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愛媛県・久万高原町にある「面河(おもご)」の地域おこし協力隊 |面河地区にUターンで帰ってきた宇宙人が、面河のことを記録していく「くわなの面河探訪記」を隔週木曜日に更新中

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  • くわなの面河探訪記

    愛媛県・久万高原町にある面河地区の歴史やあれこれをまとめた記事 地域おこし協力隊のくわなが、面河の歴史、文化、現在の様子を、考察を交えながら記録していきます。 隔週木曜日に更新予定。

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No.2 “面河”とはどのような山村か?

 みなさまこんにちは。面河地区で地域おこし協力隊をしているくわなです。前回は私の自己紹介で終わってしまいましたので、今回こそは「面河(おもご)」のことをお話しできたらと思います。  今回は、初めて面河地区を知った方でも、ざっくりと面河のことがわかる「概要編」としてお送りいたします。 面河地区ってどこにあるの? さっそく面河の所在地からご紹介していきます。  面河地区はオーストラリア……ではなく、四国4県の一つ「愛媛県」の、  松山市を含む”中予地区”の南の方にある、上

    • No.20 面河ふるさとまつりはいつから始まったのか?

       皆さまこんにちは。、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は資料紹介ということで、昭和33年に発行された「面河渓・石鎚山 探勝の栞」のおすすめポイントについてお話させていただきました。 (前回記事はこちら)  さて、今回からは4週おきに記事をアップロードすることになりましたが、それでも時の流れが速く感じます……。  季節もすっかり秋らしくなってきましたが、皆さま秋と言えば何を思い浮かべるでしょうか?  そう、面河ふるさとまつりですね!!  多少(?)強引

      • No.19 「面河渓・石鎚山 探勝の栞」を読む

         皆さまこんにちは。イベントシーズンで意外とドタバタしている、面河地区・地域おこし協力隊の桑名です。  前回は、面河・橋コレクションの中組篇ということで、中組地区にある橋をいくつか紹介させていただきました。 (前回の記事はこちら↓)  さて、先ほどもこぼしていましたが、最近はありがたいことにいろいろなお仕事でドタバタしております。ですがその分、note記事作成に使える時間が減ってしまいまして……(前回の橋コレクションもかなりギリギリの作成でした笑)  というわけで今回の記

        • No.18 面河・橋コレクション ~中組篇~

           皆さまこんにちは。台風10号が通り過ぎ、実家の栗が飛ばされず安堵している、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、とある看板にあった「電話九番」の謎を追うべく、面河地区へ電話が普及していった歴史を見ていきました。 (前回記事はこちらから↓)  さて、2か月半前に公開したこちらの記事。  これまで公開した記事の中でも、特に大反響の記事となりました。反応をくださった皆さま、本当にありがとうございます。  そこで今回は、第2弾として「面河・橋コレクション ~

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        No.2 “面河”とはどのような山村か?

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        記事

          No.17 なぜ電話番号1ケタで通話できたのか?

           皆さまこんにちは。ガラケーへの憧れが強すぎて、スマホ世代なのに最初の携帯がガラケーだった、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、夏休み昆虫大特集ということで、カブトムシ・クワガタムシの面河地区での呼び名を調査していきました。 (前回記事はこちら↓)  さて今回は、こちらの写真からご覧いただけたらと思います。  こちらは、面河地区にお住まいの方なら見たことがあるであろう、渋草地区にある大西旅館跡。  この大西旅館の看板、子どもの頃から疑問だったことがあり

          No.17 なぜ電話番号1ケタで通話できたのか?

          No.16 “カラス”とは何を表すか? ―夏休み昆虫大特集―

           皆さまこんにちは。子どものころの夢はウルトラマンと虫博士だった、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、松山大空襲と共に渋草空襲の様子をみていきました。 (前回記事はこちら↓)  今回はガラッと明るい雰囲気に変えてお送りしていきたいと思います。  さて、本記事のタイトルは「カラスとは何を表すか?」としております。カラスと聞いて皆さまは何を思い浮かべますか?  多くの方は、よくゴミ箱を荒らしていくあの黒い鳥を思い浮かべていることでしょう。他にも様々なアニメ

          No.16 “カラス”とは何を表すか? ―夏休み昆虫大特集―

          No.15 なぜ少年の命は消えたのか?―渋草空襲の記録―

           皆さまこんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、面河渓を観光地として広めた石丸富太郎先生についてまとめていきました。 (前回記事はこちら↓)  さて、皆さまは本記事投稿日の翌日に当たる7月26日が何の日かご存知でしょうか?  愛媛県史に詳しい方であれば既知のことかと思いますが、昭和20年(1945年)・今から79年前のこの日から翌日にかけては、米軍による松山市への大規模な爆撃、いわゆる松山大空襲が行われた日です。  そして、この日空襲を受けたのは

          No.15 なぜ少年の命は消えたのか?―渋草空襲の記録―

          No.14 “石丸富太郎”はなぜ面河を広めたのか?

           皆さまこんにちは。飼っていたスジクワガタが臨終し、傷心中の面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、少し趣向を変えて本組地区の橋をいくつか紹介させていただきました。 (前回記事はこちら↓)  今回は、以前面河村の成り立ちについてご紹介した際に登場した、「石丸富太郎」氏について掘り下げていきたいと思います。  小学校の一教師でありながら、面河渓観光の第一人者であった彼の人生は、どのようなものだったのでしょうか? 生誕から師範学校まで石丸富太郎氏(以下、本記事

          No.14 “石丸富太郎”はなぜ面河を広めたのか?

