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ミライの恋

白と黒や黄色を超えた差別問題が生まれるかもしれない。

今日はそんな俺の悲観的な脳みそをお見せしよう。
というかただの空想論にすぎない。

一部の人々は肌の色で差別する。
それはあからさまに見た目が違うからだろう。
俺は黄色人種日本人なのに、道行く知らない外人にニーハオとかアニョハセヨって馴れ馴れしく絡まれるのが少しウザい。
そこらへんの黄色人種アジア人でくくるな性欲猿どもめと思う。

さて、話を戻すと僕らは今、見た目で差別するということをしている。
では近い未来AIの進化が今よりもはるかに進み、見た目ではわからないほどの外観の作りになったとしよう。

そうだとしたらどうなるのか。

きっとAIと恋する時代が来ると思うんだ。

そう言うと、「それはありえない」と批判の声が聞こえてくるのは目に見えてるというか、もはやこの記事を書いた後の未来の声が聞こえてくる。

もちろん外見が人間そのもののようになっただけでは、恋はできないだろう。
だって恋は外見だけじゃないもんね。

「好き」って感情があって、喜び、怒り、悲しみ、楽しいという感情があるから成り立つ。
でも、この感情だって僕らが「好き」や「怒り」という名詞にして呼んでいるだけであって、人間や動物だけのものじゃなくなる。
僕らにだってその感情というプログラムが植えつけられているだけであって、技術と解釈が進めばAIにだってプログラミングできると思うんだよね。

もしそうなったとしたら、人間かAI人間かの区別なんてのは生身か機械の身かだけだ。
そこまでのレベルで進化したらそれはもう人間だ。

ネクストステージ差別

じゃあ僕らはAI人間から生まれたその感情を否定するのだろうか。
否定してしまえば、それは僕ら人間の否定にもなる。

仕事を奪われた鬱憤をAI人間を蹴ったり、殴ったりボコボコにして晴らすのか?
感情のあるAI人間に向かって「てめぇらは生き物じゃねぇんだよ」って罵るのだろうか。

もしそんな未来が来たら実に滑稽だ。
否定した存在を、認めているからこその行動だ。
だから恋だって例外ではない。
むしろ好みの見た目や性格のAI人間を自分用に作れる時代があるかもしれない。

それに街行く人に魅かれたら、AI人間かもしれない。さらには、交際後に打ちあけてくるAI人間だっているだろう。

これを認めなければ、差別そのもと言わず何とするか。ネクストステージ差別だ。
差別を受けたAI人間たちは自らのアイデンティティを保とうと争いが生まれるかもしれない。

じゃあ何で認められないのか。
それは僕らが絶対的であると思っていることと、自己理解のなさからだろう。

僕らの意識はどこからくるものなのか、また感情はなんだ。
最近少し量子力学をかじってみてるが意識というものは脳から生まれる前に、別の何かから生まれているなんて話もある。

もし、そんな未来がきたら僕らはわかりあえるといいね。


あとがき
この話は著者の脳内妄想と暇つぶし、かじった知識程度の荒々しいものではありますがお楽しみいただけたら幸いです。またもし興味を抱いたらあなたの考えを聞かせていただけたら嬉しく思います。

Kota Noguchi

#AI #AI人間 #恋 #恋ばな #差別 #差別問題

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