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就活はクソゲ?23卒の非当事者がみた就活の姿

はじめに

私は大学卒業後に大学院(法学)に進学しましたが、仲間の多くは就職していきました。最初から就職する気のなかった私でしたが、仲間に連れられ企業説明会やインターンシップに参加し、また同人らの話を聞いたりもしました。そんな中、私はこう感じました。

もしかして就活ってクソゲーでは?

この記事は、就活当事者ではなく、またそうだからといってなにも就活事情を知らないわけではない私の目線からみた就活のいびつな現状を挙げ、「就活はゲーム、それもクソゲーだからせいぜい楽しめばよいのではないか」と訴えるものになります。なるべくわかりやすく記載いたしました。どなた様でもぜひお楽しみください。

企業側の現状

サイレント

サイレントとは、企業側が就活生に落選通知をしない行為をさします。古いデータにはなりますが、およそ3割の会社(しかも就活生に人気の会社ばかり)がこのようなことをしているみたいです。実際に私の同期もさんざんこれを食らっていました。

これを会社側の恩義(言わぬが花)であるととらえる人もいるでしょう。しかし、これは完全に会社側の都合によるものですし、なんなら通知をされないほうが(花どころか)就活生には迷惑です。

どういうことか。まずは会社の都合を把握する必要があります。

会社は選考を通して「優秀な就活生」(←これについては後述)を選別していきます。しかし、選別された「優秀な就活生」はほかの企業にとっても「優秀な就活生」であることが多く、この場合就活生側が会社を選ぶ、つまり一方には内定承諾を出し、他方には内定辞退あるいは選考辞退を通知します。辞退された側の会社は、このままでは十分な数の新入社員を確保できないので、「まあまあ優秀な就活生」に内定通知あるいは選考通過通知をします。「まあまあ優秀な就活生」が辞退すれば今度は「普通の就活生」にオファーを送ることもあるでしょう。

つまり、選考から漏れたことを就活生に”あえて”通知しないことによってこのような荒業が可能となるのです。
「なにも落選したとは言っていなかった。あなた明日の選考面接に来れますよね」と、会社側は就活生側に説明できるということです。

しかし、これを就活生側から見れば、来るかもわからない通知を、まさに運命の通知として最低数日間、待ち続けるのです。その間の精神的負担はもっともですが、その後の就活スケジュールもたちにくくなってしまいます。なんて不憫なんでしょう。

皆さん思ったのではないでしょうか。学校の入試みたく、会社は補欠通知をだせばいいのではないかと。
私もその通りだと思います。しかし会社はこれを行いません。つまり就活生に対する仁義を犠牲にして、業務効率を確保しているのです。しかし、確保されるべきは前者ではないでしょうか。こういう会社の人事は、みずからがビジネスマンである以前に人間であることを忘れているようです。愚かですね。

また、この悪習の許せないところは、相手が就活生だからまかり通っているといえる点にもあります。まさに弱い者いじめです。就活生は会社側に文句を言えた立場ではありません。なぜなら第一義的には選んでもらう立場だからです。ここに大きなパワーの傾斜があります。会社は窮状に付け込んでいるのです。
もっといえば、人事につとめる人は、”あえて”連絡をしない、などという行為を果たして取引先にするでしょうか。もしこれをすれば取引先の心証は最悪なものとなるでしょう(社会人として失格レベルです)。よってしません。相手を選んでいる(就活生だけにしている)横暴と評価してもよいのではないでしょうか。

(国がガイドランとかそこら辺のソフトローで示してくれればいいんだけどなあー。)

「人事の人事」の瑕疵

とある政府系金融機関(J社としましょう)の会社説明会に参加したとき、質疑応答でこんなやり取りがありました。

就活生:Nさんはなぜこの会社に就職されようと思ったのでしょうか。

N(J社人事):福利厚生ですね。それだけでした。もちろんそんなことは面接ではしゃべりませんでしたけど。でも今は、企業理念についてかなり共感できていますし、仕事にもやりがいを感じています。

就活生は普通、志望動機で業務内容以外のことは語りません。なぜなら、「もらう」ことだけ考えているならば「その会社」がその人に内定をだす固有の理由がなくなります(「別」の会社から「もら」えばいい)し、なにより会社は、会社や社会に対してGiveするモチベーションを持った人材を待っているので、「もらう」ことだけ考えているひとはそういう人より魅力が劣るので採用されにくいからです。しかし、Nはあろうことか、J社の人事(就活生を選別する権能がある人)として、「自身は福利厚生だけの動機で就活をした」といってのけたのです。

