ちがうことを前提に目の前の人と向き合う。
次男がうまれてから6ヶ月がたった。
その中で、人はひとりひとりみんな違う、ということを実感している。
ひとりひとりちがう。
言葉だけ聞くと当たり前のように思うけれど、実際の生活の中ではついつい「おなじ」に思ってしまうことが多い。
夫婦の間での、なんで○○してくれないの?
きれいと感じるラインは人それぞれちがうし、気にすること気にしないこともちがうけれど、一緒に生活をしているとつい相手に自分と同じラインを求めてしまう
仕事をする中でも、得意なことや苦手なことはひとりひとりちがうし、やりやすいやり方もちがうし、安心して仕事を進めるために必要な情報もちがう。
だけど自分と同じやり方を求めたり、こうするのが当たり前、という風に思ってしまうことがあったり。
子どもに対しても、自分や周りの子どもと比較して、なんでできないのだろうと焦ったり不安になったりしてしまうことがある。
6年前、初めての子育てにわたしはなかなか苦戦した。
長男は赤ちゃんのときから、なかなか寝れないタイプでずっと寝不足、授乳にもこだわりがあって飲んでもらうのに一苦労。
1歳半くらいから激しく長いイヤイヤ期に突入し、バナナ1本食べるだけに大騒ぎだったりもうお手上げ状態の日が続いた。
もうすこし大きくなると、どうして保育園に行かなきゃいけないの?と問われ、登園しぶりに頭を抱えることになった。
私自身、小さい子どもとほとんど接することなく大人になって、どう接したらいいのかわからなかったし、いまでも一緒に遊ぶのはそんなに得意じゃない。
もちろん息子はかわいいし、幸せな瞬間はたくさんあるのだけど、わたしは子育てが向いてないんだろうなと思っていた。
子育て楽しいと言える人がうらやましかった。
そんなに働いてないでもっと子どもと遊んであげたらとか、長男のなにかができないことはあなたがちゃんとみていないからだ、というような言葉はほんとうにいたくて。
わたしのせいかもしれない。わたしがもっとうまくできていたら。
そう頭をよぎる瞬間がある。
わたし自身のキャリアや選択には後悔はまったくないのだけれど、息子にとってそれがほんとうによかったのかは自信がない。
だけど次男がうまれて、人ってこんなにちがうのかとびっくりした。
顔は似ている兄弟だけど、泣くポイントもちがうし、お気に入りの抱っこもちがう。
長男は腰座りが早かったけれど、次男は腰座りはゆっくりだったり発達もちがう。
環境のちがいももちろんあるのだけど、ふたりを見ているとタイプというのはもともともっているものなんだろうなと思う。
ふたりは兄弟だけど、べつのひとだなぁと思うし、彼らはわたしともちがう人だなぁとしみじみ思う。
「おなじ」を前提にすると、誰かとなにかと比較して、できないことに目がむいてしまう。
でも、「ちがう」を前提にすると、ただ目の前の人をよくみて、よく話して、よく知ること。
それが大切になるんだと思う。
息子たちに対しても夫に対しても、周りの人に対しても。
そんな風に関係をつくっていきたい。
そしてわたし自身に対しても。
子育て向いてないとずっと思っていたけれど、それはわたしが周りの人や理想の母親像みたいなものと自分をくらべていたから。
母だってひとりひとりちがう。
いろんな母の在り方がある。
そう気がつくことができた。
だからこそ、いろんな人の力をかりながら暮らしていきたいし、いろんな人に助けてもらって子育てをしていきたいなと思う。
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