【眠食動】【瞑想】アクティブ瞑想が必需かもしれない|身口意(しん・く・い)を使う瞑想トレーニング
OSHOアクティブ瞑想をシェアしています。
2007年に、福岡の天神(東京だと新宿みたいなところです)で瞑想会を始めました。
インドに通って、瞑想をシェアするためのトレーニングも受けて、それから、休み休み、ほそぼそと、主にふつーにサラリーマンしている人たちに向けて(私もふつーにサラリーマンでしたし)やってきました。
瞑想するとどうなりますか?とよく訊かれます。
邪念がなくなる
集中できる
無念無想になる
・・・ありません。
あるかもしれないけど、そのためにはしていません。
現世ご利益、ありません。
むしろ、ゆるがせられたり、失うものもあるかもしれません。
で、セルフケアでお勧めしている「眠食動」を、ここで言うのはムジュンするかもしれないですが、ぐっすり眠る・おいしく食べる・いきいき動く!が調わないときに、いっちょアクティブ瞑想してみ!と言いたいケースも多いのです。
たとえばOSHOダイナミック瞑想なんて、一見、はげしくクレイジーな瞑想(瞑想トレーニング)です。
表出・爆発のステージを、カタルシスということあるのですが、よろこびでも、感謝でも、遊びごころでも、おもいきり表出してみていいのだと思います。
クレイジーさが目的ではなくて、瞑想トレーニングが目的でもなくて、でもプロシジャーとして存分に遊び尽くされたとき、それ、はあるかもしれません。
「身口意」は新しくない。そして今だから必需だと思う。
「身口意」(しん・く・い)(身体の動き、声や音、イメージ)を使うという、瞑想(瞑想トレーニング)のテクニックは、20世紀になって誰かが始めたようなものではなくて、数千年伝わり残ってきた、瞑想トレーニング法として脈々と行われてきたものです。
静かに坐る、のは、瞑想ぽいのですが、こんなにも身体を動かさずに生活できて、複雑な情報にまみれているとなおさら、瞑想よりも妄想、さらに妄想を抑圧する、やっかいなことになるかもしれません(なっていると思います)。
現代人が瞑想をしようとするとき、伝えようとするとき、古い時代よりももっと、「身口意」のツールを必要とするのだろうと思います。
私自身も、ほうっておくとアタマでぐるぐるするのが得意なタイプなので、それだからこそ、カラダに、動くことに、こだわっています。
それで、アクティブ瞑想をシェアしたい、と思っています。
本気で心身を調えるのなら
現世ご利益はない。現世ご利益のためのものではない。のですが、いろいろカラダにいいことをしてみても「眠食動」が調わないとき(眠れないときも)、ひとしきり、アクティブ瞑想をやってみるのもおすすめです。
ひとしきり、というのは、3週間、あるいは3ヶ月を言うことが多いです。
瞑想トレーニングもそうですが、ひとしきりの期間、心身に真摯にアプローチすることを続けるとき、その過程では、きもちいいことや、いわゆるポジティブなことばかりが起きるとは限りません。やめたくなることも多いかもしれません。
それでも自分のプロセスとして引き受けるつもりがあるなら、
心身をもう本気で調えるつもりがあるなら、
本気のサポート、承ります。
瞑想だけでなく、鍼灸だけでなく、癒しのマッサージだけでなく、
それらも、科学も、直感も、全て使って伴走します。
本気なら(あるいは本気でできるかどうか迷っているなら)、
一度ご相談ください。
オンラインでも可能です。
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