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旅する日本語

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涼雨零音による「旅する日本語」コンテスト参加作品を集めたマガジンです。
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記事一覧

あとがき『朔望』~旅する日本語

 十一篇の連作短編『朔望』。読んでいただいた皆様、お付き合いありがとうございました。

 まえがきにも書きましたが、この連作短編は「旅する日本語」コンテストに寄せたものです。もちろん、コンテストに応募するために書いたものです。

 11の課題ワードがあり、当初は、書けそうなものを書こう、と考えていました。でも途中から欲が出てきて、これから先自分がどんな作品を書こうともおそらく使う機会の無さそうな単

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時とともに眠る晦

時とともに眠る晦

 残された男など残滓のようなものだ。女やもめには花が咲くのに男やもめには蛆がわくのだから。一人で籠るより旅でも、と思って出かけてはみたけれど、どこへ行ってもむなしいだけだった。帰ってきてみれば、ここが一番落ち着く。

 北海道の真ん中あたりにある歌志内。息をひそめるようにあるこの町には、建て替えられた郵便局だけが、廃校にポツンと置かれた新品のハモニカみたいに横たわっている。

 定年で仕事を辞めて

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暁の空と有明の月

暁の空と有明の月

前略

 あなたが旅立ってから初めて、ここへやってきました。あなたに連れられて何度ここへ来たでしょうね。ここへ来るとあなたは子どものようでした。目に見えてはしゃいで、興奮して、いい年をしてと呆れもしましたが、そんなあなたを見るのは好きでした。

 私一人では、ここには何の用もありません。いつも私は、風と睦び合うあなたの翼を見上げているだけでした。

 滝川がグライダーの町だと教えてくれたのもあなた

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名水に映える更待月

名水に映える更待月

「ね、おいしーい珈琲飲みに行く?」

 あきちゃんはそう言うと、私の返事を待たずに信号を左折しました。車が進路を変えた後で、私は「いいわね」と答えました。

 あきちゃんとはもう何年の付き合いになるのでしょう。短大に入った時からだから、もうすぐ五十年。それぞれの夫が年金暮らしになってから、こうして二人でドライブ旅行をするようになりました。どちらの夫も頼りなくて、留守中はいろいろと困っているようです

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立待月に添える花

立待月に添える花

 北海道はひし形をしているイメージがあって、その下の突端にある襟裳岬は北海道最南端のような気がしていた。でも考えてみるとひし形ではなく、向かって左には足がついている。だから北海道の最南端は松前半島にある。

 そんな勘違いはさておき、僕は今、白み始めたまだ薄暗い空の下で水平線を眺めている。強い風が吹いていて肌寒い。新千歳に降りて道央をめぐる旅の最終地点に襟裳を選んだ。最南端だと思っていたのに特にな

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十六夜月のためらい

十六夜月のためらい

「まだ、時間はあるぞ」

 今から出てフェリーで渡れば昼には間に合う。食べて午後のフェリーで戻れば夜のフライトにも間に合う。

「でもあわただしくなりませんか」

「なにがあわただしいものか。ここまで来て食べずに帰るなんてことがあるかい?」

 もともと最終日になる予定ではなかったのだ。昨日北海道北端の町、稚内に入った私たちは、昨日のうちに利尻のバフンウニを食べてくるはずだった。強風でフェリーが止

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望 フルムーン

望 フルムーン

 深い息を吐きながら湯の中で身体を伸ばす。両手で湯をすくってみる。黒い。湯に沈んだ自分の身体が見えないほど黒く濁った湯だ。

 気散じに温泉へでも、と言われて思い浮かんだのがここだった。北海道は天塩郡にある豊富温泉。北海道に温泉は数あれど、思い出すのは豊富だけだ。

 来年、結婚して三十年の年に、息子が結婚する。そのせいか自分の結婚生活を振り返ることが増えた。妻は、私は、幸せだったのだろうか。

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待宵の雨月

待宵の雨月

「残念でしたわね」

 北海道の冷たく静かな雨に濡れ、たちこめた霧の中を覗き込んでいると、和装の婦人が声をかけてきた。

「昔、霧の摩周湖っていう歌になったほどです。こんなにも見えないのは珍しいんですけど」

 婦人と僕が並んで見下ろしているこの霧の中に、摩周湖があるはずだ。

「菜の花の頃に降るこんな長雨を菜種梅雨と言いますけれど、催花雨という呼び方もあるんですよ」

「さいかう?」

「花を咲

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十日夜に盃を

十日夜に盃を

 もう何度も歩いた見学コースなのに、来るたびに新しい発見がある。その事実が自分の成長を裏付けてくれるような気がした。

 北海道は余市郡余市町にあるニッカウヰスキーの蒸留所。私は毎年ここへ足を運ぶ。

 思えばまだ酒を飲んだこともない高校生のころ、酒造りを仕事にしたいと思ったのは、図書館で出会った一冊の本がきっかけだ。川又一英の『ヒゲのウヰスキー誕生す』。亡き祖父がよく飲んでいたブラック・ニッカが

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満ちゆく弓張月

満ちゆく弓張月

 夢が叶うって、もっと晴れやかなものだと思っていた。今日、僕は念願だった保育士としてスタートする。

 保育士が男だというだけで嫌がる親御さんもいる。それが現実だし、目を背けても無くなるものではない。大学の先輩でも精神を病んで辞めてしまった人が何人もいる。僕に務まるだろうか。僕は子どもたちに、その親御さんたちに、信頼してもらえるだろうか。不安は尽きない。

 北海道上川郡剣淵町。幼いころから絵本が

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三日月の向こう側

三日月の向こう側

「山がみんな同じに見えるんです、あれが何岳であっちは何山ですよとか言われてもイコミキみたいでどれが何やら」

 町はずれのカフェで彼女とカウンターに並んで最後のフレンチトーストをつついていると奥の席の話し声が聞こえてきた。

「ね、イコミキってなにかな」

 僕が聞くと、彼女は手帳と万年筆を出して文字を書いた。

 〝已己巳己〟

「こう書いてイコミキ。似てるっていうこと」

「へえ」

 北海道

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朔 旅の始まる場所

朔 旅の始まる場所

 行こう、東京。私はおじさんの言葉に力をもらい、決意した。

 私の家は北海道の洞爺湖の近くで民宿を営んでいる。そこへ毎年やってくる常連のおじさんが東京の話をしてくれる。都会の暮らし。その甘美な魅力が私を酔わせる。卒業したら何も無いこの町を出て東京で暮らしたいと話す私に、おじさんは言った。

「それならその前に一度東京旅行をするといい。暮らすかどうか決めるのはそのあとでも遅くないだろう。おじさんは

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まえがき『朔望』~旅する日本語

まえがき『朔望』~旅する日本語

 長かった。

「旅する日本語」コンテストへの応募作品として、連作短編『朔望』を書き終えた。11夜連続投稿で公開する予定です。

「旅する日本語」コンテストの概要はこちら。

 今年で三回目だそうですが、わたしは今年の4月からnoteを始めたので初参加です。

 ざっくり要約すると、

・課題ワード11個のうちのどれか一つを使う
・都道府県を入れる
・上の二つを満たした400字以内のショートストー

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