島に映画館を作る
島に映画館を作りたい。
小徳は小学生まで茨城県の北部、今は合併して無くなった”瓜連町”という小さな町で暮らしていました。
毎日田んぼでザリガニを取り、畑で火遊びをして、竹やぶで秘密基地を作って、5時のサイレンで家に帰る。いわゆる野生児でした。
小学5年生の時に神奈川県の”逗子”に兄や姉の進学のため引っ越しました。
都会の子たちは綺麗な標準語を喋り、男の子も女の子もおしゃべりで、彼女がいたり、彼氏がいたり、分数の掛け算をやっていたり、、
都会の子たちは進んでるなあ、と思いましたが
子供の順応力は高く、夏が過ぎる頃には普通に友達もできて、成績も普通になりました。
あれよあれよと、横浜の中高一貫の進学校に合格して
いつの間にか都内の国立の医学部に受かることができました。
『どうして周りに田んぼしかない様な所で、野生児の様に育った自分が普通に今医師という仕事ができているのか』
この答えをずっと探していました。
一つの答えに父親の趣味があると思う
父親は映画と本と漫画と音楽が好きで
家の中、車庫にはたくさんの本と漫画が溢れていました
たまに、家族で水戸に映画を観に行ったり、週末の夜にプロジェクターを使って家族で(子供には)難しい映画鑑賞会をしたり
毎年お正月にはエヴァンゲリオンアニメ版を全巻流しながら年越しをするというのが家族の恒例行事でした
父親は自分に勉強をしろとは言わなかったけど、おそらく映画とか本を通して自分の視野を広げたかったんだと思う
地方と都会の教育格差は絶対あって
それが学校とか塾だけの問題じゃないと思うんです
できれば自分の子供の、島の子供達の、教育という壁が将来の夢の障害になって欲しくない
その教育の壁を、常識を、ぶち壊す様な映画館を作りたいんです
その地域のくだらないルールに縛られて、ずっと閉じこもってしまう子や、それが嫌で都会に逃げ出して、自分が生まれ育った故郷を悪く思い続け全く帰ってこない子だったりの居場所を作りたいのです。
悲しいじゃないですか自分を育ててくれた土地なのに
そんな時に良い映画との出会いが人の人生を良くしたら素敵じゃないですか
ありのままの自分で良いんだよって言ってくれる映画に出会えれば
いつでも島の外の世界に飛び出して
沢山視野を広げてから、その成長した心で島に帰って来てくれたら、こんなに嬉しいことはないです。
二宮尊徳の言葉で
たらいの水を自分の方に引き寄せようとすると、水は向こうに逃げてしまう。
相手にあげようと押すと、こちらに帰ってくる。
これは若者も一緒で、島に留まって欲しいと本当に思うならば、自由に島の外の世界に出してあげるのが一番。
僕はそんな子供達が外に出る勇気を出させてあげる映画DJになりたいのです
島の人の気持ちに寄り添った映画を流す映画DJになりたいのです
終わり
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