スマホがないと生きていけない病
日曜日の朝、週に1回iPhoneがスクリーンタイム(平均使用時間)を通知してくる。
今週は前の週よりどれだけ使用時間が増えましたとか、減りましたとか知らせてくれるのだ。
その通知によると、ぼくはだいたい1日あたり3時間もスマホを利用しているらしい。
音楽やラジオを聞き流している時間も含まれるけど、1日24時間の10%強を、起床している16時間のうちの約20%をスマホに捧げていることに、いまさらながら驚く。
スマホはぼくたちから時間を奪うのだ。
奪われるのは時間だけではない。
2013年に行われたある研究では、スマホがあるだけで、人間関係を損なうおそれが指摘されている。
実験では、他人同士の被験者をペアにして、同じテーマを提示して部屋でおしゃべりをさせた。ただし、ある被験者グループはスマホを横に置いたまま会話するのに対し、別の被験者グループはスマホの代わりにノートを横において会話することにした。
すると、スマホが手元にあった被験者は、ノートが手元にあった被験者に比べてあまり打ち解けられなかったことがわかった。スマホの向こうの世界とのつながりを意識するせいで、目の前の会話に集中できないのだ。
この結果を受けて実験を行った研究者は、次のようにまとめている。
解決策は手元から完全に遠ざけるしかない。
しかし、いまやスマホを完全に遠ざけることなどできやしないというのが、偽らざる実感だ。
インターネット依存症テスト(IAT)
自分がスマホ依存・ネット依存かどうかを判断するツールの一つとして、インターネット依存症テスト(IAT: Internet Addiction Test)というものがある。
次の20の質問に、5段階評価(1=まったくない、2=まれにある、3=ときどきある、4=よくある、5=いつもある)で回答することで、スクリーニングができるようになっている。なお、資料は独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターのホームページを参照させていただいている。
得点が高いほど依存の度合いが強いことになる。
【20 ~ 39点】平均的なオンライン・ユーザー
【40 ~ 69点】インターネットによる問題あり
【70~100点】インターネットによる重大な問題あり
ぼくは39点だった。
ギリギリ平均的なオンライン・ユーザーだということに安堵しつつ、かなりボーダーであることにドキリとしている。
行動経済学や心理学を専門とするアダム・オルターは、その著書『僕らはそれに抵抗できない-「依存症ビジネス」のつくられかた』において、有害な行動を繰り返さずにはいられない行動嗜癖について議論している。
そこでは、行動嗜癖は次にように説明されている。
嗜癖とは、害があり、それなしでいることが難しくなった体験に、みずから強く執着することだ。物質の摂取を伴わずとも、強い心理的欲求を短期的に満たし、その一方で長期的には深刻なダメージを引き起こす行動に抵抗できないとき、それを行動嗜癖と呼ぶのである。
ぼくにとって、スマホいじりは行動嗜癖になりつつある、いや、すでに行動嗜癖となっている。
ただ、ある研究では、全体の41%が、過去1年間に少なくとも1つの行動に依存的に従事しているという事実が明らかになっている。
だから安心と考えるか?依存症の多くの予備軍がいると考えるか?おそらく後者であると考え、その対処法を検討することが賢明だろう。
ところで、「5.インターネットをしている時間が長いと周りの人から文句を言われたことがありますか。」の「周りの人」とは、自分の子どもだ。
ぼくは、子どもとの関係でスマホ依存傾向に改善が必要だと考え始めた。
そこにいるのに、そこにいない
心理学者のキャサリン・ステイナーアデアの説に出会ったとき、ぼくは頭をハンマーで打たれたような強い衝撃を覚えた。
その説とは、子どもの多くが最初にデジタル世界に出合うのは、親が「そこにいるのに、そこにいない」ことに気づいたときであるというものだ。
「ちょっと待って」「ただチェックするだけだから」「すぐに終わるから」「あ〜ごめん、本当にもう少しで終わるから」。こんな台詞を言いながら、スマホをいじり続けていることはないだろうか?
