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「子どもが親の思いどおりにならない」に、試行錯誤した末の着地点

中三受験生息子の、進路選択が一歩前進しました。

それは、私の望んでいたものとは違う方向でした。

子どもは、とかく親の思いどおりにはならないものです。

そんな時、親はどう考え、対応したらいいのでしょうか。

正解はありませんし、人それぞれ違っていいと思いますが、今回私が考え抜いて、自分なりに「納得解」だと思ったことを書いてみます。

私と同じく「子どもが思いどおりにならない」に悩む方の参考になれば幸いです。

子どもは親とは違う人間と心得る

「勉強ができない」「部屋の片づけをしない」「ゲームばかりしている」などと、イライラしたり、怒ったり、嘆いたりしている親御さんは多いと思います。

子どものためを思って、怒ったり、強制したり、ほめたり、おだてたり、あの手この手で子供を思いどおりにしようとしますよね。

私だって、いろいろやってみましたよ。

もちろん「しつけ」や「社会のルール」に類することは、守らせるべきこともあるでしょう。

でも、親の期待どおりにいかないことを、ある程度達観して受け入れることも必要かと思います。

「過去と他人は変えられない」という言葉があります。

カナダの精神科医のエリック・バーンという人が言ったそうです。

わが子とはいえ、親とは違った人格を持ち、違う人生を生きる人間ですから、そもそも「思いどおりにはならない」前提で考えていた方がよさそうです。

今回「思いどおりにならなかった」こと

中三受験生の息子、第一志望は家から自転車で20分ほどの県立高校です。

偏差値少々高めのレベルで、部活と体育をやりに学校に行っている息子には、ちょっと手が届きそうにないのが現実。

実は、つくば市は子どもの数に対して圧倒的に高校の数が少ないという特殊事情があり、普通に自転車で通える距離に、手ごろな高校がありません。

そこで私が考えたのは、「地域みらい留学」という選択肢。

日本全国に参画している高校があり、主に過疎地域の高校で、県外生を受け入れ、地域との交流をしながらユニークな教育をしていくというもの。

息子と実際に三重県の県立高校に見学に行き、「ここがいい!」と思いました。


偏差値や大学進学率にしばられず、豊かな自然の中でのびのびと学べる環境。

多感な年ごろの子には、寮生活もよい学びになるでしょうし、大好きなバスケットボールも思い切りできそうです。

何より、大きく変化するこの時代、親元を離れて知らない土地に行き、地域の人たちと交流しながら、学び、主体的に活動していく経験は、大きな財産になると考えました。

しかし、息子の反応はどうも前向きではありません。

12月の半ばまできて、いよいよ志望校を決めるタイムリミットになりました。

その時点で、模試の結果は第一志望校E判定。

私は、偏差値や学歴にはそれほど価値を感じていませんから、テストの結果が悪いことで息子を叱ったり、責めたりすることはありません。

こうなったら勝ち目のない挑戦をするより、地域みらい留学に決めよう!と言ったところ、息子の返事は「行きたくない」でした。

どんなに「地域みらい留学」のメリットを説いても、息子は頑として「行きたくない」と言います。

まだ第一志望を諦めたくないし、もしダメなら、バスケ部の先輩たちも何人も行っている私立の第二志望校に行く、と。

私立の高校は、あまりいい噂を聞かず、ネットの在校生による口コミもひどいもの。

鵜呑みにするわけではありませんが、息子にとって望ましい進学先とは思えません。

そう言っても、息子は「それでもいい」と。

「高校生のうちは、まだみんなと同じように、地元の学校に行きたい」と言うのです。

親から見れば、幼稚な理由に思えます。

これからは個の才能が輝く時代と信じる私には、「みんなと同じがいい」なんて、嘆かわしいとさえ感じてしまいます。

しかし、それが彼の選択でした。


思いどおりになる子がいい子?

ところで、親の思いどおり、言うことを聞く子が「いい子」なのでしょうか。

親や先生の言うことを、なんでも素直に聞いてくれたら、親はラクかもしれません。

でもそれは「いい子」ではなく、親にとって「都合のいい子」ではないでしょうか。

親や先生の言うことをよくきく子は、指示や課題を与えられないと、自発的に動けない子もいます。

それに、親の「思いどおり」、すなわち親の「想定できる範囲」でおさまる子でいいのでしょうか?

