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「言いたいだけ」か「有益なアドバイス」か

 タイトルのことは、言われたときも、そして言うときも迷うときがあります。

 でも最近なんとなく分かってきたことは、「言いたいだけ」の人ってそこまではいないってことです。自分も思い返してみるとそんなにいません。そして、「あの人は言いたいだけの人だっただろうな」って相手は結構状況によるところも大きかったです。

 そういう相手の特徴は、口では「あなたのため」と言っておきながら結局は「自分のため」だったりしました。

「言うことを聞かせたい」とか「この場を支配したい」とかですね。だからすごく違和感を覚えました。だけど、そういう状況ってあんまりない。だって日常生活だったらみんな平穏に過ごしたい。相手へのダメ出しなんてほとんどしないことが多いと思います。

 そして、ダメ出しされたときの「ムッ」という気持ちって、=「相手が間違っている」ではない。むしろ「自分の弱点を言い当てられた」とか「相手の言う通りだ」ってことがあったりする。だから素直に受け入れれば有益なことも多い。

 前回の記事で、教員の友人の研究授業について取り上げましたが、やっぱり自分が想いを込めたり一生懸命作り上げたものに修正を受けると「ムッ」とくる。これって当然の感情かと思います。友人も押し切ってやって、つまずいて、それから相手のアドバイスの有益さに気が付いた。その過程を経ることも大事だと思います。

 そう考えると、こちらが言う立場だったときに、本気で相手のためを想って言ったことに「ムッ」とされたからといって落ち込む必要ってあんまりないのかなとも思います。「『ムッ』とされちゃったな。もしかして自分が言いたいだけだったのかな」と思うよりも、本気で相手のためを想って言ったんだという自分の気持ちを信じたほうがいい。

 大体はダメ出しなんてきらわれます。だけど言わなきゃいけない場面もある。そこに「言ったら落ち込むかな。でも言った方がいいよな」と悩んでる時点でその人はちゃんと相手のことを想っているんだと思います。

 自分も、一生懸命取り組んだものに「こういうところ詰めが甘いんじゃない?」と指摘されるとやっぱり「ムッ」とします。だけど、言われてみたら確かにそうだし、修正したら格段に良くなった。そしてそれは相手の気持ちを聞いたことも大きかったです。

「自分は指摘されたほうが助かるから。でも、もし上から目線に聞こえたらごめん」と。

「あ、そうか。言う方も勇気がいるよな」と気が付いてからは、ダメ出しを素直に受け入れるようになりましたし、あとは相手に言わなければいけないときに勇気をだせるようになりました。

 状況によっては「ただ言いたいだけ」の人もいます。そういうときは自分の違和感を信じたほうがいい。真に受けて自分を追い詰めない方がいいです。

 だけど、純粋にこちらのことを思って敢えて言ってくれる人や、素直に受け入れたら有益な場合ということもたくさんある。「ムッ」としたからといって「あの人はただ言いたいだけなんだ」と決めつけてしまうのもよくない。

 そしてこちらから言った場合の相手の「ムッ」をこわがりすぎない。そこを過ぎれば、より一層信頼関係は深まっているはずだから。

 とはいえやっぱり勇気がいります……。ちょっとした「ムッ」くらいになるように、日常的な信頼関係も築いていきたいです。


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