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愛するカオサンロードについてみんな色々書くけど、現状の楽しみ方を知ってほしい

私はカオサンロード(カオサン通りとも呼ぶ/以下カオサンロードに統一)が今も大好きですけど、「うるさい」「汚い」「怖い」「もう時代が終わった」「用がない」と玄人筋に言われがちです。そんなカオサンロードについて、簡単な成り立ちと楽しみ方、魅力を紹介します。

カオサンロード(写真はコロナ直前の2019年)

カオサンロードってなんですか?

かつて安宿街と言われ、バックパックを背負って旅するツーリストを迎え入れた場所は世界の様々な場所にありました。インド・コルカタのサダルストリート、ベトナム・ホーチミンのファン・グー・ラオ、はたまた香港の重慶大厦(チョンキンマンション)周辺なんかも有名ですが、世界で最も有名な安宿街、キング・オブ・安宿街として有名なのは、今も昔もバンコクのカオサンロードではないでしょうか。ここはバックパッカーの聖地、バックパッカーの首都と呼んでも差し支えないと思います。

もちろん、バックパッカーでなくても楽しめる街です。私が思うに、タイというのは旅行者にとっていつも人気のある国です。そして、バンコクという都市は、世界でも最も多くの旅行者に愛される都市ではないでしょうか。なぜタイは、バンコクは愛されるのか。物価が安いとか、ご飯が美味しいとか、旅人に優しいとか、色々あると思いますが、カオサンロードがあるというのもとても大きなポイントだと思います。

今回の主役であるカオサンロードはここにあります。

地図を見るとわかると思いますが、この通りは決して長くはありません。全長わずか300mしかありません。歩けば5分で端から端まで歩けてしまいます。しかしこの短い通りは、世界中で知られている有名な通りです。私が知る限り、パリのシャンゼリゼ通りの次くらいに有名な通りではないでしょうか。ではなぜ、この300mが世界的に名が知られることになったのでしょう。

まだインターネットがない時代、知らない都市で宿を探すのは、ガイドブックか人づて、あるいは直接尋ねるしかありませんでした。だから、安宿街というのは飛行機から市内への送迎バスや電車が停車する場所に形成されることが多いです。もちろんカオサンロードも例外ではありません。かつて空港行きのバスはこの地で発着していました。お金を節約したい旅人は、この地で、少しでも安い宿を探して、通りを行ったり来たりしました。旅人の多くが行き来するようになれば、そこに軽食を売るベンダーや、お土産物屋さん、旅行グッズを売るお店、ツアー会社などが集まるようになります。やがて世界的にツーリストが増えていく時代には、賑わいに合わせてレストラン、バー、クラブ、ライブハウスなども登場して、賑やかな通りになっていきます。こうして形成されたのが現在のカオサンロードです。

カオサンロードが必要なくなった旅人たち

2022年、コロナ明けのカオサンロード。人がいない

ところがこの状況は少しづつ変わってきます。まずは多くの人が集まりすぎて、静けさを求める旅行客からは敬遠されるようになったこと。インターネット、スマートフォン、そしてBooking.comのような予約アプリの発達で、簡単に市内の安値で清潔な宿にどこでも泊まれるようになったことが挙げられます。

こうして、カオサンロードに限らず、世界中の安宿街は拡散し中心性を失っていきました。

さらに追い討ちをかけたのがなんと言ってもコロナで、この期間中に海外旅行客を相手にするバックパッカー宿のほとんどは廃業に追い込まれます。もともと少し汚かったイメージもある安宿街は、コロナ以降さらにピンチに追い込まれました。

わけ知り顔の先輩バックパッカーはこう言います。「昔のカオサンは良かったけど、今は全然ダメだね」それはある意味で事実かもしれません。

象徴的な場所として賑わい続けたカオサンロード

でも、私が知る限り、やっぱりカオサンには今もなお特別な磁力があります。なぜでしょうか。一つ目の理由として、あまりにもカオサンロードの名前が有名になったことによって、事実上、安宿が周辺に移転した後も、いわば観光地の一つとしてカオサンロードには旅行客が集まり続けました。そして、カオサンロードと、その周辺の街並みには、独特の雰囲気が残り続けました。東京で例えると、秋葉原は今や本物のオタクが集まる場所ではないかもしれませんが、今も観光地として人が賑わっていて、独特の雰囲気が残っていることに似ています。