世の中はどんどん変化して、親の想定を超える世界になっていきます。

その中で、主体的に考え、行動し、切り拓いていける能力をつけていってほしい。

どんどん親の「想定」を超えていってほしいと思うのです。


また、子どもには親の気がつかない才能や潜在能力があります。

私は、子どもの頃、足も遅く、運動神経が悪いのがコンプレックスでした。

夫も決してスポーツマンタイプではありません。

息子も、歩き始めるのも遅く、幼稚園や小学校での遊具での動きもどんくさい子でした。

「まぁ、私の子だから、運動神経は期待できないわね」と内心思っていました。

しかし、小学5年生の時に、自分から強豪のドッジボールチームに入りたいと言い出し、厳しい練習を経てみるみる身体能力を上げていきました。

中学でも強豪のバスケットボール部に入りました。

息子は体が小さく、華やかな活躍をする選手ではありませんでしたが、県大会で優勝するなど、たくさんの私の知らない世界を見せてくれました。

これは、いい意味で「思いどおり」を裏切ってくれたことでした。


私も思いどおりにならない子だった

私自身の親子関係も思い出してみました。

私の今までの人生の前半は、「親の思いどおり」の子だったと思います。

まじめに学校に行き、授業を聞いて、宿題をやっていたので、まずまずの成績がとれていました。

息子には手が届かない「自転車で通える県立高校」に、親や先生の言うまま、特に何も考えずに入れてしまいました。

でも、それがよかったかどうかはわかりません。

その後も、まじめに上の人の言うことを素直に聞くことがよいと思って生きていました。


親の「思いどおり」にならなくなってきたのは、20代半ばを過ぎてから。

両親は「そろそろ結婚」をほのめかしましたが、私はその気にはなれませんでした。

当時勤めていた会社の仕事にも、やりがいや夢が見いだせなくなっていて・・・

そんな時に出会ったタイとタイ語。

「タイに行って、タイ語を勉強し、タイ語を仕事にして生きていきたい」

30歳を過ぎて独身でのこの転身。

もちろん両親は大反対。

「なんでタイ語?せめて英語にしたら?」

「1年だけやってみて、あとは帰ってきて落ち着きなさい(結婚しろという意味)」

という両親を適当にあしらって、一生タイで暮らすつもりで旅立ちました。

遅すぎる反抗期でしたが、「親の思いどおり」じゃなくなってから、自分の人生を歩んでいるという手ごたえを感じています。

本当は親の期待にこたえたい

とはいえ、子どもは「親に認められたい」「親の期待にこたえたい」という気持ちはあるものです。

タイ語の通訳として働き始めて1年、少し仕事に自信もついて、やりがいを感じていた時でした。

母親から「いつまでそんなことやっているの、1年経ったのだから、もういいでしょ」と言われたことがあります。

自分の生き方を、親に認められないつらさ。

鉄道会社に勤めていたまじめな父と専業主婦の母、姉は20代半ばで結婚して二人の子を育てて幸せに暮らしている。

両親の完璧な人生に、私だけが汚点になっていると思い、バンコクのアパートで一人で泣いたこともありました。


その後、親のためではなく、たまたま縁があって、バンコクで夫と結婚することになりました。

夫は、有名企業に勤める駐在員。

その条件に惹かれたわけでは、まったくありません。

でも、「親が安心する条件の人でよかった」と思ってしまいました。

30代半ば、自立した大人になっていても、親に評価され、彼らの価値観に沿いたいという呪縛は、根強いものがあったのですね。


ましてや息子は15歳。

親に喜んでもらいたい、認められたいと思う気持ちは、当然あると思います。

親の望まない選択をしたこと、失望させてしまったことに、無意識に引け目を感じて、苦しんでいるような気もします。

でも、最終的に自分の選択を、「正解だった」と思えるようにしてくれればいいだけのこと。

これ以上、プレッシャーをかけたり、未練を口にしたりして、苦しめることはやめようと思います。


子どもの人生を信じる

私から見れば、幼稚で甘い理由で地元の高校にチャレンジすることを選んだ息子。

それよりも、「地域みらい留学」が絶対メリットが大きいと、私は確信しています。

息子のために、経済力と親の権威をかざして、「地域みらい留学」に強制的に行かせることも、できなくはありません。

しかし、そうしたときに得られるものは・・・

期待していた主体的な取り組み、地域の人との温かな交流、自由でのびのびした学校生活、豊かな自然体験などなど。

「無理やり行かされた」という心持でいれば、それらの素晴らしいものを受け取ることは難しいでしょう。

困難や挫折があれば、「本当は行きたくなかったのに」と言い訳するかもしれません。

さらに、親への不信感や、自分の意見が認められない無力感、自己肯定感の喪失につながりかねません。

親の正義、正解を強引に押し付けることは、実は恐ろしいことだと思うのです。

大げさかもしれませんが、ある種の原理主義に通じるような、思想の弾圧や「自粛警察」などを思い起こさせます。

子どもとはいえ、彼の意思を尊重するということは、実はとても大事なこと。

そして、子どもの力を信じることも。

息子は、どんな環境でも、学び、乗り越え、成長し、幸せになれる力があると信じていればいい。


「子どもは、親の言うとおりにはならないが、親のするとおりのことをする」と言われます。

ならば、子どもにどんな人生を歩いてほしいか考えてみましょう。

私だったら、息子には自分の好きなこと、得意なことをして楽しく稼げる仕事をして、人や社会に感謝され、素敵な友人に囲まれて、心豊かに生きてほしい。

ということは、私がそうやって生きていればいいってことなのですね!











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