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効果的な利他主義は世界を救う?

フランスの思想家であるジャック・アタリは、悲惨な未来を回避するためには、ぼくたち一人ひとりが利他的になることが重要であると主張している。

その際に問われるのは、「世界は自分の幸福のために何をしてくれるだろう?」ということではない。

「自分は世界の幸福のために何ができるのか?」ということだ。

この問いを出発とする思想と行動は「利他主義」と呼ばれる。

利他主義を数字的根拠を持って最大化しようとする考えとして、「効果的な利他主義」というものがある。

『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ』の著者であり、哲学者のピーター・シンガーに依拠しながら、効果的な利他主義について考えてみたい。

利他主義とは

自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方を利他主義という。

利他主義の推進者にはミレニアル世代以降の若者が多いと言われる。

というのも、ミレニアル世代以降の若者はステークホルダーの幅が広く、スタークホルダー間のバランスを重視するからだ。

世界的な気候変動や超格差社会が当たり前の環境に生まれ、育ってきたのが、ミレニアル世代やZ世代である。彼らのうち利他主義者は、自分の幸福は他人の犠牲の上に成り立っているという原罪を意識している。

だから利他主義の若者が考えているのは、「どれだけ与えるべきか」ではない。「どれだけ自分がとっていいのか」ということになる。

だからこそ、ミレニアル世代やZ世代にとっては、より多くの人びとや動植物、さらには環境までもがステークホルダーとなり得るのだ。

だからといって、ミレニアル世代は、利他主義には自己犠牲が必ず伴うと考えてはいない。次のように考えているのだ。

自分以外の人のためにできる限り〈たくさんのいいこと〉を行って自分が花開くとしたら、それはすべての人にとっての〈いいこと〉になるはずです。

自分にできる最大の貢献を行うことが自分の関心事であり、そのことに自分自身も充足感や幸福感を覚えている。

であれば、利他主義とは利己主義的ではないのか?

シンガーによれば、一見利己主義的に思える他者貢献感による幸福を求めいるからこそ、利他主義者と呼べる場合もあるという。

シンガーは、利己主義と利他主義の境界はなくなると述べ、次のように主張する。

本当に大切なのは、他者の利益を考えているかどうかです。〈いちばんたくさんのいいこと〉につながる行動を望むなら、その行動が犠牲を伴うか、つまりその人の幸福度が下がるかどうかに目を向けるべきではありません。むしろ、自分を幸せにする行動が、他者を幸せにするかどうかに目を向けるべきでしょう。

他者への思いやりから生まれた行動であれば、それが行為者の損得にかかわらず利他主義的な行動と呼ぼうではないか。

シンガーの定義する利他主義とは、他者への強い思いやりが自身の利益に含まれていることなのである。

効果的な利他主義とは

利他主義が理解できたところで、〈効果的な〉利他主義とはどういうことであろうか?

シンガーの著書では、効果的な利他主義者の具体例として、次のような実践が紹介されている。

●寄付するために稼ぐ
大学院で哲学と数学を学びながらも金融のキャリアを選び、働き始めてわずか1年で1,000万円を超える金額を寄付し、毎年収入の半分以上を寄付し続けている若者の例。

●腎臓の提供

●慈善団体の効果を評価する組織の立ち上げ

効果的な利他主義の大元にあるのは、「私たちは、自分にできる〈いちばんたくさんのいいこと〉をしなければならない」という考え方だ。

シンガーは言う。

私たちの余分なリソースのかなりの部分を、世界をよりよい場所にするために使うことが、最低限の倫理的な生活と言えるでしょう。完全に倫理的な生活を送ろうと思えば、私たちにできる最大限のことをしなければならないということです。

利他性の最大化が〈効果的な〉ということの意味だ。そして、それは数値化して比較検討できるとされている。

効果的な利他主義者の特徴は、「チャリティを情緒ではなく数字で考える」ということである。

シンガーは、同じ1,000ドルを寄付するなら、アメリカの貧困家庭よりもアフリカの貧困家庭に寄付することの方が効果的であるという(誤解を避けるために補足しておくと、命の価値はみな同じだとシンガーは考えている)。救える命の数や減らした苦しみの総量(生活の改善度)を数値化してみると、同じ1,000ドルでも、アフリカの貧困家庭にもたらされる恩恵と同じものがアメリカの貧困家庭にもたらされるとは考えにくいというのだ。

ですから、現金であれ、食べ物であれ、医療であれ、貧しい国で極度の貧困にある人たちを助けるような組織に寄付する方が、より効果が高いわけです。

こうした考えからすれば、いま目の前で苦しんでいる人を支援するよりも、遠くのどこかで苦しんでいる人を支援することの方が効果的であることもあり得る。

効果的な利他主義者にとっての問題は、緊急性や重要性ではない。自分がいちばん貢献できるのは何かということである。

ですから、なにがいちばん差し迫った課題かではなく、自分がいちばん大きなインパクトを与えられるのはどこかを自問すべきでしょう。今この時点や今月、今年、といった時間軸ではなく、自分の行動の結果を見通せる限り長い期間にわたっていちばん大きなインパクトを与えることができるのはどの分野か、ということです。-強調は引用者

効果的な利他主義への期待感

効果的な利他主義のムーブメントは、ジャック・アタリの期待する利他主義の世界的な拡大へとつながるのだろうか?

