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毎日が幸せだなあと思えるように、心がけることにした2つのこと。

「ずっとどうしてなんだろう?と思っていたけど、きみって、幸福感が低いよね。そんなに不幸せなの?」

年末に夫と話をしていたときに指摘されて、はっと思ったひとこと。

幸福感が低い。

うん。たぶん、それだ。

私がここ最近、というか社会に出てから10年以上、ずっと感じていた違和感の正体は。

「幸福感」という単語が正しいのかはわからないけど、ちょうど私も同じことを考えていたところだった。

今の生活に不満があるわけじゃない。

大切な家族がいて、住む家があって、裕福ではないにしても明日のご飯を食べられるくらいのお金はあって、友人もいて、仕事もあって。

それなのに心のどこかでいつも何かが足りないような気がしていて、その何かを探すために日々を送っているような感覚がある。

そんな自分を変えたくて、でもどうしたらいいかわからなくて、長いこと、うんうん考えていた。

小さなヒントが得られたのは、「職場のいつも楽しそうな彼女と自分は、どこが違うんだろう?」と考えてみたときのこと。

たぶんだけど、職場のいつも楽しそうな彼女は、

昨日の飲み会が楽しかったというだけで、翌日一日もなんだか楽しい気持ちでいられる人なんじゃないかと思う。

今日食べたランチが思いのほか美味しかったというだけで、3時間くらいは幸せ気分に浸っていられると思う。そういうシーンを良く見る。

彼女曰く、夜は睡眠時間を削ってでも大好きな韓国ドラマを見てその世界に浸り、毎日幸せ気分で寝るらしい。

私はというと、昨日の飲み会が楽しかったとして、そのときは楽しんでいると思うんだけど、翌日も楽しい気分でいられるかというと、たぶんそんなことはない。楽しさを反芻したとしてもその晩のうちくらい。

自分のテンションをあげたくて美味しいランチを食べにいくこともあるし、そのときは確かに幸せなんだけど、その幸せな気持ちはあまり長続きしない。食べ終わって15分も経てば忘れてしまう。

夜に撮り溜めていたテレビを見ることもある。見ているときはすごく楽しい。けど体調を崩さないために睡眠が第一なので、その世界に浸りきって幸せ!とか楽しい!みたいには基本ならない。

そんなことを考えていると、いつも楽しそうな彼女と比べると、私は、幸せの持続時間が短いんじゃないかと思うに至った。

ここに私の幸福感アップの鍵がありそうだと思った。

振り返ってみると、私も日々の生活で幸せな気持ち自体は感じている。

たとえば、子どもの寝顔を見るのは大好きだし、「ああ、幸せだなあ」と思う。けど、そのこと単体では翌日を生きられるほどのエネルギーにはならない。

でも、幸せを感じることはできているわけだから、幸せの持続時間を長くできたら、私も今より幸福感が上がりそうな気がする。

じゃあ、どうやって?

ここまで考えてから「じゃあ、そもそも、なんでそういう差が生まれてくるんだろう?」と考えてみる。

もちろん生まれ持った性格の差や、年齢の差もあるだろうけど、他にもなにかヒントはないだろうか?

彼女との会話を振り返っていて思い当たったことは、おそらく家庭環境の差からくる価値観の差だった。

大きくふたつある。

まず彼女は、努力することが嫌いらしい。

口癖のように「努力できない自分がたまに嫌になるけど、頑張るのってめんどくさいし、今日が楽しければそれでいっかーって思っちゃう」と言っているのを思い出した。

私は初めてその話を聞いたとき、正直「努力しなくていいと思っている人間がこの世にいるのか」と驚いた。

というのも、我が家は幼い頃から、努力し続けることこそが大事だと教え込まれ、成長しない人間になんか価値はないと言われて育ったからだった。(私は自己肯定感が低いんだけど、それも家庭環境から来ていると思っている)

失礼だけど、確かに彼女は努力をしない。

たとえば彼女はよく「英語ができればなー」とは言うけど、実際に勉強を始めることはない。「めんどくさいから嫌」なのだそう。

あとは考えるのが嫌い。考え始めること自体はするみたいなんだけど、「めんどくさいからいっかー」とよくなっているのを見る。

私はその口癖を聞くようになってから、努力することを選ばない彼女を可哀想に思うときと、努力できない自分を許せる彼女を羨ましく思うときが交互にくる。

努力できない自分を許せるということは、それでいいと思えるように育てられたということだから、きっと、うちとは逆方向の声かけがあったに違いない。

私は家庭環境ゆえに努力するタイプに育ち、なにかしらの成長を目指して毎日を生きているけど、そんな毎日が息苦しくて辛くなることも多いから、彼女が眩しいと思うときがある。

