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⚫️高田馬場のラーメン屋で感心した話


高田馬場、さかえ通りに「麺達うま家」というラーメン屋がある。
ここは安くてうまいと思う。
カウンターだけだが、安直で気軽に入れる。僕の知る限り、列をなしていることがない。
少し離れた池田屋という店は毎日長蛇の列である。僕は並ぶの嫌いなので入ったことがない。

安いといって、どれくらいかというと、750円でラーメンにライスがつく。
駅前の博多ラーメンはたしか500円で替え玉オーケーだったが、いまやメインは1000円近い感じになっている。
そういうご時世に安定している。

この日は呑んだあとのシメに入った。
珍しく(久しぶりに来たので珍しくないかもしれない)この夜は店内で立って待っている人がいた。しかし、カウンターがたくさんあるのでまもなく座れた。

ここはスタッフは、たぶん今みな外国人だ。
最近、僕の認識したことは「外国人が生き生きと働いている店は味も良い」だ。

経営者の観点から見て外国人を雇用するときに
「日本人と同じ働きをしたら同等の給料を払ってよい」という考えと、外国人なんだから100円、200円安くできるのではないか」という考えがあると思う。

前者のような考え方をする経営者のもとで、外国人は生き生きとよく働くだろうと思う。
そういう感じがする店なのだ。

ラーメンを食べ始めると、背後でサラリーマンらしき男が
「食券買ってしまったのだけど、終電が間に合いそうもないので払い戻してもらえないだろうか?」というようなことを言っている。

ドジなやつだ。

店長っぽい外国人が上手な日本語で「何頼みましたか。急いで作るから大丈夫よ」という。
しかし、男はまだモジモジしている。
店長は、「何時に出れば間に合いますか?」というと、男は「11時50分」と答える。

思わず時計を見てしまった。
たしかに、それでは鼻から麺が飛び出す勢いで食べても厳しいだろう。
それなら最初から買うのがどうかしている。

すると店長が若いスタッフに指示して払い戻しをさせたのである。
えーっっっ。
「そう、それじゃ間に合わないね」的に、なんか普通にそのようにしたのである。
「これから気をつけてね」的な釘刺しや嫌味もないのである。
まったくナチュラル。なんか新鮮。
感心してしまった。

僕は男に対して狭量であった。
いかにも日本人的に心の中で「この忙しい時間帯に云々」と断罪しかけたのである。
ネットの中では、そういうことにわざわざ苛立ち、罰を与えて快哉を叫ぶようなことが「娯楽化」して蔓延している。
そういう傾向は大嫌いだが、僕の嫌いな日本人が僕の中にいる。

それはピリピリとテンパったラーメン屋が多いからでもある。
また人数ギリギリで回して、食べ終えた食器も下げられないような飲食店もたくさん見ているからである。

いちばんの繁忙な時間帯に、このようにきちんと会話をして対応できるのはすばらしいな、と思った。

それはスキルの高さ、勤勉さやチームワークが余裕を生んでいるのでもあろうが、やはり経営者がスタッフの人数をギリギリに絞らないで、きちんと回る労働環境を作っているからだと思うのね。

*
あまり気になったので、経営母体を調べると建築設計から始まった会社らしい。
厨房も広くて、カウンターの後ろの通路も余裕がある。
カウンターの後ろ、あまりに狭いところをハンガーにかかったコートなど避けながら通らなければいけない店もあるが、そういう感じを受けたことがない。
人が普通に、快適にいる空間を基準にしてすべて考えている感じがする。

なにげなくときどき麺を食べていただけの店だが、なんだか設計思想から、払い戻しのエピソードまで一貫したものを感じる。
面白いものだ。

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