現代の感性で読む近代文学: 『にごりえ』(前編)
「夏目漱石」「太宰治」「芥川龍之介」……
名前はよく知る、あの文豪たち。でも教科書以外で読んだことはない。
しかし、「名作」と言われるからには、それだけの理由があるはず。
そこで、令和を生きる25歳の私が、近代文学の名作を読んで感じたところを記しました。
今回は、樋口一葉『にごりえ』です。
1.20代のときの樋口一葉
一葉は私と同年代のとき、どんな人生を送っていたのでしょうか。『にごりえ』を書いたのはいつ頃なのでしょうか。調べてみました。
■ 生い立ち
・1872年(0歳) 東京で誕生
・1883年(11歳) 小学高等科第4級を首席で卒業
・1886年(14歳) 歌人中島歌子の塾「萩の舎」入門
・1889年(17歳) 小説を書く決意
■ 20代
・1895年(23歳) 『にごりえ』『たけくらべ』発表
・1896年(24歳) 肺結核で死去
現代のイメージで考えると、小学校を卒業したあと、中学校では文学を学び、大学で小説を書き、大学卒業ぐらいで『にごりえ』を書いたというぐらいでしょうか。
早くから文学を学んでいたとはいえ、現代の大学生ほどの歳で後世まで残る名作を執筆したというのは、すごいことだと思います。
そして、なんと24歳という若さで夭逝しています。非常に惜しいことです。
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2.あらすじ
以下にあらすじを記します。ネタバレは含みません。
人気な酌婦でありながら、どこか憂いを帯びた主人公、"お力"。器用な振る舞いで店の看板娘として働く傍ら、得意客となる結城朝之助とのやり取りを通じて、徐々に彼女の人生における「憂い」の正体が浮き彫りにされてゆく。
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3.現代と比べる『にごりえ』
自分の中で気に入った文をいくつかピックアップしました。具体的には、「現代との共通点」が面白かった箇所を3つ挙げています。
こちらもネタバレを含まないので、これを読んで興味を持った方はぜひ読んでみてください!!
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お力というは此家の一枚看板、年は随一若けれども客を呼ぶに妙ありて、さのみは愛想の嬉しがらせを言ふやうにもなく我まゝ至極の身の振舞
店の「一枚看板」として働くお力ですが、男に取り行って人気取りをしているわけではなく、「愛想の嬉しがらせ」も言わないし、我がままばかりとのこと。
一見矛盾しているように感じますが、一筋縄ではいかない人の方がかえって可愛らしく感じるのは、今も昔も変わらないように思います。ちなみに『にごりえ』が描かれたのは100年以上前。
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俳優で行つたら誰れの処だといへば、見たら吃驚でござりませう色の黒い背の高い不動さまの名代といふ、では心意気かと問はれて、此様な店で身上はたくほどの人、人の好いばかり取得とては皆無でござんす、面白くも可笑しくも何ともない人といふに、……
カギカッコはないですが(文章全体がそう)、あるブサメンについて2人が話しているところです。
そのブサメンは、色が黒くて「不動さま」のような顔をしており、性格も別に面白いことを言えるわけでもなく、ただ人がいいだけ。身もふたも無いですね。ただこれも現代に通じるところがだいぶあります。
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二葉やのお角に心から落込んで、かけ先を残らず使ひ込み、(中略)次第に悪るい事が染みて終ひには土蔵破りまでしたさうな、当時男は監獄入りしてもつそう飯食べて居やうけれど、相手のお角は平気なもの
今で言う、風俗狂い、ホスト狂いですね。ただお金を使い込んだ先の「お店の人」は平気にしてるらしく、そういう店の恐ろしさがこれまた現代と同じように描かれています。
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4.おわりに
「酌婦」という、身近ではないものの”高尚”な生き方とは違う人生が描かれているせいか、意外と現代と通ずるところがあったのではないかと思います。
次回後編では『にごりえ』を通じて得た感想について書こうと思います。
■後編はこちら↓
現代の感性で読む近代文学: 『にごりえ』(後編)
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