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娘と過ごす何気ない日常がこんなにも幸せな理由

私には4歳の娘がいる。
娘が産まれてからの4年間、日々愛情は増すばかりだ。


先日夫が休日出勤だったため、久しぶりに娘と2人きりで休日を過ごした。
特別なことは何もしていない。
本屋に行って、マックを買って公園で食べて、帰ってきて昼寝をした。
たったこれだけのことなのだが、私にとっては愛おしくて充実した時間だった。

本屋ではいつも最初に娘が選んできた本をその場で読んであげる。
真剣に聞き入ってるときもあれば、笑ったり怖がったりと、初めて読むお話で見られる娘のリアクションは私の大好物だ。

娘のリアクションや適齢、そのときの季節などから最終的に購入する本を選ぶ。
もともと私自身本(主に小説)が好きだったため、絵本であれ新しい本を選ぶのはワクワクするし、その気持ちを娘と一緒に味わえるがたまらない。

その日は結局、春にちなんだお話の絵本を2冊買った。


昼食の時間が近づいていたので、マックのドライブスルーに寄って帰ろうと車を走らせていたら、近くの直売所で屋台が出ているのを見かけて思わず立ち寄った。

牛肉の串焼きが目当てだったが、娘はカラフルなキャラクターの描かれたチョコバナナに心を奪われてしまったらしい。
チョコバナナは物価高の影響を大きく受けていて?一本500円もした。
屋台に寄ろうと誘ったのは私である。今さら引き下がれない。
財布を見ると、現金がたった一千円しかなかった。
泣く泣く串焼き(こっちは一本600円だった)を諦め、チョコバナナを買ってやった。
娘は大喜びで、それはそれは美味しそうに平らげた。
500円のチョコバナナは食べる前に娘の笑顔と共にしっかりと写真に収めておいた。

マックではキャッシュレスのおかげで、てりたまセットとハッピーセットを無事購入できた。

そのまま家に帰ろうと思ったが、あまりにいいお天気だったので、真っ直ぐ帰るのが惜しくなった。

娘に「家に帰って食べるのと、これから公園に行って食べるのと、どっちがいい?」と聞くと、少し興奮気味に「公園!!!」と答えたため(聞く前から答えは分かっていたけども)、いそいそと公園に向かった。

公園に着くとさっそく遊びたがる娘をなだめて、まずはテーブルセットのある休憩スペースでマックを広げた。

私も娘も、ドライブスルーで買ったポテトは車の中で食べるのが一番と思っているので、このとき既にポテトは半分くらいになっていた。

てりたまやっぱうまいな〜と春を感じていると、娘が「お外で食べると美味しいねえ」とニコニコしながら話しかけてきた。「そうだねえ。美味しいねえ。」と答えながらなんだか胸がいっぱいになった。

今度は娘が「(ポテトを)私がママに食べさせて、ママが私に食べさせるやつしよう。なんかのテレビで見たんだ。」と言ってきたので、二人で「せーのっ」で食べさせ合っては、笑い転げた。

昼食を食べ終え、少し公園で体を動かしてから帰路に着いた。


家に帰るとさっそく買ってきたばかりの絵本を読んだ。
どちらも春らしい暖かな内容のお話で、娘も気に入ったようだった。

いつの間にか二人でぐっすり眠ってしまっていたらしく、目が覚めるとすっかり夕方だった。

夕飯は二人で一緒にコロッケを作った。
娘は「外がサクサクで中が柔らかくてほんと美味しい」と大絶賛してたわりには、チョコバナナと私の分までポテトを食べていたせいで、ほとんど残していた。
帰ってきたパパにも娘はコロッケの美味しさについて熱く語り、それを聞いたパパが3つも食べてくれたので助かった。



私の母は全く本を読まない人だった。
絵本は保育園で借りてくるものだったので、実家には絵本もほとんどない。
私は本屋や図書館で母と一緒に本を選んだ記憶がなかった。


私は三人姉弟の長女だったが、私が2歳になる前には上の弟が、4歳になる頃には下の弟が生まれていた。
そのため物心つく頃には、母と二人きりということがなかった。

子どもが三人もいたので、実家はいつも賑やかだったし、いつも楽しかった。
でも私は母に愛されている自信が無かったし、私も母を大事にできていなかったと思う。


私には子どもが娘一人しかいないので、三人育てた母の大変さは想像もつかない。
だから今更そんな母を責めるつもりは全く無い。


だけど気づいてしまった。
私がこんなにも娘と過ごす日常が幸せなのは、母の立場になってようやく「母子の愛情」というものを思う存分感じられているからではないだろうか。

私も娘もお互いに自分のことが大好きなのがよく分かっている。
そんな関係性だからこそ、何気ない日常の全てが愛に溢れていて心が満たされるのだと思う。


娘の成長とともに、母子の関係性も変わっていくだろう。
しかし、こんなに愛おしい時間を私は決して忘れないし、娘の心のどこかにも同じように共に過ごした記憶が残っていてくれたら嬉しい。

きっとその記憶のカケラは、自分は十分に愛される価値のある人間だという自信を少しは娘に与えてくれるはずである。

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