからない「未来の他者」の存在を半永久的に保障しなければならない。

それが類的存在として生まれてきた「わたし」の人類史的な役割なのだ。

だからこそ、「未来の他者」の存在を脅かす危険性(デンジャー)を取り除き、「資本主義の終わりを受け止め、次の社会を構想する」ことに伴うリスクを引き受けなければならないのだ。

コミュニズムの可能性

では、資本主義社会の次の社会とは何か?

それを概念的・観念的に「コミュニズム」と呼ぶ。

「コミュニズム」という言葉について、思想家の内田樹は著書『コモンの再生』で次のように述べている。

マルクスたちが、「コミュニズム(Communism)」という述語を選んだときに念頭にあったのは、抽象的な概念ではなく、英国の「コモン」、フランスやイタリアの「コミューン(Commune)」という歴史的に実在した制度だったのです。
ですからもし、最初にマルクスを訳した人たちが「コミュニズム」を「共有主義」とか「共同体主義」とか意訳してくれたら、それから後の日本の左翼の歴史もちょっとは相貌が違っていたかも知れません。

いまだ抽象的な「コミュニズム」という概念を、他者との共存共栄の関係を紡ぐ共通言語にしていくことはできるだろうか?

コミュニズムと口に出せば、さまざまなアレルギー反応が起こる。

「ソ連は崩壊した」、「カンボジア大虐殺を忘れてはならない」、「中国共産党による一党独裁国家になっていいのか」、「北朝鮮のように国民を貧しくしたいのか」、「頭お花畑か」、「はい、オワコン」などなど。

コミュニズムは、それほど20世紀を生きた人びとにとって、夢とロマンを与えた。そして、そこから失望までの高低差があり過ぎた。

コミュニズムは「20世紀の大衆のアヘン」だったというと、熱烈な支持層から叱責されるだろうか。

コミュニズムはまだ相当に観念的なものであり、手放しで受け入れられる思想ではないと思う。

息苦しい社会にならないか、重苦しい世界にならないか、不安は消えない。

だが、資本主義の矛盾が激化する21世紀にあって、ぼくたちがともに助け合って生きていくためには、20世紀コミュニズムを超えた新たなコミュニズムについて議論する余裕は持たなければならないとも思う。

差し当たって言えるのは、コミュニズムの可能性は、過去と現在と未来における他者との対話にかかっているということだけである。

そして申し訳ないけれども、その対話は誰とっても耳障りのよいものではないだろう。

でも不思議なことに、なんだかんだいっても、ぼくらは対話するんだろうと楽観視してもいるのだ。

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