種売りのほどこし

 近代近代そこら辺に、飢えて死にそうな男がいた。
畑となる土地はあれど、植物の種や食べられそうなものもない。
その者はたいそう貧しく、物を買いに行く金さえなかったのである。

 そこへ、種を売りに、男が訪ねてきた。
「さあご主人、種はいかが、種はいかが。」
しかし主人は明日の食うにも困っているのであったから、とうぜん断った。
「せっかく来てもらって申し訳ないが、うちは見ての通り貧乏、すかんぴんなのだ。帰ってくれ。」

 種売りは、慈悲にあふれた皺を額に寄せ、
「それならば、お代は結構です。私は商売のために歩いているのではない。」
そう言うと、持っていた種を袋に詰めて、この貧しい主人に渡してくれました。
主人はいたく感動して、
「ありがとう。あなたのように優しい方に巡りあえるとは、しあわせだ。」
と、種をうやうやしく受け取ると、涙を流して喜びました。

 それから種売りが帰ると、主人はさっそく、種を畑にまいてみることにしました。
「種よ、種よ、大きくなるのだ。そうして、種売りさんに恩を返すのだ。」
そう語りかけながら、水をやりました。

 すると、なんということでしょう。
種はみるみるうちに姿を変えて、果実になりました。
「これは驚いた。種がそのまま果実になるなんて。まかふしぎだ。」
果実ふんわりとした甘い香りがしました。
主人はおそるおそる、その果実を屋敷に持って帰ると、
「ええい。」
とかじってみました。
飢えていたからか、躊躇なく食べることができたのでしょう。
一つ食べ終えると、主人は
「うまい、何の果実の種か聞いておけばよかった。」
そうして、一つ食べただけではらぺこだったお腹が満たされて、眠ってしまいました。

 それから約三か月もの間、男は果実を食べて飢えをしのぎました。
「あの商人は、聖人君主に違いない。」
と毎日欠かさずに、お空に向かってお祈りを捧げるのでした。

 
 ある日、あの種売りの商人が見えました。
主人は、ああ、お祈りが届いたのか、と嬉しい気持ちでした。


 しかし、お金がないことには変わりありません。
どんなに優しい人でも、二度三度とこじきをされたのでは、たまりますまい。何度もねだるのは、よくない事です。
一度ほどこしを受けたのだから、それで十分、幸せじゃないか。

 種売りが小屋の前に来て、
「種はいかが、種はいかが。」と声をかけます。
しかし、主人が応えないので、留守だと思い、種売りはまた歩き始めました。
その後、種売りの視界が、ふっと暗くなりました。
「誰だ、目隠しをするのは。」と種売りは聞きました。
 すると、男の声が聞こえました。
「誰って、天上人の仏陀さまだよ。」
 その声をきいて、種売りがどれほど恐ろしかったことでしょう。

あの屋敷の主人だ。あいつはきちがいだったのだ。
きちがいに施しなんて、しなければよかった。

 何をされるか分からない恐怖で、種売りは逃げることもできず、へなと倒れ込んでしまいました。

 「俺は仏陀だ、お前は善人だから極楽浄土に送ってやるぜ。厭離穢土ってのが俺の教えのひとつ、知っているだろう。」
 怒鳴りながら、この仏陀と名乗る男は、種売りを馘り殺しました。
いいえ、殺したのではなく、浄土へ案内したのです。彼によれば。

 騒ぎをきいて隣の家の者が駆け付けると、そこには安らかに眠る男と、ぼろぼろの服を着た主人が、出てきました。
 「さっきの騒ぎは、どうしたのだ。」と隣の家の者が訪ねると、
 主人はつかれた様子で、
 「この種売りが、家へきて、泊まらせておくれ、泊まらせておくれ、と騒いでいたのです。かわいそうで仕方ないので、あちらに。」
と、床についている種売りを指さしました。
 
 「なんと。それはそれは、あなたの徳のなすところだ。素晴らしい。」
と、いたく感心して、隣の家の者は帰っていきました。
 

 今、この屋敷には、救ったものと救われたもの、それだけがありました。

めでたし めでたし
 



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