映画考察:「アバター」への鑑賞者のまなざし
まえおき
『アバター:ジェームズ・キャメロン 3D リマスター』を観てきました。
最近映画館に行く度、続編『ウェイ・オブ・ウォーター』の予告編が流れるので、リマスターの公開もめちゃくちゃ楽しみでした。
予告編だけでも、映画館のスクリーンと音響で鑑賞するアバターはとんでもない迫力だったのです。
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あらすじ
アバターのあらすじ等はこちらから。
文字で読むより、映像で見ていただきたいです。
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「アバター」のテーマ
まず、本作の大きなテーマに
” 科学 VS 自然 ”の構図
があります。
これは、” 先進国 VS 途上国 "の構図と捉えることができます。
それは、帝国主義やオリエンタリズムを思わせます。人間の歴史そのものです。
そう考えると、アバターの大まかなストーリーは別に新しいものではありません。むしろ、あまりに普遍的。
また、ちょっと余談ですが、異なる見方をしても、アバターは全く新しいストーリーとは言えません。
”文明人が原住民側につき、助ける中で酋長的立場になる物語” を「白人酋長物」と括れるようです。(参考)
そして、テーマを他の作品と共有していることについてはキャメロン自身認めているとのこと。(参考)
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なぜ人は「アバター」に熱狂するか
横道に逸れましたが、
それでも、観た者は世界観に没入するし、熱狂する。
正直、こういう普遍的なテーマを扱った作品は、鑑賞者をしらけさせる可能性が多分にあると思います。
実際、私はかなり穿った映画の見方をするので「感動ポルノだな〜」といろんな作品に対して感じます。
悪い意味ではなく、「私個人は没入できなかったな」という意味で。
しかし、この作品は、鑑賞者に世界を、感情を、感じさせる。
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ジェイクのまなざしがキー
本作の特徴は、主人公ジェイクのまなざしにあると思います。
ジェイクはナヴィやパンドラに対して、決して観察者にならないのです。
ジェイクは、全く知らない世界や文化に「これは何?」「これはなぜ?」と訊ねません。ただそこで、言われた通りに教育を受け、生活します。
ジェイクは、徹底的にフラットな姿勢で、フラットなまなざしを持っています。
ネイティリが初対面時に「赤ちゃん」と何度も言います。あれは、ジェイクが敵でも味方でも観察者でもなく、ただ何も知らない同じ生命体であることの象徴としてしての台詞と言えます。
鑑賞者は、このジェイクのまなざしを共有し、パンドラを感じます。
だから、本作では、未知なる世界を見る目新しさのみにとどまらず、世界観に没入できる魅力があるのでしょう。
文化人類学でよく言われる「まなざし論」を登場人物ごとに展開すると、他の見方も可能だろうと思います。
多くの人間はナヴィを野蛮なものとしてまなざし、
グレイス博士はフィールドワークに赴く文化人類学者のように、好奇心の対象としてナヴィをまなざします。
(「進撃の巨人」のハンジも、グレイス博士と同じで、巨人という”敵”に熱烈な好奇心を抱いてますよね。敵に好奇心を抱く登場人物がいるという構成も、SFものの”お約束”なのだと思います。)
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鑑賞者のまなざし
ですが、鑑賞者のまなざしは一体どこにあるのか、今一度考えたいと思います。
基本的には、鑑賞者はジェイクのまなざしで世界を見て、パンドラを破壊する人間は悪であると捉えているでしょう。それを現実世界に拡張し、自らの生活も侵略者なのだと考えさせられる部分があるなと思い、映画館を出るのだと思います。
しかし、空調のきいた綺麗な空間で、CGという極めて人工的な技術で制作されたこの作品を鑑賞した私たちは、本当にジェイクと同じまなざしと言えるのか。
今こうしてWebに記事を書く私も。
ラストシーンで、ビデオログを断ったジェイクとは違う。
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考えればキリがないですが、ひとつの考察として覚書でした。
上映期間残りわずかですが、字幕版でもう一度見てきたいと思います。
2022/10/01/2:09AM
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