見出し画像

現代の感性で読む近代文学: 『たけくらべ』(前編)

 「夏目漱石」「太宰治」「芥川龍之介」……
 名前はよく知る、あの文豪たち。でも教科書以外で読んだことはない。
 しかし、「名作」と言われるからには、それだけの理由があるはず。

 そこで、令和を生きる25歳の私が、近代文学の名作を読んで感じたところを記しました。

 今回は、樋口一葉『たけくらべ』です。

1.20代のときの樋口一葉

 前回記事『にごりえ』でまとめています!詳しくはこちらで。

2.あらすじ

 以下にあらすじを記します。ネタバレは含みません。

 「吉原遊廓」という、江戸時代から続く遊廓街。そこでは酌婦とその客だけでなく、''吉原界隈で生活する人々''からも、その息遣いが聞こえてくる。本作では、その吉原に暮らす「少年少女たち」にスポットライトをあて、彼ら/彼女たちの生き様を描き出す。

3.現代と比べる『たけくらべ』

 自分の中で気に入った文をいくつかピックアップしました。具体的には、「現代との共通点」や「現代との相違点」が面白かった箇所を6つ挙げました。
 こちらもネタバレを含まないので、これを読んで興味を持った方はぜひ読んでみてください!!

*    *

 我れは私立の学校へ通ひしを、先方は公立なりとて同じ唱歌も本家のやうな顔をしおる

 公立・私立論争。なんだか変わらないですね。ただ現代では中学校などは私立の方が賢いと思うので、これは逆転したのでしょうか?

*    *

 己れは此様な無学漢だのにお前は学が出来るからね、向ふの奴が漢語か何かでひやかしでも言つたら、此方も漢語で仕かへしておくれ

 1つ前の、「私立」の学生の言葉です。"敵"がインテリっぽいヤジを飛ばしてくることを懸念し、学のある友達に加勢をお願いしているシーンです。
 ここは現代で考えると「?」となります。今ではあんまり"アカデミック=イケてる"という風潮は無いですよね。今のお父さんorおじいちゃん世代より上ぐらいまでは、まだその流れを汲んでいる気もしますが、なぜ途絶えたのか。疑問です。

*    *

 一昨年より並木の活版処へも通ひしが、怠惰ものなれば十日の辛棒つゞかず、一ト月と同じ職も無くて霜月より春へかけては突羽根の内職、夏は検査場の氷屋が手伝ひして

 バイトを転々とする13歳の少年についての説明。昔というと(『たけくらべ』が書かれたのは1895年)、親の家業を継ぐイメージが強いですが、今と変わらないフリーターのような人もいたようです。
 ちなみに、「検査場」とは遊女のための健康診断所で、性病検査などを行ったそうです。はえ〜。

*    *

 仕かへしには何時でも来い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地なしめ、帰りには待伏せする、横町の闇に気をつけろ

 奇襲を仕掛けてきた、「横町」に住む悪ガキたちの捨て台詞。「横町の闇に気をつけろ」が何だかかっこいい。

*    *

 ねへ美登利さん今度一処に写真を取らないか、我れは祭りの時の姿で、お前は透綾のあら縞で意気な形をして、水道尻の加藤でうつさう、龍華寺の奴が浦山しがるやうに、本当だぜ彼奴は屹度怒るよ、真青に成つて怒るよ

 もうSNSそのものですね。いい格好で写真を撮って、それを見て誰かが羨ましがる。100年以上前から変わらないようです。

*    *

 我が蔭口を露ばかりもいふ者ありと聞けば、立出ゝ喧嘩口論の勇気もなく、部屋にとぢ籠つて人に面の合はされぬ臆病至極の身なりけるを、学校にての出来ぶりといひ身分がらの卑しからぬにつけても然る弱虫とは知る者なく、龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに真があつて気になる奴と憎がるものも有りけらし

 「引っ込み思案」「陰気」を、「寡黙」「やるときはやる」と買い被ってもらえたパターン。『山月記』の「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」に共通するものがあるような、ないような。

4.おわりに

 前編では、まず『たけくらべ』のあらすじや、面白いと思った個別の箇所について見ていきました。 
 後編では、『たけくらべ』を読んで感じたところについて記そうと思います。

■後編はこちら↓
現代の感性で読む近代文学: 『たけくらべ』(後編)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?