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最後まで席を立たずに鑑賞しませんか?

こんにちは。
最近、大学のオーケストラとかNHKのオーケストラとか聞きにいって音楽っていいなぁ、なんて思ってるこの頃です。

今日はオーケストラ聴きに行って感じた観客の在り方を自分だったらこうしたい、という形でシェアしたいと思います。

-目次-
・いつまで席に座るべき?
・役者さんの一瞬の曇り
・ライが思う生の舞台の楽しみ方
・だから僕はこうする

<いつまで席に座るべき?>
オーケストラの演奏も終盤に差し掛かりすっかりオーケストラ音楽に魅了されていた自分。
演奏が終わり会場には割れんばかりの拍手。
そしてカーテンコールといって指揮者が舞台袖を行ったり来たりする挨拶をしています。
いやぁ、よかったなぁ..。

そう思った矢先。
前の方から立ち上がり帰路につく人々が。
あれ?まだ舞台に演奏者居るよ?と思うが1人また1人と席を立つ人々。

僕の見た回が特殊だったのかもしれませんが、
それでもだいたい1/3くらいの人が拍手の最中に席を立ち帰路についていました。
僕はこの光景にとても違和感を覚えました。

<役者さんの一瞬の曇り>
そして、こうした光景とこの何とも言えない残念な感情は過去に何度か体験したことあるなと思いました。

例えば、
劇団四季のリトルマーメイドを見に行った時。
舞台が終わってスタンディングオベーションで拍手する人も居れば、そそくさと同じように帰る人が居て、一瞬役者さんの表情が曇ったようにも見えた事がありました。

当時の僕は、全てをやり終えた役者さんに最後の最後であんな表情を引き出した観客たちが許せませんでした。

多分、僕が今回感じてる違和感も根本の部分は同じだと思ってます。

まぁ僕が気にしすぎと言ってしまえばそれでおしまいですが、僕が舞台を演じきった役者だとしたら目の前で席を立たれるのは結構凹むと思うんです。

<ライが思う生の舞台の楽しみ方>
表現が適切かわかりませんが、テレビとかだと提供された物を観客側の都合で鑑賞する、いわゆる受け身の鑑賞で何の問題も無いと思います。

舞台とかコンサートは生の空間であることがその良さであると思っています。
その生の空間を楽しむことや画面越しにはわからない部分を楽しむには観客側もただ受け身の鑑賞ではいけないのだと思います。

舞台やコンサートなど生の空間は一方的に提供されるものではなく、観客と一緒に作り上げるものであると僕は考えています。

だから、いいライブ、いいコンサート、いい舞台、作り手が用意したそれらを本当に良いものにするかどうかの最後の要素は観客の反応だと思います。

拍手するタイミングでは拍手をし、同じ時間を最後まで過ごすのが楽しい生の空間を楽しむ方法なんじゃないかな、なんて思います。

<だから僕はこうする>
もちろん、お金を払って見に来ているのはそれぞれですし、つまらなければ帰る権利もあるとは思ってます。
まぁあと帰りの電車混むから少しでも早くとか理解は出来るんです。

でもそこから生まれる違いはたった1、2分。
それがそんなにあなたの生活に影響するのでしょうか?

その僅かな時間くらい感動を届けてくれた演奏者に拍手で敬意を払うことくらいできるはずです。

ちょっと話は逸れますが、映画館でもエンドロールだって3-4分じゃないですか。ケータイ開くの我慢しましょうよ。笑

僕の持論ですけど、
映画館とか舞台とかコンサートってもちろん内容そのものに対してお金を払いますが、その空間そのものにもお金を払っているとも言えると思うんです。

作り手がどんなに素晴らしいものを提供しても、聞き手ひとりひとりの行動が伴わなければ作り手の素晴らしいものの価値が損なわれてしまう。

観客だって一緒に空間を作っている。
そんな意識で見に行った方が楽しくないですか?

そんな事を思うから僕は最後の最後まで拍手を贈り、感動の余韻を楽しみたいと思います。

僕は次、劇団四季の「パリのアメリカ人」って舞台が気になってるので早速予約しようかな。笑

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ライ

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