夢泥棒は朝に眠る 第七話
意識を失った私が病院に担ぎ込まれて今日で一週間になる。
病院の人が気を利かせてくれたのか、意図せず妹と相部屋のベッドで横になっている私は、自分の身体が日に日におかしくなっていることを自覚していた。ただの一時的な失神だと医者も思っていたようだけど、どういうわけか私の身体は思うように回復してくれなかった。朝目が覚めても少しも頭が働かない。何の前触れもなく急激な眠気に襲われる。朝も昼も夜も関係ない。
まるであの頃の妹と同じ。
夢美の場合はちゃんとした病名があったけれど、私のこれは、きっと違うと思う。病院で検査も受けたけど身体のどこにも異常は見つからなかった。
心当たりがあるとすれば、私が今までやってきたこと。
他人の“夢”を奪い続けた罰かもしれない。そう思う。
「夢叶、調子はどう?」
「ん~?別に普通」
恭介は大学の講義が終わると毎日のように私達の病室に足を運んでくる。おかげで私は、あいつが来る時間に起きていられるよう睡眠時間に気を配り、恭介が来る時間だけは重たい瞼をこじ開けている羽目になった。
恭介の前では、眠りたくなかった。何でもないふりをしていた。なんとなく、昔の私と夢美を思い出すから。
「もう今日で一週間になるけど、どこか頭に異常でもあったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。今まで散々昼夜逆転の不摂生な生活してたから元の生活習慣に戻るまでって先生がさ」
「そうですか、すみません」
「いや、なんで恭介が謝んの?」
目の前で深刻な面持ちで俯くビジネスパートナーを見て、私は意味が分からず笑みを溢してしまった。
「もとはと言えば僕がスランプになんてなっていなければ夢叶が夢泥棒になるようなこともなかったんですし」
「何言ってんのよ。もしあんたがスランプになってなかったとしてもその時は別のやつに声かけてたって。きっと」
「でも……」
「あーもう辛気臭いな。そんなに申し訳なく思うんならさ、休職手当ってことで今度の作品のギャランティー5割から6割に割り増ししてよ」
「6割どころか全額差し上げますよ。僕は元々お金になんて興味なかったんですし」
「相変わらず小説馬鹿ね~、あんた」
本当に真面目なヤツ。
でも、こいつのそういうとこ、嫌いじゃなかったな。
「ねぇ、恭介」
「なんですか?」
「あんたの夢ってなんだっけ」
「プロの小説家になることです」
「そうだったね」
「なんなんですかいきなり」
「あのさ」
今のうちに、聞いておこう。
「私がいなくても、小説は書けるようになった?」
「意味が分かりません」
「いや言葉通りの意味だし。文章書く仕事するならこれくらいの言葉の意味一回で理解してよ」
「言葉の意味は分かりますがそれを今ここで僕に聞く意味が分からないって意味です」
「……」
「……」
気まずい沈黙が病室を支配した。隣のベッドで眠り続ける妹の静かな寝息だけが耳に届く。
「———僕は」
最初に沈黙を破ったのは恭介だった。
「僕は、いつまでも夢叶に甘えてるわけにいきません。いつかは二人で夢泥棒をするわけにもいかなくなるんだろうってことは理解してます。お互いに人生があって、今がたまたま二人の道が同じになってるってだけですから」
普段小説書いてるだけあって妙にクサい例えするなこいつ。
「でも、それでも僕はまだ、夢叶と一緒に夢泥棒でいたいって思ってる。二人の道が分かれるには、まだ早いでしょう?」
芝浦恭介という小説家の卵は、今までにないほど真摯でまっすぐな瞳で私を見つめた。腹黒い打算とか下心とか邪なものが一切見えない綺麗な瞳。夢とか希望とか愛とかそういう眩しいものに満ち溢れているようなそんな顔。ふと、こいつが今まで書いてきた小説も、そういうお話だったのかなと私は思った。夢美は、こいつの小説のそういうところが好きだったのかもしれない。
