やりたいことを「すぐやる」ということ。

やりたいとか、いいな、ということはすぐやるのがいい、というアドバイスがある。

それをわたしは「スピード」が早いほうがいいからとか、行動した方がいいからみたいに思ってたんだけど、そうじゃないのかもと最近おもった。

なぜ「すぐやる」のが大切なんだろう。

それは、人の情熱というのは「長くは続かない」からじゃないだろうか。

イチロー選手のように、何十年もひとつのことに情熱を注ぎ続けられる人はいる。

いろんなことに興味をもって、どんどんやりたいことが変わっていくわたしみたいな人はイチローみたいな一途さにすごく憧れる。カッコいい。

だけどまぁなにかに情熱を注ぎ続ける、そもそも続けることというのはかんたんではない。少なくてもわたしにとっては。

きっと「これやりたい」と思ったときというのは、熱量が一番高い。

この時は、自然着火で火をおこせていて、肉でも魚でもマシュマロでも簡単に焼いて食べられる。

でも、たき火というのは基本的になにもしなければ小さくなっていき、いつか消える。

なにを焼こうかなとか、やっぱり明日焼こう、と考えているうちに火は弱くなっていく。焼きたい魚がすぐ見つからなかったら、新しい薪をたしたり火が消えないように手を入れておく必要がある。

「やりたい」と思ったとき=自然着火したときに「すぐ行動する」というのは、薪をたすような行為なんじゃないだろうか。(そう考えると、イチローはたき火の名人だ)

旅行に行きたいと思ったとき、とりあえずカレンダーをみて借りで日程をいれてみるとか、カタログを取り寄せてみるとか、誰かに行きたいんだよねって言ってみるとかわ小さくてもなにかひとつ動いておくと、ぐっと実現しやすくなる気がする。

火が消えてからもう一度火を起こすのはなかなか大変な作業だ。だから、着火したその時が、1番かんたんに動きやすいのだと思う。

書きかけのまま下書きにいるnoteたちも、数日たってしまうと、つづきを書きはじめるまでにはエネルギーがいる。だからきっと書きたいことはその時に書ききって公開したほうがいい。

なにかをつくりたいと思ったら、その場で作り方を調べたり、数行のメモでもアイデアを書いておく、プロトタイプをつくる。

これやりたい!と思ったことも、誰かの決裁や自分の中の許可を待たず、まとまってなすても、小さくても、なにかやってみた方がいい。

「やりたい」を行動にすることは、きっと自分の「やりたい」という火を大切にしてあげることなのだ。

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と、久しぶりに「課題」的なものに取り組みながら思ったよっていう話。

https://twitter.com/rai527/status/1015777380290326528?s=19

コルクラボではやりたいを行動にうつす行動を「聖なる一歩」と呼んで背中を押したり承認する文化があるのだけど、それはその人のたき火に薪をくべるような行為かもしれないなぁ。

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