正直、期待してみたいという思いがある。

シンガーの本を読むまで、世界の富裕層は狭いステークホルダーの利益のために行動している人ばかりだと考えていた。

正直なところ、稼いだお金の半分以上を寄付する人がいるなんて衝撃的だった。

経験的には、稼げば稼ぐほどケチになる。アルバイト代5万円しかなかった学生時代は社会人になったら寄付をするといい、社会人になって月給20万円をもらうようになったら収入が倍になったら寄付をするといい、月給40万円もらえるようなったら自分よりもっともらっている人が寄付をすべきだという。あるいは相対的には自分は寄付はしているとか、社会に貢献しているなんて上から目線になってしまっている。そんな人は多いのではないだろうか?

だから効果的な利他主義者の動向を見守りたいと思うのだ。

効果的な利他主義への懸念❶ 国や企業の責任の減退

そのうえで、いくつかの引っ掛かりがあることも備忘として残しておきたい。

まずは国や企業の責任の減退について。

稼いだ人が、それぞれの信条に基づいてチャリティを行えばいいと見なされれば、国や企業の公的な責任が減退しないか?

国や企業の公的責任の最大化を追求してもなお不十分な領域に対して、効果的な利他主義が発揮される姿が望ましいのではないか?

効果的な利他主義への懸念❷ 功利主義的な倫理観の蔓延

次に、功利主義的な倫理観について。

倫理的な判断について、効果的な利他主義者は、功利主義者と共有してる部分が多い。

ここでトロッコ問題を考えてみよう。

トロッコの行く手にトンネルがあり、そのトンネルの中では5人が作業をしている。ポイントを切り替えて進路を変更しなければ5人全員が死んでしまう。しかし、進路を変更すると、側線にいる1人が死んでしまう。いま歩道橋に見知らぬ太った人がおり、彼を突き落とせば、彼1人は死ぬが、体重の重みでトロッコは停止し5人は救われる。

この場合、ぼくたちは5人を救うべき行動をとるべきなのか?そのために側線にいる1人を犠牲にすべきなのか?見知らぬ太った人を犠牲にすべきなのか?自分の手で転轍機を切り替えたくないのであれば、見知らぬ太った人を突き落としたくないのであれば、誰かにさせるべきなのか?

こうした架空の問題には正解があるわけではない。だが、最大多数を救うことが幸福の総量を最大化し、幸福総量の最大化が社会にとって重要だと考える功利主義的倫理観に基づけば、5人を救う以外に選択肢はあり得ないということになる。

すべての人を救うことはできないのだろうか?これはアポリアかもしれないが、しかしこうした問いを考え続けることで、ぼくたちは視野を広げ、選択肢を増やし、その結果として倫理的判断に広さと深みを与えることができる。

功利主義的な倫理観の蔓延は、そうした可能性を奪いはしないか?

効果的な利他主義への懸念❸ 利他主義者の全能感

最後に、効果的な利他主義者、特に寄付するために稼ぐタイプの利他主義者の全能感について。

現代は超格差社会だ。年収200万円で働くエッセンシャル・ワーカーがいる一方で、月数億円を稼ぐYouTuberがいるという凄惨な時代だ。

あらゆる物との交換を可能にする価値のあるお金は、人びとの間に、権力関係をつくる。お金を持てば持つほど保守的になる。寄付することが目的だったのに、気づけば稼ぐことが目的になってしまう。そんなことは起こり得る。

効果的な利他主義者に限ってそんなことはない?果たしてそうだろうか?

社会的な富を際限なく個人に管理させていれば、問題は起こり得る。稼げる個人の判断に生殺与奪の権を握らせないようなシステムの構築が必要であり、それこそが社会であり、国であるはずだ。

自他を問わず効果的な利他主義者と呼ばれる人が、少なくとも次のような発言をし始めたら、ぼくたちは警戒しなければならない。

・○○の生命は、△△の生命より重い(軽い)
・自分は自分を批判する人以上の社会的な貢献を行なっている
・自分以上の貢献ができてから物を言え
・稼げない人は、社会的な価値が低い
・生産性が低い人は、社会の足かせだ(不要だ)

おそらく効果的な利他主義者と呼ばれる人たちは、こうした神にでもなったかのような全能感に満ちた発言はしないだろうし、そんな人は利他主義者ではない。

しかし、功利主義者は利他主義者を利用し、世界を単純化し、私服を肥やそうとしているかもしれない。

これが邪推であり続けることを切に願っている。



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