私が何かをしようとするときの物事の判断基準は「成長につながるか、つながらないか」あるいは「新しい気づきがありそうか、なさそうか」だ。

それに対して、彼女曰く、物事の判断基準は「楽しいか、楽しくないか」らしい。

だとしたら、いつもいかに楽しくあるかを考え続けている彼女の方が、いつも楽しい気持ちでいることが上手なのは頷ける。好きこそものの上手なれだからね。

というのが、ひとつめの気づき。

もうひとつの大きな違いは、まだ両親が健在の彼女に対して、私が20代で両親を失っていること。(私の境遇の方がマイノリティなのは承知している)

私は若くして両親を失うという出来事を経験したときに、自分の心が折れてしまわないように、自分の心の大切な部分を覆う大きな膜のようなもの作って、悲しみとの距離を取るように努めた。自分の感情に鍵をかけた、と言った方がわかりやすいかもしれない。

そのおかげか、精神的に病むということもなくこれまで生きてこれた。

けど今になって気づいたのは、自分の感情に鍵をかけるということは、悲しさは感じにくくなるかもしれないけど、幸せも感じにくくなるということだった。

その結果、あらゆる感情をやり過ごす傾向が出てきて、幸せだという感情も長続きしないんじゃないか。そんな風に思った。

これがふたつめの気づき。

ふたつの気づきをまとめると、私の幸福感が低い原因は、このままではいけない、成長しなければいけないという強迫観念が強いことと、幸せを感じてもすぐに忘れてしまうこと

そしてそれは、生い立ちによる影響が大きいのではなかろうか、ということ。

うーん。それがわかったところで、何ができるだろうか。10年以上もの長い年月をかけて出来上がってきた自分の考え方は、そう簡単には変わらないだろう。

成長しなければいけないと思う気持ちは、悪いことなのだろうか?

そうではないと思う。

人生を振り返っても、成長を意識したから成長できたという部分は大きかったと思う。それにこの性格で30年以上生きてきて、今さら楽しければそれでいいとは思えないし、なんだか落ち着かない。

この性格がマイナスに働いてしまうケース、つまり自分で自分を追い詰めて苦しくなってしまうことさえ防げれば、それで十分な気がする。

自分を責めそうになってしまったときは、常に成長し続けていなくてもいいんだよ、と自分を許してあげること。

いきなり完璧には難しいかもしれないけど、幸せを感じることを第一に考えながら、とりあえずやってみよう。

幸せの持続時間が短いことについては、どうだろう。何ができるだろうか。

起こった出来事は変えられないし、性格も簡単には変わらない。

いますぐに取り組めることとしたら、「幸せ」を感じる頻度を増やすことかなと思う。

普通に生きていると自分は幸せを感じにくいということを意識して、「ああ、幸せだなあ」と思う瞬間を増やしていく。そうすれば、ひとつひとつの幸せの持続時間自体は短くても、1日のうちに幸せを感じていられる時間はぐっと増えるはず。

そのためにできることは、なんだろう?

たとえば、身の回りを大好きなもので埋め尽くすことかな。

メモをするのはその辺の紙じゃなくて、お気に入りのノート。持ち歩くのはなんでもいいカバンじゃなくて、お気に入りのカバン。ご飯をよそるのは、いただきもののお皿じゃなくて、お気に入りのお皿。

そう考えてみると、私はいつも持ち物にこだわってきた。本当に気に入るものしか持ちたくないと思って生きてきた。無意識にやっていたんだな。

あとは、趣味の時間を取ること。幸せだなと感じる時間を増やすこと。

そんなわけで、社会に出てから封印していた漫画や小説を解禁しようかなと最近思っている。

物語を読むと、話に感情移入しすぎて何日も気持ちを引きずってしまうのと、100%寝不足になって仕事に影響が出てしまうから、極力避けるようにしていた。

でも幸福感をあげるっていうことを第一に考えるなら、漫画や小説は生活にはなくてはならないものだと改めて気づいた。

そんな風に、無意識に封印してしまったり忘れてしまっていた自分の幸せをひとつずつ見つけていきたいし、新しい幸せも見つけていきたいと思う。

今年が終わるころ、「なんか幸せな一年だったなあ」と思える自分になっているのが、2020年の目標です。

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