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悪しき物語を断ち切る覚悟はあるかー姑獲鳥の夏(京極夏彦)

京極堂シリーズ第一弾。

ホラー小説、オカルト小説というよりは、人間の心と脳、そして身体の話だった。
ある一族の悲劇を目の当たりにし、悪しき因習を断ち切る覚悟はあるか?と問われる。
そして、言葉の力を改めて感じさせた。
言葉の力は偉大だ。
祝いにもなれば呪いにもなる。
京極堂が紡ぐ言葉には惹きつけられるものがあった。


人間が作り出す集合体無意識では、同調性の中に異質があることを敏感に察知する。
妬み、僻み、恐れ、憎悪、そして嫌悪。
そしてどこからともなく根拠のない噂が湧いて出る。
地位や名誉などがある一族にだけ偏りを見せると、その家にはきっと座敷童子がいる。先天性の病気を持って生まれる子供が多い家系だと、憑き物筋だ、など。
今で言う迷信みたいなものを作り上げていく。
そういった地域差別や人種差別と同じ、悪質で根深い因習。
これらは人の心を痛めつけ、恐怖させる。
そして人は自分を守ろうとする。
そういった心の動きが幻覚を見せることがある。本当に何かが"憑いた"ように。

本書で主役となる久遠寺一族はそういった悪質な因習に取り憑かれてしまったと言えるだろう。それらを断ち切るのには相当な勇気がいるものだった。彼女達は死を持って断ち切ることとなる。

大名のお抱え医者となった彼女たち一族は、女系だった。
男児にはたいてい、先天的な身体の異常がある。脳がないのだ。
巨額の富と地位と名誉を持ち、無脳症の子を孕む女達の一族。小さな田舎町では当然、差別を受ける。
そして徐々に久遠寺の女達は、錯乱し、一族の中で悪しき物語を作ってしまう。
産まれてすぐの赤ん坊を、祖母が石を打ちつけて殺す。
それを娘に受け入れさせるために、女の枕元に死んだ赤ん坊をホルマリン漬けにして置く。
異常である。
そして狂った娘は、患者の子供を奪い、殺す。
わたしと同じように、子供を失えばいい。
さながら血だらけの下半身で赤子を抱き、泣き続けると言われるウブメのように…

これを久遠寺一族は代々続けてきた。
【周りの人が言うように、私たちは呪われているのだから。男が産めない、憑き物筋なのだから、これは我が家への呪いだから、受け入れなさい】
絶対におかしい。それに薄々は気付いて東京に出てきた一族。それでもなお、やめられない。生まれた赤ん坊に手を下してしまう母、人格分裂してしまう娘…。
辛い最期だった。


生きていながら、このような悪しき因習・物語に区切りをつけるにはどうすればいいのだろうか。
それは当たり前を疑い、右向けと言われても左にだって向いてみたいんだと思う気持ちを持ち続けることだ。その中で、自分や相手の認知の歪みに気づくことが大事だと、わたしは考える。
人を歪ませるのは簡単だろう。
幼い頃から、『わたしの言うことだけを聞きなさい』と、言葉の暴力や身体的な暴力を与える。もしくは見せつけるように他人に制裁を与える。
マインドコントロールすることで歪みはすぐに作られる。子供は親に嫌われたくないからだ。

しかし、ある一定の年齢となり、世界を見ることが許されたならどうだろう。
取捨選択は自分の意思でどうにでもなるのである。
すでに限界まで引きちぎられた自由意志をどこまで自分の中に取り戻すことができるか。
これはもう自己責任の領域だ。
親がこうだったから、こんな育ち方だったから仕方ないでは自分の人生を自分で生きようとする覚悟がない。
因習や悪しき物語に呪縛された自己に気づいたのであれば、迷わずに自分の人生を生きようとする覚悟と責任を選びとりたいものである。

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