二つ目は、地元タイ人にとっても特別な場所になったことです。タイ人にとって、地下鉄やBTS(モノレール)の止まらないカオサンは、わざわざ出向く必要がある場所です。一方で、海外の旅行客はこのあたりで今も飲んで騒いでハングアウトしていることから、外国人と気軽に交流できる場所と認識されているようです。カオサンロードには大音量で音楽が流れるクラブやバーがたくさんありますが、外国人観光客に加えてタイ人が踊っている姿も多く見かけます。再び東京で例えますが、この状況は六本木とよく似ています。

三つ目として、カオサンロード、そこから南下した場所にある王宮、そして東に行ってチャイナタウン、そしてかつてのターミナル駅、クルンテープ駅あたりまでは、かつてはバンコクの中心部でしたが、開発がすすんだ現在は経済活動の中心から外れ、古いアジアが残る地域になったことが挙げられます。このことで、独特の雰囲気というのは温存されました。三度東京にたとえますが、かつての中心的な盛り場で、鉄道網から外れたため再開発されず、現在に至るまで独特な雰囲気を残した浅草のような場所と言えるでしょう(このことは、後の章で詳細に解説します)

つまり、秋葉原(象徴的)と、六本木(国際交流)と、浅草(かつての盛場の雰囲気を味わう場所)の魅力を足した場所、それがカオサンロードなのです。

2019年、ROCCO BARで踊る旅行者とタイ人たち。みんな楽しそう

街の歴史と広がりと、カオサンロードの位置関係について

もともとバンコクという街は、チャオプラヤー川の右岸にできた街でした。現在、王宮がある場所が古くからの街の中心です。地図を見ると、王宮があって、その南にワットポーという涅槃大仏がありますが、さらに南下したところ、Rajiniというあたりにに運河が確認できると思います。ここから北上して、メートラニー像のあたりで運河は途切れてますが、ここからピンクラオ橋あたりまで運河が通っていました。この中が、バンコクの、昔の都市地域です。そこからバンコクの街は拡大します。2回目の都市の拡大も現在も運河が残っているので目視できます。北はThewes Pierから、南はSi Pharaya Ferry Pierまでぐるっと半円状に運河が伸びているのが確認できると思いますが、これが当時のバンコク市街地の範囲内です。

さて、そこからバンコクの市街地は拡大を続け、現在の都市機能の中心はBTS(モノレールのようなのものです)のサイアム駅が中心。ここから黄緑色のスクンビットラインが、東京でいえば山手線、大阪で言えば御堂筋線に当たる、要は最も重要な中心路線です。ですので、現在のバンコクの都市機能は、丸々先ほどの運河の外側、新市街に広がっているわけですね。

さて、長々とバンコクの都市構造について語ってきましたが、何が言いたいかというと、古くから栄えていた旧市街は、BTSや地下鉄網の路線から外に外れたため、開発が取り残されて、古い雰囲気が比較的そのまま保存されたということが大きいです。加えて、タイという国は一度も王朝が滅びておらず、一度も他国の支配を受けたことがないアジアの唯一の国です。あと一つ日本も一度も占領されてはないと言いたいですが、戦後GHQによる占領期間がありました。このため、タイという国と、バンコクという都市には、古いアジアが一度も破壊されることがなく残りましたついでにバンコクの旧市街は開発の波からも外れました。その結果、カオサンロードを含む旧市街には古いアジアが真空パックのように保存されました。それが、私たち日本人を含むアジア人のDNAに組み込まれた郷愁を誘い、西洋人にとってエキゾチックな場所として存在する理由だと、私は考えます。地下鉄もBTSも遠く、ここを訪れる人はタクシーで行くしかありません。こうした結果、この地には独特の空気が保存されました。