          No.13 面河・橋コレクション~本組篇~

           橋、それは歴史の生き証人  橋、それは人類の英知の結晶  橋、それはロマンの中のロマン  皆さんこんにちは。自称・橋マニア(面河内に限る)の面河地区・地域おこし協力隊、くわなです。  これまで、こちらの記事では面河地区の歴史や人物、現在の様子を紹介してきました。 (前回の記事はこちら↓)  今回は少し趣向を変えて、面河の中にある橋を紹介していきたいと思います。  以前の記事でも紹介したように、その時代の技術が集約される建造物です。また、かつて橋は道路元標として重

          No.13 面河・橋コレクション~本組篇~

          No.12 面河村村長は何代まで続いたか?

           皆さまこんにちは。梅雨時期で髪の毛がまとまらない、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、総会がひと段落したということで、面河地区地域運営協議会・だんだんおもごについてご紹介させていただきました。 (前回記事はこちら↓)  実は、今年度の総会では役員改選があり、だんだんおもごのリーダーである会長が交代することになりました。少し寂しさも感じているところですが、新しいリーダーの下で、面河地区をさらに盛り上げていけたらと思います。  今回は、そんな面河地区の“リ

          No.12 面河村村長は何代まで続いたか?

          No.11 ”だんだんおもご”とは何か?

           皆さまこんにちは。本年度のだんだんおもご総会が終わり、ようやく一息つくことができた、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、面河第一小学校の誕生経緯を追いながら、“第一”のみが存在した理由を見ていきました。 (前回記事はこちら↓)  さて、初めて見た方は冒頭で述べた「だんだんおもご」の7文字が、大変気になっているところでしょう。え?気になっていますよね?  というわけで今回は、面河地区で様々な活動に取り組んでいる住民自治組織「だんだんおもご」についてご紹介

          No.11 ”だんだんおもご”とは何か?

          No.10 なぜ面河”第一”小学校のみが生まれたのか?

           皆さまこんにちは。5月も半ば。いまだジャンパーが手放せない、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、大味川(おおみかわ)地区を拓いたとされる、「大味川六人衆」についてお話させていただきました。 (前回記事はこちら↓)  前回から引き続き、今回も大味川にまつわるお話を進めていきたいと思います。  今回の主人公は「面河第一小学校」です。“第一“というからには、第二・第三小学校もあったのだろう……と考えるのが自然でしょう。ところが、面河地区の皆さんならご存知の通り

          No.10 なぜ面河”第一”小学校のみが生まれたのか?

          No.9 ”大味川六人衆”とは何者か?

           皆さまこんにちは。先日打ち付けた腰の痛みが長引いている、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、面河地区の人口変遷についてお話させていただきました。  (前回記事はこちら↓)  また、No.2・No.5では面河地区全体の概要を。そして、No.3・No.4・No.6・No.7では杣野(そまの)地区の学校や偉人、発展の歴史を紹介してきました。  が、ここで一つ気がついてしまったことがあります。 大味川(おおみかわ)地区のこと、全然触れていなかった!!!  私

          No.9 ”大味川六人衆”とは何者か?

          No.8 面河の人口はなぜ10分の1になったのか?

           みなさん、こんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、渋草地区が中心部として発展していった流れを、一緒に見ていきました。そこでは昭和20~30年頃に面河地区の人口がピークを迎え、さまざまな施設やお店が並んでいたお話をさせていただきました。  また以前のNo.2では、近年人口減少により無人の集落が現れるようになったことに触れておりました。 (前回の渋草地区に関するお話はこちら↓) (無人集落にもふれた面河地区の概要編はこちら↓)  今回は、そんな人口

          No.8 面河の人口はなぜ10分の1になったのか?

          No.7 “渋草”はいかに面河の中心部となったのか?

           皆さまこんにちは。新年度、新しい出会いに少し緊張気味の、面河地区・地域おこし協力隊くわなです。  前回は、面河地区の発展に大きく貢献された、重見盛蔵氏・丈太郎氏について、詳しく紹介させていただきました。  今回は、そんな彼らが腰を据えた面河地区の中心部・渋草(しぶくさ)地区が、どのように発展していったのかをみていきたいと思います。  ぜひ最後までご覧ください。  (重見親子に関する記事はこちら↓) かつての中心部 さて、先ほど面河の中心部は渋草地区だと申しましたが、こ

          No.7 “渋草”はいかに面河の中心部となったのか?

          No.6 ”重見氏”が黒森峠を越えた理由は何か?

           皆さまこんにちは。ワンちゃんよりも猫さま派、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回、面河の地名の変遷についてお話させていただきましたが、その中で「面河村」への改称を提案した人物を覚えていますでしょうか?  (前回記事はこちらから↓)  そう、「重見丈太郎(しげみじょうたろう)」氏です。(前回も補足したように、厳密には「丈」の右上に「`」が付きます)  丈太郎氏は、面河地区にさまざまな革命をもたらした人物です。  実は彼、もともと面河産まれの方ではなく、お父

          No.6 ”重見氏”が黒森峠を越えた理由は何か?