子供達はコロナで学習の機会を本当に奪われているのか?
大人になって今更わかった事ですが
学ぶという事は非常に楽しい事です。
しかしながら、学生時代は
学ぶ為に授業を受けているのではなく、
良い成績を取る為、テストで良い点を取る為
良い大学に行く為、単位を取得する為
等々、非常にくだらない事のために時間を無駄にしてきてしまったと思っています。
しかし、大人になった今、学ぶ事の楽しさに気づけたのでギリギリセーフだったと思っています。
学ぶの本質とは
興味がある事に対して自ら積極的に行動して、知識を吸収し応用して自分の満足感を高めることだと思います。
この興味がある事に対して積極的に行動するというのが非常に気持ちいい事なんです
義務教育は国民の知識レベルの最低ラインを引き上げる効果や、人と人との関わりを学ぶ場でもありますので大きなメリットもあると思いますが
自ら好きな事を学んでいける能力がある人達にとっては時間の無駄が多いシステムかもしれないとコロナでの自粛を通して改めて感じています。
コロナで大学が休みになっても
勉強する学生は勉強しますし
勉強しない学生は勉強しません。
今思えば、学生時代から学ぶ事の本質に気づいて非凡な才能を示していた人達は少数ですが、私の周りにもいました。
彼らは教育の場から与えられたものを吸収して応用しているのではなく、
自らが欲しい知識と技術を吸収しに動いて応用していたのです。
テストにも成績にも大学の試験にも全く関係ない知識と技術でしたが
彼らは非常に楽しそうに学んでいました。
リモート授業だなんだと世間は騒いでいますが
学ぶ事の楽しさに気づいている人達はこのコロナの状況下でも毎日楽しく学んでいると思います。
学ぶ事は与えられるものではなく、自ら掴み取りにいくものです。
私の好きな人物の一人である、ニトリ会長の似鳥昭雄さんは勉強もダメダメな落ちこぼれの学生で大学を替え玉受験するような世間一般でいうとダメ人間でしたが、社会人になって、とあるキッカケから学ぶ事の楽しさに気づいてからは革命的なスピードで日本有数の企業に成長させてきた敏腕経営者です。
企業の成長のさせ方や社会貢献のやり方は義務教育では決して教えてもらえません。
自ら感じて、自らがやりたいと思った事でないと人間の努力は続きません。
嫌々勉強する人は楽しく勉強する人には人生の幸福度において決して勝つ事は出来ません。
学習の機会は毎日の日常の中に溢れています。
大人よりも子供の方が興味センサーが敏感で些細な事にも関心を持ちやすく、楽しもうとする能力が高いと思います。
学校に行けないから学校で習う授業を自宅でやらせなきゃと思うのはナンセンスだと思います。
子供がやりたいと思った事を今できる範囲でサポートしてあげる事こそが子供への学習機会の提供なのではないでしょうか?
コロナで学校に行けなくなった子供たちは自ら学ぶ事の楽しさに気づきやすくなっているはずのなで、今後、非凡な才能を示す人達が急増するかもしれないですね。
皆様の応援に支えられて毎日連続投稿継続中。ゲームアプリの触りの部分をプレイする事でゲームの出来を独自に判断し半年後のセルラン を予測をしていましたが、エンタメ未来予測全般に挑戦したいと思っています。