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人間は変わらず成長もしない。



みなさん、ことあるごとに成長したというが・・



 かつて、私は『人間は成長し何者かになり完成され栄光にたどりつくための時を過ごしているのだ』・・となんとなくぼんやりそう感じていた。そうでもなければ、この苦しみに報いることができない。

 永遠の過去から永遠の未来へ。仏教では『無始無終』と言い『因果は無限につながる』とも言う。生身の人間からすれば、そう思っていても良いのだろう。輪廻が実在するかどうかなどはわからないのだから。

どうも、人間は成長などせず劣化するのみだと思うのだ。


老人を嗤えない立場の私 

 
 とにかく我慢ができない。尿意を催してから、腹が立ってから・・・我慢を旨とする私だが『暴走老人』にはならぬように、気をつけねばならないのだ。

 池袋。上級国民の交通事故。裁判における『クルマの故障』と、遺族の前で堂々と言い放つあの神経と醜さ。

 大王製紙もと会長(私は好きだが)にしても、100億もいかなくても10億ぐらいで止められなかったのか?権利はともかく、従業員の汗だし。

 プーチンにしても。戦死者の母たちを前に『いや、人間はいつか死ぬのだから・・』。そんな言種があるか?この戦いの意義や功績を納得させて返したのだろうな?

 我が主権者を茶化すことは嫌いだ。でも、警察捜査を私情で自己都合で止めた井原氏はどうなのか?それが事実なら固定資産税を滞納した議員の数万倍重いだろうに。

 

人間そのものは昔のままだ

 世代ではないが『機動戦士ガンダム』において使われる『ニュータイプ』がどのようなものなのか?

 人類6700万年。火を使い出したのが30万年前から。150人の村は、もっと最近まで。

 生きるためには餌を取らねばならず、そこには行動や危険が存在する。

生きるための作業は、生きるためであって・・・ならば生きるとは本質的にはどういうことなのか?

 生きる努力を意識下でしない状態、つまりそれは休息であり睡眠であり余暇なのか?

現代人は仕事を頑張れ、行動せよ・時間を有効活用せよと言うが

 頑張る姿が美しいのは分かる。美しいとはそれを感じる者のメリットになると感じるものだ。

 人類は6700万年の間、何をやってきたのか?

優秀な遺伝子、賢く強く美しくリッチな者達ばかりになったのか?

そうでは無いのだ。努力や才能は、生きるために必要なモノじゃない。

競争の勝者が生き残ったのか?

 違うな。人類の現時点の到達点は、睡眠する・横になって休むことだ。

戦うことは、負けも意味する。

勤勉さは、生きるのに必要だろうか?

天才も美人も圧倒的に少数派。

禿げて腹出てて短足な人が圧倒的に多い。

行動的でない、部屋にこもってゲームしたりドラマを見た方が安全のようにも思える。

種の保存の要請からくる多様性と役割

人を個人個人見れば、そりゃ人類の数だけ種類がある。

だが哺乳類にできることは行動・思考・感じることだけなのだ。

だから、その得意分野を各々に振り分けた。それがコアコードなのだ。

星 = 知  ×   情  ×  裏

この基本構造を変えることなど、生涯できない。つまり、誰しもが強み弱みを持つスペシャリストなのだ。

種の保存からくる浮気と托卵

あんなに熱烈に愛し合った二人が、今や離婚。これは本能的に当然。
オシドリは1年ごと、人間は4年ごと。お相手を変えるようにできている。
だから3年目の浮気・5年目の破局が正しい。事実恋愛結婚の離婚率は5割を超える。お見合い結婚なら1割。托卵も夫以外の男の子を産まねばならない本能だ。精子戦争・・女性が複数の男性を求めるのは自然なことなのだ。夫婦が共々老いれば、波乱は減る。性欲が減退するからだ。

本能的な人は群れたがる

 人と群れる理由は、『集団でいる方が安全』だという記憶によるものだ。
これは剛弁になるか。川・風は意の裏なのだが、川の人は猿やゴリラに似ているし風は小動物に似ている。これを先祖返りというか、概ね彼らは運動神経も良いし群れたがりだ。
 群れることにも意味はあるのかもしれない。だが、現代日本では自分の時間を何に振り向けるかにフォーカスせねばならない。そうなると一人でいる時間が多くなるのだ。だから群れるのは安心を獲得するためだけなのかも。
 もちろん、人恋しくなればそういう場所に行けば良い。
カラーギャング・暴走族・パーティ・法人会・村の会合など、行かねば不利益になる・・・情報の獲得や村八・欠席裁判の回避のために。だが、時間コスト面からは無駄が多くなる。
 あまり考えずに行動する、つまり本能に付き従うタイプは誰でも群れたがるのだ。群れがあれば、最初に犠牲になる者が出るのも本能。私のような弱者はそれが嫌で群れたくない。それを避けるためには自分を大きく見せねばならない。だから自己評価を上げなければならないが、それも無駄だ。