そんな土地に目をつけたのは世界中から訪れたバックパッカーだったのです。

真の意味で世界に開かれた国際都市バンコク、そしてカオサンロード

世界には様々なインターナショナルなエリアが存在します。ニューヨークのマンハッタンや、香港のセントラルもそういう場所の一つですが、私が思うにカオサンほどインターナショナルなエリアは世界中どこを探してもありません。たくさんの人種がここでは集っていて、仲良く暮らしています。タイ人の気質なのか、地元の人もあまりツーリストを客人としてもてなしすぎず、近所のおばちゃんのように気軽に接してくれます。そのおかげか、この地には真の意味での国際交流が息づいています。

私の奥さんが旅行中にバックパックをダメにして、ある日の夜にカオサンロードの裏手のお店でリュックを買いましたが、そこで店番をしていたのは労働ビザを持たない、亡命してきたミャンマー人でした。亡命してきたミャンマー人の店員、タイ人のオーナー、日本人の私たち、そして頻繁に行き交う白人のバックパッカーたち。それぞれの立場はバラバラですし、懐事情や置かれた状況を考えても世界は不公平であるとしか言えません。でも、あの夜、あの瞬間、それらの人々はネオンの輝くカオサンロードで束の間の平和と美しい夜に酔う仲間でもあったのです。綺麗事かもしれませんが、この通りの周辺にはそういう人種を超える魅力があります。特にコロナ明けのカオサンロードは、先進国の人々も傷ついていました。先進国でこそ、より多くの人がコロナでは犠牲になったからです。でも、こうしてそういう、人種や世代や性別を超えた、ある種の連帯感が、カオサンロードにはちゃんと今も息づいています。人と人が近くなれる魔法がこの場所にはあります。例えそれが幻想に過ぎなかったとしても、私はタイと、バンコクと、カオサンロードの魔法を信じます。この国際感、仲間感こそが、タイの魅力そのものであると考えるからです。この場所で数多くの仲間に出会いました。

カオサンロードの仲間の作り方

ではこれから、カオサンロードの楽しみ方を伝授します。メモの準備を。まず、宿をカオサンの近くに取りましょう。カオサンの近くには安宿しかありません。安宿はやだという方も多いかもしれませんが、最近の宿は昔のように汚くはありません。例えば私がお勧めするのはスネタ ホステル カオサンです。

スネタホテルカオサン
これが2段ベッド。おすすめは友人と上下段を借りること
ベッドは狭いですが、各旅行サイトで評価されています。

ここは円安となった今も3000円台で宿泊することが可能です。もちろん、相部屋、ドミトリーですけど。あとは適当に宿で過ごしていればどんどん話しかけてきます。どっから来たか、何しに来たか。そうこうしているうちに腹が減ったから飯でも行こうってなり、カオサンロードの裏手のテラス、というか青空レストランでご飯を食べているうちに、もうあなたは新しい友達をゲットしています。

カオサンロードに行ったら、カオサンロードだけを歩くのではなく、必ず周辺までくまなく歩いて欲しいです。例えば、Thanon Ram Buttoriと書いてある一本裏手の通り(この辺り)。ここはバー、タイマッサージ、レストラン、ホテルが密集する旅人のオアシスです。いつも電飾が飾ってあって気分が上がります。

年柄年中お祭り気分のカオサンロード裏手

とにかく、あらゆる路地、あらゆる看板、あらゆる情報に注意深くなることです。あなただけの夜がそこに見出せるはずです。

路地にもお店がたくさん、人もたくさん

路地にもお店がたくさん、人もたくさん宿で出会った新しい友達を引き連れて、あるいはどこかではぐれていつの間にか知り合っていたオランダ人の男と、イギリス人カップル、ある日は中国人の若い女性、地元タイ人の遊び人、あるいは手を繋ぐロシア人とウクライナ人、たまに日本人、そういう人たちと溶け合っていれば、世界はひょっとしたら僕たちの力で変えられるかもしれない。そんなことをふと考えたりできます。誰にも会わなければ、一人でブリックバーに行ってください。ここではバンドの生演奏が聴けます。音楽を聴いているうちに、今までの人生のしがらみとか、そういうものが少しでも解き放たれたら、あなたはタイの子供です。


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