ほんと残念なことに、これはぼくの日常だ。
一緒の時を過ごしているのに、子どもはそこに親がいないと感じている。その時初めて、子どもたちは目の前の人と過ごすことよりも、もっと大事な世界があるのだ、それがデジタル世界なのだということを学ぶのである。
また、幼児は本能的に親の目線を追うことがわかっている。
頻繁に何かに目移りしている親は、そうした視線のパターンを子どもに教えていることになる。
つまり、集中できない親は、子どもを集中できない人間に育ててしまうのである。
3分の2が罹患する現代病
スマホ依存の弊害は、子育て以外にも確認される。
その一つが、慢性的な睡眠不足だ。
慢性的な睡眠不足に苦しむ人は、スマホなど発光するデバイスが増え始めてから爆発的に増加しているという。その数は、成人全体の3分の2に及ぶとされる。
慢性的な睡眠不足は、その症状の一部として、心臓や肺、肝臓の病気につながることがある。食欲不振や免疫力低下、うつに、肥満に、糖尿病とさまざまな病気を引き起こす。
アダム・オルターは次のように指摘している。
睡眠不足は行動嗜癖の相棒のようなものだ。何らかの行動に過剰に従事しつづけることで、必然的に睡眠時間が削られる。
睡眠不足は万病の元である。
幸いなことにぼくのスマホ依存は、睡眠を大量に削ってまで没入するものにはなっていない。けれども、そうなるおそれがあるということを肝に銘じておきたい。
依存のメカニズム
子育てや健康に影響を与えるスマホ依存。いったん寄り道をして、その依存のメカニズムを見ておきたい。
最近の研究では、依存行動の反応は薬物乱用の反応と同じであることがわかっている。どちらの場合も、脳内でドーパミンを放出する。
このドーパミンがドーパミン受容体にくっつくことで、強烈な快感を生じさせるのだ。つまり、脳はドーパミンの放出を快感と解釈するのである。
だから、最初は「よい」が「悪い」を大きく上回っている。しかし、次第に脳はこの流れを誤作動と解釈し、ドーパミンの生成を減らす。すると最初と同じだけの快感を感じるためには、薬物や体験のほうを増やさなければならなくなる。脳に耐性がつくのである。
このとき、脳は2つの仕事をする。一つは、多幸感を放出するドーパミンの量を少なくすることだ。
実は、多幸感そのものに依存性があることがわかっている。この多幸感が少なくなれば、どうするか?そう、多幸感を放出するためのドーパミン量を増やそうと行動するのだ。これが脳のもう一つの仕事である。
こうして依存者が依存対象を追い求める一方で、脳は快感を得るたびにドーパミンの放出量を減らすという負のスパイラルが生まれるのだ。
ところで、依存症へと陥るメカニズムとして重要なのは、薬物や体験そのものではない。
何らかの物質や行動自体が人を依存させるのではなく、自分の心理的な苦痛をやわらげる手段としてそれを利用することを学んでしまったときに、人はそれに依存するのだ。
スマホ依存で言えば、スマホ自体が依存症をつくるわけではなく、快感を得る方法や不快を減らす方法としてスマホを効果的に利用できるということを学習したときに、依存症が形成されるのである。
依存症を担当するあるジャーナリストは言う。
依存症とは、人物と体験との関係性のことなのです。
嫌悪しながらも、求めずにはいられない
とはいうものの、人と体験との関係性すべてが依存症を引き起こすわけではない。
人と体験との関係性によって生み出されるものが、本人にとっても周囲の人にとってもプラスに働く場合、つまり不幸になる人がいない場合、それを依存症と呼ぶ人はいないだろう。
だから依存症について考える場合、本人または周囲の人が幸福を実感できないどころか、不幸を実感する関係性が問題になる。
アダム・オルターが取材した現在および元行動嗜癖者の多くは、「依存行動は決して甘美ではない」と口を揃えて言うという。
目先の強い満足感に浸っている最中にも、自分の幸せを蝕んでいることを忘れたくても忘れられないのだという。
こう言い換えることもできる。依存症とは、対象となる物質や行動が好きな状態ではなく、むしろ生活を破壊する対象への嫌悪感を募らせながらも、たまらなくその対象を欲しがる状態なのである。
幼少期のデジタル依存の影響はわかっていない
再び子育てに話を戻そう。
ここに衝撃の事実がある。
その事実とは、テクノロジー専門家の多くは、自分が作って売っているデバイスを我が子に使わせないというルールを持っているということだ。
スティーブ・ジョブズが我が子にiPadを使わせていなかったという話は有名だ。彼は2010年の『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材に対して、「子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限しているからね」と語っている。
『WIRED』誌の元編集長クリス・アンダーソンは、子どもに寝室へのデジタルデバイスの持ち込みを禁止していた。
こうした腑に落ちない話を、アダム・オルターは次のように表現している。
自分がさばく商品でハイになるな-。彼らはまるで、薬物売人の鉄則を守っているかのようだ。
なぜ彼らは我が子のデジタルデバイスの使用を制限しているのか?