Nの本心は不明です。「どんな理由を腹の中に持っていてもそれでよいのではないか」という意味で発言したのか、はたまた就活生をリラックスさせるための冗談であったか。しかしいずれにせよ、Nが以上の内容をいけしゃあしゃあと発言したのは事実です。
これは許しがたい事態であると思いました。Nの発言は、真剣な理由でJ社を志望する就活生に対してあまりに侮辱的に映り、かつ虚無感を味わわせたのではないでしょうか。つまり、かれらの心理を察するに、

本心では福利厚生のことしか考えていなかった奴が選考を受け、実際に内定を得て、なんならいま目の前にいる。そういう者が僕らの代にもいたら、そいつが自分の内定枠をとってゆくかもしれない。自分の志の実現が阻まれるかもしれない。そんなこと許されていいのか。

僕はJ社でやりたいことが確固としてある。やるべきことも自覚しているのでそれを面接で語りたい。しかし肝心のその聞き手であるNが「福利厚生がすべての志望動機」なんて言い出して拍子抜けした。まさかとは思うが、N自身が就活生を色眼鏡で見てくる(就活生は基本福利厚生が目的なんだろうと勝手に思い込む)なんてことないよな。

という風に思っても不思議ではありません。私ならそう感じます。

兎に角、Nのこの発言は、極めて不用意であると思いました。
J社は中小事業者支援を行っている政府系金融機関です(ここまで書くとわかっちゃうかな??笑)。融資実績の数も桁違いで、日本経済に途轍もなく大きな影響力を持つ会社です。それゆえに、なぜこの会社は、いとも簡単に失言を犯す、もっといえば就活生に真剣によりそっていない人間を人事に配置したのか疑問でなりませんでした。少なくともこのケースにおいては人事を決めた人事にミスがあるといえるでしょう。

巷では、人事のようないわゆるバックオフィス部署が事実上の左遷先となっている会社もあるというささやきもきこえます。無能人事に運命のジャッジをされる就活生がいたならば、かわいそうでなりません(憶測)。

テレフォン

会社は、面接通過や内定を大体電話にて通知してきます。会社によっては非通知設定を使って就活生側に折り返せない様にすることもあります。

さて、ホリエモンも言っていましたが、電話は相手とタイミングを合わせなければならなかったり、会話時間に拘束される、あるいはゲリラ的なシチュエーションではあるがテンションをちょっと上げないといけない、など受け手側に面倒が多く、緊急性の高いコミュニケーションの場合のみ「許される」連絡手段であるというのは常識でしょう。

会社は、面接通過や内定の連絡をわざわざ電話でしてくるわけですが、この連絡や日程調整は果たして緊急性が高いでしょうか(大体提案される面接日程も2週間後などだったりします)?電話をする必要性はあるのでしょうか?これは「許される」連絡手段なのでしょうか?

会社は電話を好みます。なぜなら早く確実な返事が欲しいからです。思うにいま聞けるなら聞いておこう的な「甘え」でしょう。これもまた前記同様に会社側が都合を押し付け、優越的地位でもって就活生側に負担を受忍させている例といえると思います。

また、いい歳した大人がビジネスシーンで非通知を使っているという事実もなかなかひどいものがあると思います。取引先にはそんなことしないでしょ?就活生という相手を選んだ非行。弱い者いじめです。実益があれば何でも許されるのがビジネスの世界なのでしょうか。そうであれば、非常に愉快なことだと思います。

就活生側の不誠実

さて、ここまでされて就活生側も黙ってはいないわけです(笑)。

会社に対する不誠実

私の友人のS君は本当にしたたかな人でした(悪い意味で)。彼はこんな話をしてくれました。

この O という就活サイトにはいろんなひとのES(エントリーシート。就活生が、志望動機やこれまでの経験を書いて会社に送る書類)が掲載されている。これは普通参考程度に参照するようなものであるが、おれはこの中からひとつストーリーを選んで丸暗記した。それをESに書いて面接でもしゃべっていたらなんと内定をもらえたんだ。

とんでもない話です。
面接で嘘をつくとたいていは話が矛盾してバレるものなのですが、かくしてS君のような知能犯は完全犯罪を成し遂げたのです。そしてその効果として、S君に内定を出した会社は、「ESの中のS君」という虚像人間をあろうことか雇おうとしてしまったのです(実際にS君はその後その会社の内定を辞退したので最悪のシナリオは回避されました)。

