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No.13 面河・橋コレクション~本組篇~

 橋、それは歴史の生き証人

 橋、それは人類の英知の結晶

 橋、それはロマンの中のロマン

 皆さんこんにちは。自称・橋マニア(面河内に限る)の面河地区・地域おこし協力隊、くわなです。

 これまで、こちらの記事では面河地区の歴史や人物、現在の様子を紹介してきました。

(前回の記事はこちら↓)

 今回は少し趣向を変えて、面河の中にある橋を紹介していきたいと思います。
 以前の記事でも紹介したように、その時代の技術が集約される建造物です。また、かつて橋は道路元標として重要な目印にもなっており、人々の生活からは切っても切り離せないもの。

 このシリーズでは、そんな橋を地区ごとに見ていくことで、面河の歴史に思いを馳せてみたいと思います。

 さっそく今回は、本組地区の橋をご紹介させていただきます。


地図上の青枠部分が本組地区
久万・美川方面から面河へ入る際の入口となる地域である



面河橋

(令和6年6月撮影)

 まずは、面河に来た人なら必ず渡るであろう面河橋からご紹介させていただきます。

 面河橋があるのは地図中の★があるあたり。
 国道494号県道12号が重なる位置にあります。

(いずれも令和6年6月撮影)

 面河橋は、今回唯一橋名板が確認できた橋でした。
 読み方がおもごばしであること、昭和60年3月25日に懸架されたことが分かります。
 また、愛媛県側であるにも関わらず、面河川ではなく「仁淀川」と表記されているのは大きな特徴かと思います。

(令和6年6月撮影)

 橋の上の様子。
 2車線の大きな橋であることが分かるかと思います。
 奥に大きな標識があることからもわかるように、橋を渡り切った先には大きなカーブがあり、事故が多発しているポイントでもあります。
 こちらを通る際には、しっかりとブレーキを踏むことをおススメします。

(令和6年6月撮影)

 最後に旧面河橋から見た様子です。
 以前よりは色あせたものの、今でも赤い色が目印になっていますね。


旧面河橋

(令和6年6月撮影)

 続いて紹介するのは旧面河橋
 これ以降の橋ついては、残念ながら橋名板を確認することができませんでした。
 なお残っている写真から、昭和20年ごろには存在していたことがわかっています。

 旧面河橋があるのは、先ほどの面河橋の少し西側。
 現在の面河橋ができるまでは幹線道路だったようです。

(令和6年6月撮影)

 こちらの写真では、下部構造が良く見えるかと思います。
 レンガ造りの竪壁も印象的ですが、真っ先に目が向かうのは、8つの穴があけられた橋脚部分。
 その橋脚が乗っている底版部分が、もともとあったと考えられる大きな岩になっていることが分かります。
 岩の形を活かし、川の水をいなすような構造になっているところから、当時の技術者たちの自然へのリスペクトを感じ取れますね。

(令和6年6月撮影)
 

 この写真では全体の様子が分かるかと思います。
 また、こちらでも特徴的な下部構造がよくわかります。

(昭和20年頃/面河村所蔵写真)

 最後におまけとして紹介するのは、昭和20年ごろの旧面河橋の写真。現在の県道がまだなく、ガードレールも存在していないため違う場所のようにも見えますが、下部構造を見れば同じものであることが分かります。
 (橋の手前に立っている人物がいるため大きさが分かりにくいですが、橋の”上”に立っている人物をご覧いただくと、橋の大きさがうかがえるかと思います。)


今窪橋

(令和6年6月撮影)

 続いて紹介するのは今窪橋(なるくぼはし)。
 本組の「今西(いまにし)」集落と「成窪(なるくぼ)」集落を結ぶ吊り橋で、両方から一字ずつとって名付けられました。(読み方が”なるくぼ”に統一されている理由は謎。)

 今窪橋があるのは、地図中の★の位置。
 今西方面からだと、本組八幡神社のすぐ下に降りていくと見つけることができます。
 

(令和6年6月撮影)

 今窪橋に橋名板はありませんが、橋を支える石柱が存在しており、この部分に橋の名称などが描かれています。
 (ちなみに私では左下写真の文字を解読することができませんでした。解読できる方は、ぜひコメントをよろしくお願いします……。)
 ちなみに、なぜか今回見つけることができなかったのですが、以前訪れた時には「大正11年懸架」の文字を確認できていたはず。
 石柱や土台の部分のみになるとは思いますが、大変歴史のある橋であることは間違いありません。

(令和6年6月撮影)

 橋の中腹から撮影したもの。
 塗装が剥げつつありますが、赤や緑などかなり派手な色使いがされています。
 また吊り橋ですので、ここまで歩くとかなり揺れます。実際に歩かれる際は、注意しながら進んでくださいね。

(令和6年6月撮影)

 最後に成窪側で撮影した写真。
 こちらの説明通りであれば、現在の橋桁部分は平成10年に作られたということになるかと思います。


その他の橋

 続いては橋名板などが無く、近隣で聞いても名称が分からなかった橋の一部を紹介したいと思います。

大日線の橋

(令和6年6月撮影)

 まずは林道大日(だいにち)線へ向かう途中にある橋。
 長さはそれほどでもありませんが、コンクリートでかなり頑丈に作られている印象を受けます。

(令和6年6月撮影)

 この橋から谷の上流側を見ると、美しい滝を見つけることができました。

相の峰川に架かる橋たち

(令和6年6月撮影)

 ここからは、相の峰川を挟むようにして架かっている橋を3本ご紹介します。
 まずは一番川下にあるこの橋。旧高岡商店裏で見ることができます。近所の方によると、こちらの橋は比較的古いものということです。

(令和6年6月撮影)

 先ほどの橋から少し上流に登ったところにある橋。
 こちらは比較的新しく、ここ10数年の間にできたものだとか。

(令和6年6月撮影)

 同じ橋を下から撮影したもの。
 お話の通り竪壁部分がまだ新しく、直角に近いようなデザインをしています。

(令和6年6月撮影)

 今回最後にご紹介するのは、こちらの橋。
 先ほどのコンクリート製の橋からさらに上流に存在している橋です。
 この橋は比較的古いものだそうで、かつてこの上にあったお家へ渡るための橋だったとの事。
 そちらのお家は20年ほど前に取り壊されたようですが、橋だけが現在も残っているそうです。

(令和6年6月撮影)

 この橋から上流を眺めると、原生林に近いような渓谷美を楽しむことができます。
 たいへん見つけにくい橋ですが、もし機会があればその美しさを堪能してみてくださいね。


まとめ

 今回は本組地区にある橋の写真を集めてみましたが、いかがだったでしょうか?
 橋は、どの地域でも身近にあるものですが、だからこそ地域の歴史や、技術の歴史、地域での生活や自然環境を知るための材料になります。

 今回は本組を取り上げましたが、面河にはまだまだ面白い橋がたくさんありますので、またの機会にご紹介できればと思います。

 ここまでご覧いただきありがとうございました。

【参考文献】

・面河川の生物と自然観察(1998年・面河村)
・閉村記念誌 刻を超えて(2004年・面河村)
橋の用語集 日本車両 (n-sharyo.co.jp)



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