それは、幼い頃に長期的にテクノロジーを過剰使用した場合の影響が、まだはっきりと解明されていないからだとオルターは指摘している。
健全なスクリーン使用の3条件
開発者自身が我が子のデジタルデバイス使用に慎重姿勢を見せていることを他所に、世界では子どものデジタルデバイスの使用は広がりを見せている。
2014年にゼロ・トゥー・スリーという団体が行なった調査では、4歳未満の子どもの80%はモバイルデバイスの使用経験があるという結果が確認されている。
そこから7年、その割合は100%近くに上昇していることが予測される。
だが、幼い子どもは、人と接することで最もよく学習するものだ。
もし子どもによるデジタルデバイスの使用を制限できないでいるとしたら、ぼくたち親は、一抹の不安を抱えながらも、ただただ来るべき未来を待ち受けるしかないのだろうか?
ゼロ・トゥー・スリーは、親がきちんと介入するならば、スクリーンがあっても健全な関係は作れるとの立場から、健全なスクリーン使用の条件を3つ挙げている。
【第1の条件】スクリーンで見ているものを現実の世界の体験に結びつけてとらえるよう、親が子どもを促していくこと。
例)スクリーンで見た生き物と、街角で見た生き物を結びつける。
【第2の条件】受動的な視聴よりも能動的な関与があるほうが望ましい。
例)親とコミュニケーションをとりながら遊べるアプリを選ぶ。
【第3の条件】スクリーンの使用はコンテンツの中身で決めるものであって、テクノロジー自体の面白さに流されて使うのは避けなくてはならない。
例)例えば本を読む場合、デバイス操作に心を奪われるのではなく、じっくりと話の展開を追う体験にする。
3つのNGと4つのMUST
子どもがデジタルデバイスを介してゲームやソーシャルメディアの世界に没頭し始めると、ほとんどの親は頭を悩ませるのではないだろうか?
ぼくも我が子が2歳のときに、1日中ひたすらYouTubeを見ている姿を目の当たりにして、困惑したのを覚えている(今になって思えば、親の姿に学んだ結果だったのだろう)。
そうしたときに親がとるべきではない3つ態度(3つのNG)と、とるべき4つの態度(4つのMUST)がある。
〈3つのNG〉
❶怖い態度
上から目線で厳しく強硬な態度をとると、子どもはほぼ間違いなく心を閉ざす。
❷キレる態度
子どもの問題に過剰反応することで、事態を悪化させる。
❸よく理解していない態度
表面的なことに気を取られて、大事な手がかりを見逃す。
〈4つのMUST〉
❶近づきやすい態度
❷おだやかな態度
❸子どもの状況について知ろうとする態度
❹現実的な態度
具体的には、4つのMUSTを意識しながら、親は次のように対応することが必要だ。
✔︎ソーシャルメディアが現代生活の一部であることを理解する
✔︎子どもが何かに困っていても、親が反射的に騒ぎ立てるのは問題を悪化させるだけだとわきまえておく
✔︎子どもとSNSとの付き合い方を理解するよう努め、決めつけずに質問をして、自分でも調べてみる
✔︎生活の中に区切りや制限を設けて、テクノロジーの持続可能な利用方法を意識する
✔︎家族はオフラインで実のある会話をし、1日のどこかで必ず全員が顔を合わせる
依存症は環境の問題でもある
ここまで来て、ぼくは自分自身のスマホ使用を反省したり、子どものデジタルデバイス使用への態度を反省したりして、「よし、これからは4つのMUSTの態度を大事にするぞ」と安易に誓いをたてしまいそうになる。
不甲斐ない性格を改めて、意志を強くもとう。そう考えてしまいがちだ。
しかしながら、依存症とは、本人の性格だけで語れる問題ではない。
意志が弱い人が依存症に陥るわけではない。合理的な考えができない人が依存症になるわけでもない。
依存症は、環境の問題でもある。
どんな環境に生まれたか、どんな環境に置かれているかということは、大きな影響がある。
だから、意志の力によってではなく、環境をデザインし直すことによって、依存症の解決を目指すべきなのだ。
まずは、時間の無駄だと感じながら惰性でやり続けていたFacebookやInstagram、ゲームアプリを退会してみた。
少しばかりだが、置かれているデジタル環境を変えてみたのだ。
それからしばらく経つが、今のところどうということはない。
けれども、別の依存対象はいくらでも周囲に散らばっている。
依存傾向に気づいたときは、それをしなくてすむ環境の整備を意識したいものだ。
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