好きな服を着ればいい、と思えるようになるまで。
中学と高校の頃、私服を着るのが、ものすごーく嫌だった。
だから中学では土日も毎日ジャージ(中学校指定のやつ)着ていたし、高校のときもずっと制服を着ていた。
自分の私服姿に自信が持てなかったのだ。
当時、人生最高にデブだった。だからダボっとした服しか着れなかったし、洋服のセンスにも自信がなかった。
私服での集まりがすごく嫌だったので、仮病を使って参加しなかったことすらあったと思う。
私が私服を嫌がっていることに気づいた母親が、オシャレな組み合わせの服を買ってきてくれたこともあった。
おそらく「このセットを着れば大丈夫」みたいな組み合わせをお店の人と相談して買ってきてくれたんだと思う。そんな母の想いは嬉しかった。
でも母の努力も虚しく、私の私服嫌いは直らなかった。
変化が訪れたのは、大学に入ったころ。
キャンパスを歩くたくさんの学生たちを見て、ふと気づいたのだった。
服のコーディネートに正解も不正解もなくて、ただ自分が着たいものを着ればいいのだ、ということに。
田舎から東京に出てきて思ったのは、たくさんの人がいて、それぞれの人が個性をもっているという、ごく当たり前のこと。
大学には雑誌に載りそうなおしゃれな子から、ザ・オタクみたいな子まで、ほんとうに色々な子がいた。みんな違っていたし、でもなんとなくそれでいいんだみたいな空気を感じた。
みんな違って、みんないい。
今にして思えば当たり前なんだけど、電車が1時間に2本くらいしか走らないような田舎で育った私は、そんな当たり前のことにも気づかないまま18歳になっていたのだった。
「好きな服を着ればいいんだ」と思えてからは、私服でいることがまったく苦じゃなくなった。
基本的に雑貨や文房具の方が好きなので、今も昔も、ファッションにはあまりお金をかけないのだけど、でも色々なファッションに挑戦したりするようになり、発見も失敗も肥やしになってきたと思う。
中高時代に部活か勉強しかしていなかった私は、ファッションにも勉強のように「正解」みたいなものがあると思い込んでいた。
そして自分にはその正解がわからないから、私服を着るのが恥ずかしい、怖い、という感じだったんだと思う。
当時の私に必要だったのは、オシャレに見えるコーディネートのセットを誰かに与えてもらうことじゃなくて、ファッションに正解なんてないと知ることだったんだろうな。
だから息子には小さいうちからみんな違ってみんないいを教えてあげたくて、チグハグな組み合わせを選んでも「いいね」とコメントするし、「その組み合わせ変じゃない?」とかもできるだけ言わないようにしている。
(さすがに、ボーダーのシャツとチェックのズボンを合わせたときには「目がチカチカしちゃうお友達もいるかもしれないから柄物は片方にしたら?」とは言った。。)
私は昔も今も決しておしゃれとは言えないけど、自分なりのこだわりはある。
自分らしいこだわりを磨き上げていくことが楽しいなと思っているし、人生の醍醐味なんだと感じている今日この頃。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?