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看護師を辞めようと、思ったときの話。



私が看護師として働きだして6年ほどが経とうとしています。

こんなタイトルなんですが、一応看護師として今も働いています。(笑)


私は、高校卒業の年に専門学校に入り、そのままストレートで看護師になりました。もう、18歳からこの業界なんで、友達の多くが同業者です。

そんな、看護師仲間同士で話しているとよく出てくる鉄板ワードが

「まじでもう無理。仕事辞めたい。」

ですね。看護師の皆さんならあるあるかと思うんですが。


私も本当にそれ思っていました。今日は、私が「看護師やめようかな」と思った時期の話をしたいと思います。同じように悩んでいる方の、心が少しでも軽くなったらいいんですが。



私の短い看護師人生を、チラッと振り返ってみると、

ほーんと、我ながら綱渡りのような感じだったなあと思います。苦笑です。笑います。なんせ、おっちょこちょい、ぼんやりしてる、おおざっぱの三重苦(?)な人間です。

この仕事って、「命といつでも隣り合わせだ」という緊張感がまず第一に前提としてあり、「転ばないように」「薬を間違えないように」というような、毎秒毎秒責任があるわけですね。安全を守るという義務が。


そして、病棟ではチームワークを発揮しないと、どうしても仕事って終わりません。大体1病棟につき20~30名の看護師が在籍していることがおおいですが、シフト制故に、そのチームメイトの組み合わせはいつもランダムです。

夜勤なんて特に、夕方から朝までの16時間一緒に過ごす「運命共同体」です。なにが起こるか、それはだれにもわかりません。


先輩がよく、

「病棟は、毎日スタッフも違うけど、患者さんも、その状態も同じ日は一日もない。いつも’初めて’。その日のぶっつけ本番で、対応しなくちゃいけない。」

と、言っていました。


本当、そうなんですよね。


毎日違う、人とのランダムな組み合わせのなかで、力を合わせて、対応しなくちゃいけない。経験を積むことで、得られる見解や対応ももちろんたくさんあります。けど、病棟は毎日毎日状況が違います。


「もうーーーー!!キャパオーバーですーーーーー!!これどうしたらいいのーーー!」


と、私はいつも雄叫びあげながら仕事してました。(笑)

きっと、同じような気持ちを抱えながら働いている方も多いんじゃないかなって思います。

そして、予期せぬ急変や突然死、アクシデントが起こると、そのたびそのたび、本当に心の一部が持ってかれるような、喪失感と悲しみに包まれますね。

「あのときこうしていれば」「担当が私じゃなかったら」と考え、まるで、自分が重罪人であるかのように感じる日もあります。

目の前で人が亡くなる、という経験は通常、一生に1度あるかないかですね。けど、それを頻回に目にしていると、やっぱり、ふと心が「ポキン」と音を立てて折れる瞬間ってのがあります。


これって不思議なもので、「新人だから」とか、「経験がないから」とかあんまり関係ないんですよね。自分のコンディションなど、様々な事情が相まって突然来るもの。逆に全然来ない、って人もいますが。

私は、看護師として5年目の時、患者さんの突然死に遭遇したことがきっかけで、「あーもう、だめだこりゃ」。と無気力になった時期がありました。

何をしてても、ふと、涙がこぼれてきてしまう。

新人のころから、急変や突然死に遭遇してきたことはあったのに、なぜ、自分が今耐えられないのか。他のスタッフも、業務の中で苦しいことはあるのに、なぜ私だけが立ち止まってしまうのだろう。と、いろんなことを考えました。


そして、それから、時間がたった今。


「それね、全部大丈夫になってくから。平気だよ。」


と、心から思います。


というのも、些細な話ですが、前述した看護師5年目の時に突然死に遭遇した際、患者さんが最後に食べていたのがカレーライスだったんです。で、私がそれを下膳して、そこで交わした会話が最後の会話になってしまったんです。

それから、もうカレーを見るたびに吐き気がして、悲しくて、二度とカレー食べらんないな。と思ったわけなんです。


けど、2カ月くらい後に、ふとこのエピソードを思い出したんです。

カレーを食べているときに。(笑)

悲しみの渦中にいるときは、この状況が一生続くと思ってしまいがちです。どんなに、理論立てて自分を説得しようとしても、その情動の前で、理性というのは大体何の役にも立ちませんね。

けど、自分が自分を説得できなくても「時が癒してくれる事」ってあまりに多いのです。いろんなことが自分の中で風化されていきます。これは、通常悲しいことですが、確実に自分自身を癒すことでもあります。

1年前、自分が何に悩んでいたかなんて覚えても居ません。その時は、その時なりに真剣に悩んでいたはずなんですけどね。


今、足元にある悲しみも、目の前にあるわけではありません。過去が、存在するとしたら、それは自分自身が作り出したときに初めて現れるもの。そして、それは、自分自身の歩みを阻むことなど出来ません。

行く手を阻むものなど、目の前には何もありません。

過去は、次第に大丈夫になっていく。そう信じて、今日も一緒に仕事頑張りましょうか。

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