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『テスカトリポカ』感想(2023/03/02)

読了

2023年3月02日、「テスカトリポカ」を読了しました。
本自体も500ページと分厚いです。ただ、圧倒的な下調べに裏打ちされた硬質な三人称の文章は、ページ数以上の厚み。いや、血のように熱く鋼のように冷たい”暴力”そのものでした。純文学出身だけあって筆力は群を抜いています。

読了後の感想です。
正直”直木賞はエンタメ”となめてました。

いや、やられましたこれには。
私は生・死の意味答えを持って臨む本を愛しています。
おススメできるかは何とも言えませんが、確実に爪痕を残した作品になりました。
(以後、暴力描写等もあるので閲覧注意。ネタバレはあまりないようにしますが一応注意)

暴力&暴力&暴力

かつてメキシコの麻薬カルテルに君臨していたバルミロ:通称<調理師(エル・コシネーリョ)>を主に、日本など各地の”はぐれもの”たちが紡ぐ、「血」「心臓」のストーリー

後半まで誰が主要キャラか分からない群像劇で、書評には尻切れトンボということも多く書かれていました。
それは、大衆文学で重視される「話の筋」の視点。(それでも純文学比ではエンタメに対応して、しっかり描写されていると感じました)

この作品の「テーマ」を考えた時、
登場人物にしっかりと「アステカ」の血が脈々と受け継がれ、その最高神テスカトリポカを軸にして一貫していた、極めて精巧で力強いものでした。

本題を考える前に、作品の魅力の一つである「暴力」について語っていきたいと思います。

「テスカトリポカ」は500ページ超と非常に長い小説ですが、改装も多く話の進みは早かったり遅かったりとまちまちです。ただ、退屈に感じる部分もアステカ神話の特異性と圧倒的な暴力が刺激的なスパイスとなって、読者の食欲を刺激してくれます。

一例ですが、
・「生きたまま」黒曜石のナイフで胸骨をゴリゴリと鋸のように切り開き、心臓を抉り出す。そしてその心臓を顔の横に添える。
・「生きたまま」腕に冷凍窒素を吹きかけ凍結。相手の目の前でハンマーで破壊する。
など、凄惨を極めますが、これらをさらっと描く本文を読んでほしいところです。

「特異性」は物語の中で非常に重要なこと。
私の読書歴の中でも三傑、近代文学最高の小説「おらおらでひとりいぐも」も、東北弁の得意なリズムで足取り軽やかに物語を進めていきます。
通常、このスパイスは「性」になるのですが、本作にはその甘えがありません。(ここが、同じ無機質な暴力であっても性とリンクする墨谷渉さんとの一つの違い)

そして、この暴力——殺戮・拷問・破壊。全て実利に裏打ちされており徹底的に冷たく、物語的な意味を薄めることで、ひたすらに純度の高くおぞましいものとして完成されているのです。

一方で、物語を読むにつれ分かるアステカの神話、「いけにえ」の意味が、この無機質な暴力に血を通わせ、燃え上がるような熱を帯びさせます。

この相反する性質を備えた「暴力」描写を私は今まで見たことがありません。

アステカの神話哲学

タイトルにもなっている「テスカトリポカ」、異名に<煙吐く鏡><夜と風(ヨワリ・エエカトル)><われらは彼の奴隷(ティトラカワン)>などがある。
アステカの神には戦争の神や、恵みの雨の神がいるのになぜ、この「テスカトリポカ」が最高神なのか。
夜と風>の名が示す通り、実態がなく。<われらは彼の奴隷>という人類側の呼びかけがそのまま名になる——名に囚われない。人類の持っている枠組みを超越した存在、という考え方が面白い。そして、<煙吐く鏡>が示すその正体。非常に面白かったです。

いけにえの意味(完全にネタバレ)

先述の通り、アステカでは神にいけにえ、特に人間の心臓を顔の横に置き捧げることが多いです。

この作品では、アステカに関係のない人間も麻薬の資本主義(ドラッグ・キャピタリズム)、血の資本主義(ブラッド・キャピタリズム)に否応なしに巻き込まれ、その中で一生を過ごしていく。

麻薬カルテルに入り、敵対組織に家族ともども殺された麻薬仲買人(ナルコ)
臓器を売らねば生きていけない人間たち。
無知は罪なのか。貧しいは罪なのでしょうか。
我々は常に何かを”いけにえ”にしています。誰がアステカのいけにえ文化を野蛮だと——

普通の人はこの物語をそう読むかもしれません。
いや、違う。

これは前半部の話。
もっと大きなテーマがあるはずなんです。

「マタイによる福音書九章十三節」
わたしが求めるのは哀れみであって、いけにえではない
脈絡も何もなく登場した、古びた聖書の一節が、何を示しているか。

”いけにえ”は”いけにえ”ではないのです。

野蛮な文化として淘汰された”いけにえ”の文化。
魂を転生させるためのものですが、アステカは同じ人間としての輪廻を否定するなど、死に対してきわめて現実的な考え方をしています。この矛盾。

アステカの末裔のバルミロは、最期に
川崎で生まれ育ったはずのハーフの少年、コシモに、神——テスカトリポカの存在を感じ取りました。

いけにえはいけにえではなく、次の時代に続く血の流れ。
死を超越する”つながり”の証なのだと思います。

肉体は死に、魂は滅び、記憶が失われても受け継がれるアステカの血と心臓。テスカトリポカによる確かな繋がり。
これこそ「テスカトリポカ」の物語が描きたかったものだと確信しています。

私の感想は以上になります。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

よろしければ、あなたの感想も聞かせてくださいね。


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