初めて、少しだけこいつのことをカッコいいと思っている自分がいた。
「……そうだね」
だから私は、曖昧な返事しかできなかった。
こいつには私の体調のことは何も話していない。きっと病院の人にだって聞いてはいない。
あぁでも、隣に夢美がいるから、もしかしたらなんて思っちゃったのかも。
「私はさ」
言わないでおこうと思っていたのに、口は私の意志とは無関係に言葉を紡いでいく。
「いつか妹が目を覚ました時に、眠っている間にあんたが書いた小説を読んでもらいたいって思ってた。ううん、違う。枕元にあんたの本を沢山置いておけばもしかしたら夢美が目を覚ましてくれるかもって思ってたのかも。夢の中よりも、現実の方が沢山良いことがあるんだよって」
多分どっちもかな、と付け加えた。
「だから私、今の大学であんたと会ってビックリした。妹が好きだった小説家が自分の目の前に現れるなんてそんなこと本当にあるのかって。言っとくけど本当にあんたと会ったのは偶然だからね」
「あんたが書けなくなってるって知って、このままじゃ恭介は小説家にならなくなっちゃうんじゃないかって思った。それが嫌だったから、私はあんたに夢泥棒になろうって誘ったの」
「恭介が夢を叶えてくれないと、私の夢も叶わないんだよ」
「夢叶の夢?」
「妹と、また話がしたい。また外で一緒に歩きたい。あんたが書いた本をあの子に読んでもらって、あの子から感想聞いたりして、喜ぶ顔が見たいの」
きっとそれはどこの家庭にでもある、ごくごくありふれたこと。でも私にとってはどんなものにも代えがたい夢だった。
「だから、私はあんたに何としても小説を書き続けてもらわないと困る。妹が目を覚ます日まで」
もし———。
「もし、私がいなくなっても」
恭介はしばらく黙り込んでいたが、やがて徐に口を開いた。
「そっか、それが夢叶の夢か。はじめてそんな話聞いた気がする」
「そりゃ、言ってないからね」
「分かったよ。でも夢叶は一つ誤解してると思う」
「え?」
「僕はもし夢叶と出会わなかったとしても結局は小説家の道を目指してたと思うよ。夢って、そういうもんじゃない?何の障害も壁もなく一直線にまっすぐ進める夢なんて、僕は夢じゃないと思うし」
「……そっか」
「僕の夢が叶わないと夢叶の夢が叶わないなら、これはきっと僕達二人の夢だと思う」
「は?何言いだすのいきなり」
「言葉通りの意味だよ。プロの小説家になって、妹さんが目を覚ました時に喜んでもらえるような小説を書く。これはきっと僕たち二人の夢だ」
「いやそうかもしれないけどさ———」
「だから」
私は反論しようとしたけれどその言葉は恭介の声にかき消された。
「その夢を追いかけてる間は、二人で夢泥棒でいようよ。夢叶」
「……あのさ恭介」
「なに?」
「……さっきから言うことがクサすぎ!」
私は背中に隠れていた枕を恭介に投げつけてやった。
「うわっ、なんなの、先に振ってきたのはそっちのくせに」
「あはは!そんなの関係ないし!クサい奴はクサいの~」
本当に、クサい奴。
でも、私は恭介の優しさが嬉しかった。
そっか、私達の夢か。なら、このまま眠り続けるわけにはいかないな。
夢泥棒が、自分たちの夢まで奪っちゃうわけにはいかないし。
ねぇ、夢美。私、恭介と一緒に夢泥棒になったよ。前からそうだったけど。でもなんか今までとは少し違うっていうか、うまく言えないんだけど、とにかくこれからの私達は今までの私達とは違う気がする。
「ねぇ、そんなことより私お腹空いたからなんか買ってきてくれない?というかいつものバーみたいにカクテル作ってほしいかも」
「いやさすがに入院患者に酒なんて飲ませたら大目玉喰らうでしょ。身体に良さそうな青汁でも買ってくるよ」
「わー、それ洒落にならないからマジやめてー!」
その日は、久しぶりにまともな時間に眠ることができた。
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