中年以降の女性が生きるために足掻く方法

 男性の優劣は、ある意味わかりやすい。結果主義というか、勝った者・掴んだ者・金を掴んだ者が優れ敗者は劣るのだ。猪を三匹捕まえた者と怪我をして一匹も捕まえられず帰ってきた者・・・間引きを受け入れる覚悟もし易い。
 ところが、中年以降の女性は彼我の優劣がわかりにくい。ババアに美貌や愛嬌は必要ない。投網を縫うのが得意だとが、鎌を研ぐのが得意だとか、そういう特技があれば別だが。
 ほとんどの中年女性は、連んでおしゃべり・悪口・欠席裁判・マウント・いじめなどに身をやつす。自分で勝負できないので、夫や子供でマウントを取りたい。150人の村の次に神隠しに会うのが自分なら怖い。月末の間引きの犠牲者は誰?私?じゃないよね!あ、あの人なの?よかった!てなもんで。

イジメの理由

 ※小学校の教室など、人が集まる場所では必ずイジメがある。イジメが本能である以上、ストレスのかかる場所・競争の現場では必ずイジメの発生圧力が存在する。それに嫉妬が絡めば悪意は倍増だ。腹立たしいことにイジメの犠牲者が死の恐怖を味わうのに、他全員が安全の喜びで嬉しくなることだ。この喜びは猫を抱いたときのようにオキシトシンが作用すると言われている。日本における児童のいじめは年々増えそれによる自殺は400人を超える。これは担任教師がいじめを煽動することでクラスがまとまることを経験的に知っている教育関係のご苦労はあるが、一切の効果はないではないか?
 宝塚・警察・学校・ママ友・職場・・あらゆる場所でイジメはある。チビでいじめられたら空手を習いに行く。そして空手道場でもイジメはあるのだ。いじめられる側に原因があるともいうが、間違っているぞ。
 いじめられても死なない。だけどエスカレートする前に逃げろ。逃がせ。学校に突撃する前に大事な我が子を守れ。転校させろ。


だから、どうなの?

 人間なんて6700万年前と変わらない。火を使うようになって、まだ30万年。
 一つ言えることは、現代日本ではマウントを取られようといじめに遭おうとも、間引きの死に遭うことはない。
 特に最近では、劣ることでさえマウントをとってくる奴もいる。

 確かにイジメもマウントも辛いし腹が立つ。でもそれで条件反射的に自分より弱い者・子供や夫のせいにしてはならない。貴女と結婚できた男・貴女が産んだ子供に何を期待するのか?
 『私が家族に期待しては行けないの?私のような不幸な人を作らないために子供に勉強をさせてるんじゃないの!子供のためを思って!キーィ!』
 だったら、貴女はお子さんのコアコードを説明できるのか?

家族と自分のコアコードを確認し、人に劣ることに悩むべきかどうかを考えよう。

私は、

人類の不幸の半分近くは自分のコアコードに殉じた生き方ができないからだと思っている。

その最大の原因は、母親が苦し紛れに我が子に自分の価値観=コアコードを押し付けるからなのだ。不幸な母親こそが世界の敵だ。

もし貴女が女性なら、そのような無邪気な悪魔になる可能性は大いにある。
子供にとって母親は神様でもあり、生殺与奪を持つ暴君でもある。恐怖の対象でもある。

今すぐに自分や関係者のコアコードを知れ。

特に大事なお子様が、どのような価値観や信念を持って生きているのかを知らずして養育などできるものか?

それと、女性が幸せなら男性も子供も救われるのだ。そして、それが明日の活力になる。だったら、それが貴女に帰ってくる。

女性が幸せになるには自分で。貴女が幸せでいることが社会への最大の貢献でもある。

だから不満や不安を掻き立てるのではなく、幸せを数えよう。

世界を変えられるのは女性の貴女だけだ。



 


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