見出し画像

文字通り大きく動いた2020年を振り返る

2020年が間もなく終わろうとしている。今年の始まりは中東のヨルダンで迎えたが、今は日本でこの記事を書いている。

青年海外協力隊としてヨルダンの植物園で活動していたのだが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い帰国を余儀なくされた。感染は終息せず、ヨルダンに戻る見通しは未だ立っていない。この状況を受け、もともと2021年7月までの任期のところ、今年の8月に任期満了という形で青年海外協力隊としての活動を終えた。

このnoteは協力隊としての活動の記録として始めたわけだが、活動終了を決断した7月18日を最後に投稿を止めていた。

それから約半年間note上では空白が続いていたが、執筆意欲が湧いてきた。生存報告も兼ね、下半期も含めて2020年の振り返りを綴ろうと思う。

■最初に帰国の可能性を感じたのはアメリカとイランの衝突(1, 2月)

2020年は新型コロナウイルスに翻弄された1年と言えるが、私が今年初めに翻弄されたのはアメリカとイランの衝突である。新年早々、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害した。その後まもなく報復としてイランがイラク国内のアメリカ軍施設を攻撃したことにより、中東地域の緊張は一気に高まった。この頃Twitterでは「第三次世界大戦」というハッシュタグの投稿が増えた記憶がある。

青年海外協力隊に対しては、ドーハやドバイなど湾岸地域を経由するフライト利用を禁止するよう指示が出された。ヨルダン以外の国で活動する協力隊がヨルダンに渡航することも禁止された。

国や地域の情勢が悪化すると、そこで活動する隊員に対して一時帰国の指示が下ることは少なくない。私がヨルダンに行く際、もともとスーダンで活動していた隊員が任地変更という形で合流した。

当時協力隊が活動する国の中で、今回の中東地域の緊張の影響を真っ先に受けるのはヨルダンであった。当時は正直のところ新型コロナウイルスよりもアメリカとイランの衝突の方が怖かった。「これは一時帰国もありえるかな」とも感じていた。

■国内の感染者ゼロの段階でヨルダンが空港を封鎖する(3, 4月)

新型コロナウイルスの感染拡大を受け一時帰国するよう指示を受けたのは3月14日である。アメリカとイランの衝突の件で帰国指示が下りなかったこともあり、この通達を受けた当時は「何で?」というのが正直な感想だった。というのも、この時点でヨルダン国内の感染者はゼロだったからだ。ヨルダンの周辺地域での感染拡大を受け、ヨルダン政府が空港封鎖、国境閉鎖を発表したことを受け、協力隊の緊急帰国が決定した。

通達があってから中一日で荷造り、配属先の職員への挨拶などを終え、3月16日にヨルダンからドバイへ向かうフライトに搭乗した。ヨルダンが空港を封鎖するのは3月17日からであったので、封鎖前日のヨルダンの空港は人でごった返していた。ヨルダンからドバイを経由して成田空港に到着した。まとめると以下の通り。

画像1

■どうやらヨルダンに戻ることは難しいようだ(5, 6月)

ヨルダン隊員が帰国してからまもなく全ての協力隊員が帰国した。青年海外協力隊だけでなく、アメリカ版の青年海外協力隊であるピースコープスも、約7,000名の全ボランティアが帰国した。新型コロナウイルスの世界的拡大は終息する気配も無い。協力隊が任地へ戻ることができるのは、新型コロナウイルスの終息もしくはワクチン接種が前提になるだろうと考えていたので、青年海外協力隊としてヨルダンに戻るのは当分先、最悪の場合戻ることはできないだろうと踏んでいた。

青年海外協力隊としての当初の任期は2021年7月までで、その後は就職活動をする予定だった。キャリアプランなるものはヨルダンで活動しながらゆっくり考えようと思っていたが、なかなかの前倒しとなったわけだ。

ありがたいことに協力隊経験について執筆や登壇の依頼をいただいていたので、それらを受けつつ水面下で就職活動を行っていた。

■任期を満了し、新しい環境へ(7, 8月)

最終的に次のキャリアを決めたのは8月である。縁あって某食品メーカーから採用いただいた。食品と言っても、普段私たちが口にするものは殆ど扱わず、医療機関や介護施設で使用される栄養補助食品や経管栄養剤(胃や腸に直接投与する栄養剤)を扱うことになる。「栄養」という切り口から医療・介護の業界に進むことにした。

次のキャリアを考えるにあたり、専門性を大切にしたいと思っていた。これは実務において専門性を活かす・活かさないの話ではなく、取り扱う製品やサービスの中身が自身の専門と重なるところの方が楽しいだろうという希望的観測である。

このnoteであまり自分自身のことを書いていなかったが、大学時代に専攻していたのは生命科学である。特に興味を持っていた対象が「植物と栄養」で、栄養が欠乏した環境に植物が適応するメカニズムについて研究していた。ヨルダンで私が植物園に配属されたのは私が植物について多少は知識があったからである。

植物と人間では必要な栄養素やそれらの体内動態も違うが、いずれも生命科学を構成する細胞生物学や分子生物学の知識をベースに深堀ができる点で、学ぶ上では面白そうである。

次の進路を決めたのと近いタイミングで協力隊としての活動を終えることも決めた。

■詰め込み勉強、アラビア語の次は栄養学(9, 10月)

中途入社であるが有難いことに研修期間が2か月間ほどあり、栄養学について勉強していた。2ヶ月間で知識を詰め込む経験は、2019年にJICAの訓練所でのアラビア語学習以来である。

栄養学といってもあくまでメーカーの人間として知っておかなければならない基礎的な知識を入れた後は、実践的な臨床栄養の知識、さらには自社の製品特徴に関連する部分を、文字通り詰め込んだ。

アラビア語の時もそうだったが、2ヶ月間という短期間で詰め込んだ新しい知識は、抜け落ちていくのも短期間である。幸い栄養学に関する書籍は多くあり、来年からは医療従事者の方からの生の声も伺う機会が増えるので、仕事を通じて栄養学という学問にどっぷりと浸かりたい。

■民間でもNGOでも、日本でも海外でも、基本姿勢は世のため人のため(11, 12月)

研修が終わり徐々に実務へシフトしつつある。来年からは本格的に実務にあたることになる。配属の関係で日本でも引越しを行った。今年は文字通りたくさん移動した1年であった、

もともとは日本の民間企業から社会人としてのスタートを切り、その後青年海外協力隊としてヨルダンのNGOで仕事をして、再び民間に戻ってきた。ヨルダンから帰国してからいくつかセミナーや勉強会でヨルダンでの活動についてお話しする機会をいただいた。組織はNGO、場所はヨルダンということで、その働き方に多くの人が興味を抱いてくれて有難い限りである。

一方で、仕事をする上での基本姿勢は世のため人のためということで、それは所属する組織が民間だろうがNGOだろうが、活動する場所が日本だろうが海外だろうが変わらないというのが暫定的な私の考えである。もちろん仕事の内容、仕事をする場所によって必要な知識・経験は変わる。国際協力の世界であれば、例えば青年海外協力隊であれば現地の現地語を、国連や国際NGOなどでキャリアを歩みたいのであれば英語を、それぞれ身に着けなければ文字通りお話しにならないだろう。実際にヨルダンではアラビア語が多少なりとも分かることで活動はやりやすくはなったが、仕事を進める上での心の持ち様は日本で働いていた頃とそこまで変わらなかった気がしている。

半沢直樹の足元にも及ばないことは重々承知しているが、仕事とは何か、働くことは何か、考えが深まっただけでも、協力隊活動の大きな収穫かもしれない、知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?