このような例は実際には稀有です。ただ、ほとんどの就活生は、自分の行った話を1~2割増しくらいにして語るようなことはしているようです。元となるイベントは自分の経験をベースにし、つまり有無については事実を用いて、程度の部分だけを改ざんしてみせる技。いやあ、大層なものです。さぞ立派な社会人になられることでしょう。

同級生に対する不誠実

私の所属していた研究会では、10月ごろから就活を理由に討論を欠席する人がちらほら現れはじめました。討論に欠席するだけならまだマシです。討論の準備期間にはついぞ一切仕事をせず、討論当日になってひょいと顔を見せたかと思えば、その場で何もしゃべらず、その後の飲み会だけ参加するという輩(やから)が、12月ごろになるとほぼマジョリティーになるわけです。忙しいのに酒は飲める。全くの矛盾です。
さぼりが出ても、チームのアウトプットにブレを出すことはできません。そうして就活をしない(しかし院進学入試はある)私含め残った仲間の負担が増えるのです。貴様の本業はなんだ?就活生である以前に学生であることを忘れるな!と喝をいれてやりたくもなりました。

しかし一方で、かれらは就活生として、雄弁に研究会での自分の努力(笑)を語るのです。「チーム一丸となって頑張った」とか「夜遅くまで検討した」とか。全部うそなわけです。証人になって差し上げたいです。

また、嘘でない場合、つまり実際にがんばっていた場合でも、特に「夜遅くまで検討した」は非常に厄介でした。就活生はガクチカ、すなわち学(ガク)生時代に(チカ)ラを入れたことを面接で語れるよう実績を残そうとします。よって就活(具体的には冬選考)前夜、9月前後になると、必要以上に粘るようになります。そして彼らはわかりやすいストーリーを求めているので、「夜遅くまで」「チーム一丸となって検討」するわけです。しかし前述のとおり、私は院進学入試を控える身。夜更かしは学習効果を減縮させる敵でしたので、これに振り回されたときは非常に強い怒りを覚えたものです。
つまり、かれらのいう「チーム」はまったく「一丸」となっていないし、なんなら彼らは、自分の実績のためなら迷惑をもいとわないというチームワークと逆行する発想を持った人たちであったと思います。

そして、サボリや厄介者はその後、名だたる会社(社員平均年収4桁万円レベルの会社もちらほら)に就職していきました。めでたしめでたし。

就活はクソゲー?

就活がうまくいっていない人へ。「優秀な就活生」とは

会社とは、人が働いて、モノや価値を生産する場所、といえると思います。つまり、会社とは経済性の塊であり、モノや価値の工場なのです。だから、会社はその工場の「歯車」として便利な人(もっとお上品な言い方をすれば、経済合理性の高い人、又はそれが理解できた人、といえるでしょう)を欲していますし、そういう人が冒頭にも登場した「優秀な就活生」なのだろうと思います。つまりここでいう「優秀」とは、「便利」の訳語であり、会社が就活生に対して与えている対世的通用力の乏しい称号なわけです。中身はありません。実際に選別が機能している例も稀でしょう。企業側も就活生側も、ひどいところは本当にひどいです。「優秀」という称号をもらいやすい会社を受けるのも、あるいはもらいやすい自分になるのもよいでしょう(はたまたそんなものを信用せず起業するのもよいでしょう)。就活は称号集めのゲームだと思います

もし、就活にうまくいっていない人がいたら、私からのメッセージは、そんなものに惑わされてはいけない。というものになるでしょう。まして、自己肯定感を下げる必要なんて一切ありません。
あなたの都合と業界の都合が交錯する点がどこかにきっとあります。それを粘り強く見つけてください。

なぜ「ゲーム」なのか

それは、大義のないルールに従わなければならないからです。まあ就活に限らず社会なんてそんなもんでしょう。

たとえば、総合商社なんかは、海外経験とスポーツ経験があればだれでも入れます。よって帰国生でかつ体育会生のひとは、総合商社に入れます(そういう人を何人か知っています)。
会社側の用意した基準に見合っているかどうかが大事なのです。繰り返しになりますが、能力勝負ではなく、いかに便利な人間かアピールできるかが勝負です。

会社側の用意した基準に大義はありません。「そういうふうにしておけばたぶんうまくいく」という、たかが経営判断です。

サッカーのオフサイドルールにも大義はありません。それが観客を楽しませ、サッカー業界の収益を挙げるようなルールであれば何でもいいわけで、究極論で言えば、それが別にオフサイドである必要性はないわけで、都合のよさだけで採用されているルール(基準)です。

あなたがサッカーをゲームだと思うならば、就活はゲームです。サッカーみたいなもんです。社会もゲームです。せいぜい楽しんでいきましょう。

以上。


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