中途半端な創作人
最近『どうして』という問い詰めをやめた。やめることが出来た。いや…でも…やめられていないかもしれない。どう足掻いても後悔や過去の自分への批判兼攻撃が始まると止まらなくなる。あー書いていると浮かんできそう。
創作とは孤独である、と思いつつも最近は評価されたい欲が出てきた。ネットに向いてないのか、それは当たり前の感情なのか。苦しいなー。ずっと評価ほしい奴になっちまう。嫌だーーー!!!
んー……評価はされたいが1万フォロワーが欲しいわけじゃない。うーん…大御所になりたくない。歌い手めいちゃんの『物の怪の類』の「目立たぬように目立ちたいんです」っていう歌詞が刺さる。これです。
マジむり~~~~。評価されて何になる!?嬉しいだろうが!!ほしいわよそりゃあ!(開き直り)
評…価?(宇宙猫)
その為には様々な努力戦略が必要だ。
刺さる人に刺さってほしいとは思えど今日日までまともな作品を創っていないのではないか?刺さるってなんだ?から始まるだろう。浅倉游眞として何も出せていない。むしろ2023年と2024年って相棒との作品以外描いてない……OH……
相棒と〆切や創作への思いなどの話をして、互いの価値観を知り合う。再確認している。一緒にやっている創作で「君に苦しい思いしてさせて描いて欲しくないよ。今までそんな思いしていたのか、ごめん。」と言われて、逆に開き直った。苦しい事はあっても嫌じゃない。描きたいよ、と伝えた。それから互いに創作との向き合い方が変わったけど、俺だって時々「枷になりたくねぇんだよ」っていう。
最近相棒も悩んでいる。自分の作品が創れていないことに。
「自分のやれ!!!!(クソデカ大声感情)」と即言った。さて、評価の話に戻ろう。
随分身勝手な感情じゃないか。しかしあってもいいじゃないか。それを肯定して、次はどうしよう。
どうしようね、ほんと。
んー…少し自分の為だけではなく、少し「どう思ってほしいか」くらいは考えよう。服の質感や、物の透明感とかとか自分の拘りとか。
「受け取り手(読者など)」にどう思ってほしいか考えて描いて且つ自分の譲れないものって見つけられたらすっげーよくない?
自らいう事の中で、「頑張るぞ!」って言葉がすきじゃない。なんかそれだけじゃないの。「挑戦する」って言葉に近いかも。下剋上。
今はこんな感じの描いてるというのをチラ見せ。
たまには宣伝。blogこちらでも書いてます。
使い分け方としてはblogは創作のことやイベント情報など。noteはメンタル系のこと。精神病のこととか。少しくらい話。
終。
読んでいただきありがとうございました。また次の更新でお会いしましょう!
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