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二番煎じ(にばん・せんじ)

タイトル画は「外部サイトの無料イラスト」を使用しました。

本日は、言うのがつらい話をします。
だったら言うなよ!というお声が聞こえてきそう。
でも、書きます。

過去の記事で、私もやっちゃっている事です。
私だけでなく、note投稿者さんたちも「やってしまっている」ことを論じます。

「それ、ちょっと前に、ほかの人が同じこと書いてたよ。」
っていうやつです。

「実は、先週こんなことがあって・・・」という体験談なら、ほかの人とカブっていたとしても、「すごい偶然ですね!」と、笑い話で済ませられます。

でも、「ニュース系」とか、あるいは「史実に基づく系」・・・つまり、「過去の事実」に関する記事の場合には困ったことになります。
他の人と中身(コンテンツ)が「カブっちゃった」時、ホントにどうにもならないですよね。

こういった場合、ラジくまるは、ほぼ毎回こんな行動をとります。

「うまい文章の運びだなぁ。読ませるねー。読んで楽しかった。いい文章だ。」と、心の中ではそっと褒めつつも、しかし「スキ」は押しません。

「感動できたかどうか?」、感情が揺さぶられたかどうかで「スキ」しませんか?普通はそうですよね?
文章の外面(美麗な文章)ではなくて、中身(意見や考え)に対して「スキ」を押すんですよね?

「その話題は2日ほど前に、もう読んだから。」という場合は、感動が減ります。感動が少ないです。
そのため(ラジくまるだけかもしれませんけど)そんな時は、やっぱり「スキ」を押さないです。

今回は、この記事を書きながら、自分で自分を戒めている部分もあります。
たとえば、ラジくまるの記事でしたら「ルイス・キャロル」関連記事や、「盤双六」関連記事が、そういう危険性がある記事といえます。

ある人は「初めて読んだ。面白かった。」と、感動してくれるかもしれません。
でも、別の人には「あー。その話、ちょっと前に読んだばっかりなんだよねー。」ということで、全くウケないかもしれません。

過去の事実にもとづく記事って、もう知っている人は知っている内容です。
乱暴に言ってしまえば、記事を書く労力は他のと変わらないのに、読者からの反響を聴けるチャンスは、半分くらいしかないかも?という恐れがあるのです。

それって、なんだか、記事を書くウマミが少ないように思えます。

投稿する。
すると、例えば「スキ」みたいな、何か見えるカタチの反響がもらえる。
嬉しい。

って、そういうモチベーションがあるからこそ、投稿が続いているという部分があります。
だから、ウマミの少ない歴史関係の記事は、もう書くのを止めちゃおうかな?と思ってしまいました。

で、
いろいろ考えたのですが、結論としては、今後もネタが集まったら、やっぱり歴史ものを書くことにしました。

なぜか?
「未来の自分という読者」を想定したからです。
自分のことをすっかり忘れていました。

きっと、3年後・5年後の「自分」は、「よくそこまで細かく調べたねー。偉いっ。」と、現在の私のことを褒めてくれるに違いないんです。

タイムマシンみたいな話ですが。
そんな未来を想像しただけでも、嬉しいです。

今日は、せっかくお読みいただいたのに、なんだこれ?自己完結?な話ですいませんでした。読了ありがとうございます。
でもご注意。
歴史ものは文献調査時間がすごく長くかかります。次回作がもし書けたとして、早くとも数か月後。すっごい遠い未来のことになりそうです。

追伸:
他の方のnote記事を読むうち、「ここ最近、内容カブリが多いな」と気になったので、今日はこんな記事を書きました。

ちなみに、コンテンツがカブってしまう大きな原因は、ラジくまるが「ある特定のキーワード」を検索して、集中的に読むクセがあるせいです。そんな読み方をしたら、カブリが多くなるに決まってますよね。

ゲームシステムのデザイナーって、何なの?どういう意味? そんな疑問は、私の記事群によってご理解いただけるものと期待してます。 ラジくまるのアタマの中にある知識を活用していただけるお方、サポート通知などお待ちしています。