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自己紹介 島の医者がなぜnoteをするのか

はじめまして!離島医療人物図鑑の小徳羅漢(ことくらかん)です!


この度、noteを始めてもう3年くらい経つのに、自己紹介もしていなかったのでさせていただきます!フォローして下さった方、読んでくださる方に本当にいつも感謝です。



目次
プロフィール〜なぜ離島で働くのか?〜
なぜ島の医者がnoteを書くのか?
僕が目指すライター像



プロフィール


小徳羅漢(ことくらかん)と言います!鹿児島県の奄美大島で産婦人科医として働いています。

産婦人科医として働きながらNPO団体GlocaLandの離島医療人物図鑑作成プロジェクトに関わっております。

離島医療人物図鑑では日本中の面白い離島医療をしている医師や看護師、薬剤師など多様な離島医療人を紹介しています!!





もともと、茨城県の小さな田舎町で生まれ、小学校で神奈川県に転校しました。小さいながらに、地方と都会の様々な格差があることにうっすらと気付きはじめました。



高校生の時、修学旅行で長崎の伊王島という小さな島に行きました。その島は昼は医師がいるけど、夜には船に乗って本土に帰ってしまうと島の人から聞きました。


「夜に島の人が病気になったらどうするのだろうか?」


その島には、普段僕らが当たり前に享受している「医療」という、安心して暮らすために必要な基本的なものがないことに衝撃を受けました。島民の方も、同じ税金、健康保険を払っているのに。


と同時に、自分は自然豊かで、美しいその島が好きになり、この島の医者になろうと決意しました。その後、家から通えるというだけで、東京のとある国立大学医学部に入学しました。



どうやら、入る大学を間違えてしまったみたいで、東京のど真ん中にあるその大学には、離島医療を教えてくれる大人がいませんでした。


「離島医療とか地方の病院で働く医師は出世コースから外れた落ちこぼれだよ」


そんな、腐った思想が充満した医療界に絶望し、離島医療、医師になること自体を諦め、マッサージのバイトをしたり、カメラマンのアシスタントをしたり、映画のエキストラをしたりして、あまり大学に行かなくなりました。



そして、あの伊王島に本土と繋ぐ橋ができたことを知りいよいよ夢も目標も見失ってしまいました。


そんなグズグズした6年間はあっという間に過ぎ、卒業旅行と就職活動を兼ねて、友達と鹿児島に病院見学に行きました。鹿児島の美味しいご飯と温かい人たち、その地域の医療を支えているんだという熱い気持ちで、イキイキと医療をする先生たち。


そこには、出世コースから外れた負け犬も、落ちこぼれもいませんでした。


ただ、目の前の患者さんと地域に必要な医療を提供する尊敬できる大人たちがいました。



更に、鹿児島県の甑島という島にDr.コトーのモデルになった先生が働いていると知り、6年前の自分の夢や気持ちが少しずつ湧き上がってくるのを感じました。



そして、迷わず鹿児島に来ることに決めました。



鹿児島に来てから、夢を思い出した僕は仕事も勉強も楽しくて楽しくて、寝ても覚めても離島医療のことだけを考えていました。


そして、実際に甑島でDr.コトーのモデルの瀬戸上先生のもとで研修することができました。



そこで、本物の離島医療を体験した僕は一気に離島医療にのめり込み、そのまま屋久島、種子島 、口永良部島と周り、離島医療の虜になりました。


研修医が終わると、鹿児島で出会った今の奥さんと結婚し、長崎県の五島列島で総合診療医になるために2人で引っ越しました。


そこで1年間、日本で一番離島の多い長崎で離島医療を学びました。


日本の離島医療を見た僕は、(英語は出来ないけど)オーストラリア、ノルウェーの離島、僻地医療を学びに世界に飛び出しました。


そうすると、自分の中で狭い視野で考えていた「離島医療」という学問が実は世界中に繋がっていて、一つの大きな河になるのを感じました。



と同時に、こんなに面白い学問を学生の時の自分が知っていたら、夢を諦めずに済んだのにと思いました。


なぜ島の医者がnoteを書くのか?


今まで、僕がどうして離島医療をすることになったかのお話を書いてきましたが、じゃあどうしてnoteを書くのか。どうして、離島医療を発信し続けるのか。


「離島医療人物図鑑」は北海道から沖縄の学生を中心としたメンバーで構成されています。「離島医療の情報を発信することで、離島医療の魅力を世の中の人に知ってもらうんです。そうすることで、ゆくゆくは離島医療をしたい医療者が増えて離島医療と本土の健康格差が、、」と僕たちは言いながら活動をしています。


だけど、僕は実はそんな大義名分でnoteを書いてるわけではないんです。



僕は、ただ昔の自分のために向けて書いてます。



あの時の自分がもし読んだら、ワクワクする様な記事を書いています。


あの時の自分は周りに離島医療を教えてくれる大人も、応援してくれる人もいませんでした。そんな中で、自分の「離島医療をしたい」という夢はどんどん萎んでいきました。


そんな自分に「大丈夫だよ。離島医療はめっちゃ楽しいよ!」って応援するために書いてます。



僕が目指すライター像


病院という中は患者さんのプライバシーの問題だったりで、撮影や取材が難しいブラックボックスとされています。しかし、僕は今まで研修医という立場を使って、色んな病院の現場にカメラを持って体当たりで取材してきました。


これからも医療者という立場を利用して、病院に入り込み、体当たりで取材を続けていきたいです。


そんな中で病院の中には、僕ら医療者にとっては当たり前のことでも一般の方からしたら「面白いこと」、「変なこと」が多いです。


それを「面白いこと」、「変なこと」だという世間の人と同じ目線を持ち続ける医療系ライターでありたいなと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


大学生になった僕へ         
「僕は今、鹿児島で離島でお産を取れる医者になるために修行しながら、どうやったら島の人が、島のお医者さんが幸せになれるかずっと考えています。                          
君の感性は、ちょっと変です。変だから、社会に出ると、凄く叩かれます。ただ、君は勘だけは良いから、すぐに普通の社会に順応出来ると思います。だけど、それで本当に幸せでしょうか?                   
君のその『変な感性』を大人になっても、信じてあげてください。いつか、その『変な感性』を認めてくれる大人が現れますから。その『変な感性』を必要とする人がいますから。
その人達に出会ったら、その人達を大事にしてくださいい。」                      
少し大人になった僕より











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