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同級生の脚本家が書いた愛すべき黒沢明の本「けれど夜明けに わが青春の黒沢明」植草圭之助

クロサワの大傑作「酔いどれ天使」の脚本を担当した植草甚之助と黒沢明の出逢いと別れ

 いうまでもなく黒沢明については膨大で多種多様な書籍がある。
 映像制作にかかわる人間や日本映画好きにとっては避けて通れない研究材料で、多少でも触れれば世界のクロサワに”天才”という冠を軽々しくつけることには違和感を覚えるだろう。
 地道な準備を積み上げ、オーソドックスな手法を緻密に組み立て、通俗を突きつめていたことを知ることになるからだ。
 そのような映画監督としてのクロサワを教えてくれる本は多い。
 しかし「けれど夜明けに」は映画人となる前の黒沢明と青春をともに過ごし、大監督前夜の黒沢と互いの夢を映画に託して成功し、そして描く理想の違いから袂を別つまでを、友人が回想する少しばかり色合いの違う本だ。

 植草圭之助と黒沢明は小石川の小学校の同級生で、植草が進学した京華商業は黒沢の京華中学とおなじ校舎にあった。
 芸術を好む二人は美術教師の立川を通じて交流を深めるが、植草は家庭の不安定さによって熱中していた芸術活動から離脱することになる。
 この間の交流を通じて、植草は黒沢の育った家庭らしい家庭の環境や、兄を自殺に直面した黒沢がときおり見せる憂いに、黒沢明の本質を感じとってていく。

 その後、演劇などを通してプロレタリア芸術活動を続けた植草は、黒沢と東宝で再会する。
 東宝の労働争議の時代である。
 旧交を温めた二人で組み、戦後の若く貧しい男女の日常を描いた小品「素晴らしき日曜日」は、毎日映画コンクールの監督賞を黒沢、脚本賞を植草が受賞する。
 授賞式に恩師立川の姿があるのは良い場面だ。

「酔いどれ天使」制作で噴出していく黒沢と植草の方向性の違い

 黒沢明のキャリアを後追いで俯瞰すると、どうしても「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」の素晴らしさに目を奪われる。
 しかし同時代に黒沢を見続けてきた年上の映画ファンに聞くと、この「酔いどれ天使」「野良犬」は別格だという。当時それほどの衝撃があったのだが、後追い世代はこの作品をトレースしたものを先に見すぎていて、見方が違ってしまう。
 素直に見直すと、その素晴らしさに圧倒される。

 「素晴らしき日曜日」で評価の高まった黒沢・植草コンビは、日本映画史に残る「酔いどれ天使」で再び組む。
 しかしこの作品を制作するプロセスで、二人の間の亀裂が広がっていく。
 正しき弱きものに救いをもたらしたい植草と、力なき正しさの儚さを直視する黒沢の違いである。
 二人の在り方と決別は、ひどく胸をうつ。

 忘れられない一冊である。

                  〈了〉

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