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他者との関わりの中で見えること

私は昨年11月からどこにでもあるとあるチェーンの飲食店で働いている。なんと11年振りくらいにお仕事に行き出したのです。
娘が産まれた10年前から、ひたすら冷えとりやセルフケアをしながら育児をする日々。
ズタボロのままでは娘に純粋な愛を送れず苦しかったタイミングでマーマーマガジンに出会い、冷えとりやホ・オポノポノや白湯や、ノートにいろいろ書き出してみることなどあらゆるセルフケアをやり始めた。

少しづつ、少しづつ、でも早いスピードで、本来のパワフルな自分へと戻る旅は続いている。

自分の内側の世界をひたすら内観しセルフケアを続け、自分へ愛を送り続けていると、自己信頼が高まってきて、いつのまにか以前の自分よりわりといい感じに整ってくる。
そうすると他者信頼も自然に高まる。

ベースにセルフケアは続けながら、次は他者との関わりの中でより自分軸を整えること。他者と関わることで見えるあらゆることをクリーニングしたり、より細やかな癖や思い込みに気付ける日々や、自分軸を整えつつ自分を世界へ開示するようなことが少しづつ起こりはじめたり。

何が書いてみようとおもったかというと、普段接する人々とは全く違う人々の中に身を置くと、今の自分がどんな状態であるか、自分の癒しの進み具合や、思考のクセや無意識の設定や思い込みなどに気づけて素晴らしいなと感じていること。

みなさん、そんなことはわかっているよ!という方ばかりだとおもいますが、なんせ11年振りの仕事の中で気づくことが面白くて。

あぁまだ無意識に「怒られないようにしとこっと」と行動してるところがあったのだなー!とか

「人に対して尊重のない言動だな」と人に感じるということは、私もやっているのだなー!とか

「あぁ、この人は仕事をする上での指摘を自分の存在への否定と捉えてしまって苦しいのだな」とか

「人に対して強く上からの言動のこの人は、強くでないと負ける、私の方がすごい、私はこんなに頑張っている、ねぇ私すごいよね!」という弱い意識がベースにあるのだな。とか

「この人は周りをよく見てさりげなくフォローして優しいけれど、無意識に自分の本当のニーズを抑えて自己犠牲しがちなのだな」とか

同じ空間で過ごすと、見ようと思わなくても当たり前にいろいろ感じて見てしまっているもので。

でもそれを見ると言うことは、あぁ全て私なのだなと教えてもらえて、気づけてクリーニングできるありがたさ。

そんなことを書いておきたくなった。


では半身浴そろそろ終わって犬の散歩にいってきます✨

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